やましなす皆様。くだらないブログを書くのは実に久しぶりとなりますがお元気でいらっしゃいますでしょうか。
「御陵」の「御」の漢字で真ん中にある午と正を足して2で割ったような部分を、最近まで「缶」と書いていた書道家の母に何を教わって来たのか、と怒られそうで残念な男斉藤です。
先日息子ととある施設に遊びに行った際、施設内で縁日をしていて遊びの一つにスーパーボールすくいがありました。
「お父さんコレ僕やってみたい。」
以前四宮祭りで息子がスーパーボールすくいにチャレンジした時、3つくらいとってタモを破っていたので、どうせすぐ破ると思いながらもチャレンジさせたところ、予想に反して息子は担当のお姉さんに「達人だ」と絶賛され、カップに入りきらなくなって終了するという結果になり、縁日中のヒーローになっていました。
その数31個。
そう言えば、8年程前にこちらのブログで「金庫を買えば店主が痩せる」と言うブログを書いたことがありました。
今回のブログは、下手くそだった息子が何故急にこれほどまでに上達してしまったのか。意外な行動が産んだ副産物。風が吹けば桶屋が儲かる的なその理由を父親として誇りをもって紹介したいと思います。
相変わらず長いだけのくだらないブログになりますので暇な人以外はどうぞご勘弁ください。
美容業をしているとお客様と接客中に色々お話が出来ます。
その中には借金の返し方や踏み倒し方、妻の喜ばせ方や夫の許せない行動など私にも直結した大変ありがたいお話があるのですが、そんな皆様の経験の中で「聞かされた限りは自分はそうなっていけない」と心から思える教訓があります。
それは年頃の女の子がいるお父さんと話していて「娘に嫌われている」という類の話を聞かされた話でした。
嫌われている度合いとしては「洗濯物は別にして」<「先にトイレに入らないで」<「部屋に入るな」<「目の前を横切るな」≦「私の背後に立つな(ゴルゴ13)」などあります。
お客様からそういった「娘に嫌われている」系の話を伺い、一通り語り終わった後の背中とつむじから漂う哀愁の漂い方が大迫半端ねえ訳です。
私はこれらの話を他人事と捉える事が出来ませんでした。
程無く娘を授かり、先輩方の経験を無駄にしない為にある答えにたどり着きました。
「汚い存在だと思われてはいけない。」
時は過ぎ、一緒にお風呂に入ってくれていた娘が年頃になってから恥ずかしがるようになり、妻のように私と入浴する事を拒むようになり始めました。
今まで、私の仕事が終わり家に帰る時間は大体19時30分から20時30分。その時間には家族は殆ど入浴をすませていて私の入浴が最後になるのが当たり前でした。
約1年半前。旧店舗近くに店舗兼住宅を手に入れ、仕事が終わると二階に上がればリビングという環境になりました。
同じくして娘が中学に進学して部活が始まり帰宅が遅くなり始めました。
そしてその日がやってきました。
ある日、妻(母)から早くお風呂に入れと注意され、指図される事もしくはすぐ行動する事が面倒になったのか、彼女はさり気なくこう言いました。
娘「ん。お父さん先入っていいよ。」
私にとって、家庭を持ってから初めて入浴3番手の機会を与えてもらえた訳です。
緊張感を持ちながらもいつものようにシャワーで軽く身体を流しました。
いつもと同じように浴槽に浸かる前に頭と身体を洗いました。
いつもより澄んで見える浴槽に疲れた身体を浸けながらふと考えました。
この後、しーちゃん(娘)入りよるんか。
5分程色々考えながら入浴していて、いつもと違い風呂桶を手に取りました。
抜け毛を探し見つけてはすくいました。
体の位置を変え死角に入っていた所すらチェックし隈(くま)なくすくいました。
浴槽から出て、洗い場に座り込んで少なくなってしまったお湯を注ぎ足し、浴槽内に目を細めて湯の流れで上がってくる細い抜け毛を見つけすくい直しました。
浴槽に蓋をしようと手に取るとなんだか表面がヌルっとしてる気がしてしまい軽く洗剤で洗いました。
シャワーの側にある鏡にペンキを塗る要領で掌で全面にシャンプー剤を薄くつけました。
浴槽の縁もヌメっていてはいけないのでその手でそのまま磨いて綺麗にしました。
その後、バスタオルで身体の水気を拭きながら抜け剥がれ落ちる体毛をシャワーで排水溝まで流しました。
下着を履き再び体毛が放出されなくしてから、掃除用のスポンジにシャンプー剤をつけて「匂い付け」及び「臭い消し」の為洗い場の床を軽く掃除しました。
一度浴室を出て洗面所で服を着てからもう一度浴室内を確認して、わざとらしくない程度にシャンプーの匂いがしている事を確認してから再び毛が落ちていない事を再確認しました。
その後いつもと変わらない素振りでリビングまで戻り、娘に「お先」とだけ伝えました。
平然を装いながらスマホを弄っていた宿主をよそに、正直な心臓は8ビートを刻んでいました。
結果が分からず寝つきにくい夜を過ごし、審判の次の日の夜。
「デジャヴか」と言う位同じ感じで妻と娘が風呂に入れの催促の会話をした際、娘の口から
「ん。おとう。また先入るか。」
という言葉を無事に聞く事が出来たのです。
私は家族にバレないように浴室にコッソリ缶チューハイを持ち込み、入浴しながら1人で祝杯をあげました。
それから次の休みの日に百均と西友を梯子してこの商品をゲットしました。
私はこのアイテムを「娘を持つ父親にとっての三種の神器 」の一つとして我が家に正式に迎え入れました。
それからと言うもの毎晩私がお風呂に入った際、くつろぐよりも毛をすくっているのに時間を費やしていました。
ヌメリ取りはわざとらしくならない様ケースバイケースで適度に行いました。
しばらくして息子がスイミングを習い始めたのですが、曜日が店の休みの月曜日だった為、その送り向かいを私がする事になりました。
ですので夕方にスイミングから帰って来てその足で私と息子、父子でお風呂に入るのが月曜日の習慣となりました。
休みの日、妻は16時にお風呂に入るのが基本なので、やはりこの後の最後の入浴は娘と言う事になります。
息子とお風呂に入りながらも三種の神器を使ってひたすら毛をすくう私に対して息子が言ってきました。
「お父さん。なんでいつも毛をすくってばかりいるの。」
説明も面倒だったので、それとなく「それはお前が娘を持つようになればわかる」とだけ伝えました。
その内息子が「僕もすくいたい」と言い出して、キャッチネットを手に毛を探し始めるようになりました。
「薄い毛とか短い毛は逃げないように浅めに網を入れないと見失うぞ」
まず最初に毛を水面(みなも)近くにおびき寄せる。そしてネットを入水(入湯)する際、接地面積を広くしてしまうと表面付近の流れが渦を巻いて、細い毛はクルクルと飲み込まれてしまい何処かへ逃げてしまう、という私の難しい理論を「こう。そうかこういう感じなん。風呂の呼吸みなもぎりぃ。」と言いながら飲み込む息子。
そういう会話をしながら何気なく、時に制限時間を付けたりノルマを設けたりして毎週楽しんでいました。
長くなりましたが、縁日で息子がヒーローになった理由。皆様もこれでお分かりですよね。
娘から先風呂許可が下りれば息子が縁日でヒーローになる。
時が流れ息子の前にいつか素敵な人が現れ、その人と結ばれる日が来るかもしれません。
そして程無く女の子、私にとっては孫という存在が産まれてくるかもしれません。
その時彼は、きっと今回の事を思い出し風呂で毛をすくうでしょう。
それを見た子供、私にとってのひ孫か誰かに継承されていくでしょう。
娘よ。そしてネットキャッチャーよありがとう。
そして息子よ。ごく平凡な幸せをつかめ。そして女性に紳士であれ。
やましなす皆様。素敵な一日を過ごされているでしょうか。
こうして皆様と一緒に春を迎えられたことにも感謝を感じられる年齢になって来た男斉藤です。
只今「さくらを写メして春を感じようキャンペーン」開催中ですのでブログでもご案内させて頂きます。
《キャンペーン内容》
ご近所や近場にある、所謂桜の名所等に行かずとも「何気ない桜」で良いのでお手持ちのカメラで撮影して送って頂くと6月末まで店舗で使用できる割引券をもれなく贈呈いたします。
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写した画像を
1 ラインにてオーキニーを友達登録して頂いて送信 → LINE 友だち追加のボタン
※キャンペーン終了後ライン友達を解除していただいて結構です。
2 アドレスhiromi3110ippai2@gmail.comに画像を添付して(本人のご氏名を必ずお知らせください)送信
3 画像をプリントアウトしてお店のポストに直接、もしくは封筒に入れて郵送。
いずれかの方法で送って下さい。
《締め切り期日》
4月15日(木)までとなります。
通信にてお知らせしてあるのですが、その際「応募枚数の制限」を記載していなかったので、何枚も送信して下さっている方がいらっしゃいますが割引券の配布はお一人様1枚までですのでご了承ください。
但し選考は送って頂けた全ての作品を対象にさせて頂きます。
又「さくらが写っていたら何でもOK」と記載したため既にこのような写真を送ってきてっ下さった方がいらっしゃいます。
腹立たしいですがこのような場合でも選ばれるかは置いておいて責任を持って対象となりますのでご参考までによろしくお願いいたします。
皆様の春の便り心よりお待ちしております。
いつもお世話になっております店主の斉藤です。
本日は3月11日。東北で大きな悲しみに包まれた日。現在を生きる私達にとって忘れられない日となった震災の日です。
早いものであの日から10年が過ぎました。
毎年、この日になるとブログを更新させて頂いておりますがこれは見てくださっている方達へ何かメッセージを発信している目的ではなく、自分の心の中に「大切な事」を思い出させて、感謝の気持ちを植え付けるために書いています。
私は気を許すとすぐに自分が恵まれていると言う事を忘れてしまい、些細な出来事を悪くとらえて引きずってしまいます。
そんな自分も含めて全て「自分」なのだと理解して落とし込む事を今まで幾度となく繰り返してきました。
いや。落とし込めていないので毎回落とし込めた気になっています。
ですので、こうやって震災の日にブログを書く事によってそんな自分を見つめ直しています。
限りのある時間を粗末に使用してはいけない。自分は決して一人で生きているわけではない。自分に出来る事は何なのかを忘れてはいけない。
あの大変な時期にお互い手を取り合って支援の輪を広げ、見えない人や知らない人に勇気と希望を届け続けられていた事実をもう一度思い出し、人との繋がりを大切にし直します。
くだらない事で悩んだり怒ったりしていた事を反省し、もっと生きたかった、もっと幸せになりたかった方たちの分も、又今日から姿勢を正して自分の使命を全うしていきます。
ご来店いただいている皆様、これを読んで下さっている皆様に改めて御礼申し上げます。いつも支えてくださって本当にありがとうございます。
最後になりましたがお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
「わたし、大きくなったらディズニーのえいがやアニメをつくるしごとをしたいねん。」
ビビデバビデやましなす皆様。好きなディズニーの音楽はシンデレラの「A Dream Is A Wish Your Heart Makes(夢はひそかに)」な男斉藤です。
夢と魔法の世界へようこそ。
と言う事で冒頭の一文は、現在中学2年になった我が家のお姉ちゃんが5歳の時に私とディズニー映画を見ていた時に語ってくれた、娘にとって恐らく最初に描いた将来の夢だと思います。
今回のブログはディズニーに興味が無い方は殆ど理解できない内容になるかもしれませんので予めご了承ください。
東京で一人暮らしをしていた頃、私の趣味の一つに「ディズニー映画のビデオとCDを集める」というものがありました。
時は過ぎビデオの時代が終わり、DVDが主流になり始め、現在のBlu-rayへと文化が移り変わった頃、娘が生まれました。
将来子供が授かったら私が好きだったディズニーの映画を見せてあげたい。その一心から持っていたビデオを全てBlu-rayに買い替えたのは当然の流れです。
長くなりましたが、そのような英才教育を娘に施していた結果、冒頭のようなセリフを言ってくれたわけであります。
そんな娘が「ティンカーベル」と言う作品を好んで見ていた頃「またお父さん(に似ているキャラが)出てきたで」といっていたく気に入っていたキャラクターが作品に登場していました。
モノづくりの妖精、名前は「クランク」。
娘がディズニーの世界に私の姿を反映してくれているという嬉しさ半面、不思議な屈辱感を抱かせる彼の姿を見ながらいつも心の中で思っていた事があります。
もうちょっとマシなんちゃうんかな。
自分で言うのもアレですが、補正ありでもせめて「塔の上のラプンツェル」に出てくるフリン位言ってくれてもいいやんか。
と言う事で、仮に娘が将来ディズニーに就職を果たしたとして、私のイラスト(もしくはCGグラフィック)を作成してくれたら問答無用でぽっちゃり妖精にされる事が長きの間確定していました。
そんな事も忘れていたここ数年でしたが、先週テレビでスマフォのとあるアプリを紹介しているコーナーがありました。
TOONME(トゥーンミー)。
それは「カメラに撮った写真をディズニー風に加工できるアプリ」という私にとって大変興味深いものでした。
私の心にあった屈辱感という影の部分に一筋の希望の光が差し込まれたのです。
ここに来てフリンに昇格できる可能性あり。
情報番組を見た直後に私がそのアプリをダウンロードした事は甚く必然の事となりました。
ダウンロード後カメラ内に私の顔写真が全く無いことが判明して、とりあえず目と額の小じわが出ないよう且つ垂れ目ほうれい線に注意しながら新しく画像を撮影しました。
残念ながらインカメは故障しているらしく何度やってもブサイクにしか写らなく、鏡に顔を写しながらアウトで取り直した結果ややマシなモノが出来たので早速加工。果たしてそこにフリンは居たのか。
誰やお前。
主要キャラどころかアレやん。リメンバーミー出てくる祭りではしゃぐ子供の面倒見てる村の父親1やん。
嫌々こんなはずでは無い。カメラかアプリがおかしいだけだ、ととりあえず向かいでドーナツ喰っていた妻に向けて続けざまシャッターを切ってみました。
ブルータスお前もか。
私が愛し生涯を捧げた妻は、どうやらトイストーリーで出てくる保育園でカンシャクを起こしながらおもちゃ達を投げつけている女の子その2だった模様。
どうやらアプリがおかしい事が認定されました。
横で見ていた自分も撮れ撮れ五月蠅い息子を写しましたがもはやただの悪ガキ。
もう諦めるかな、と悩んでいると同じアプリ内に現在のディズニーCG風ではなく昔のトゥーン(イラストディズニー)風に加工できる機能を見つけたので、ダメもとで撮り直してみました。
これ男と女どっちや。
どうやってもムーランの世界から出ていかれない顔を見て、自分はヨーロッパでは無くアジア人だと言う事を思い出しました。
可哀そうだったので一応妻も変換。
うん。ホッとしたこれこそ我妻。
現在娘はダンスの部活と友達との思い出作りに明け暮れ、毎日を楽しそうに過ごしてくれています。
海外への渡航が今後どのような流れで再開されていくかは分からないので、進路先を「世界で通用するダンサー」から他の何かに変更する事も考慮し出した娘。
もし万が一幼い頃の夢である「ディズニーのイラストレーター」をもう一度目指してみる、と言い出したら取りあえず教えてあげたい。
親を模写する時は、コンピューターに頼ることなく筆か鉛筆による「昔ながらの描写」で描くようにと。
こうして長年塔に幽閉されていたお姫様の側にいれる事を夢見た男は、ティンカーベルからリメンバーミーの世界へ引っ越した矢先、アジアの世界への永久的な移転を命じられたのでありました。
この「TOON ME」というアプリを使ってどなたか主役級に昇格出来た方がいらっしゃれば、アプリか私の顔の結局どちらに原因があったかのかの答えを知る為にも、ご来店時に自慢の加工画像をご拝見させてくださるようよろしくお願いいたします。
※DLした場合間違って有料会員に登録されない様ご注意ください
やましなす皆様。復活クダブラー斉藤です。
上記一文だけ読んでもらって、意味が全く分からない方も多くいる事と思いますがそんな事はおかまいなしに新年一発目のブログをくだぶらせて頂きます。
「人生最後の日に何が一番食べたいですか。」
これは私がお客様との会話の中で、突発的に尋ねてみる話術の一つとして多く用いてる質問です。
明日人生が終わると分かった時、最後に食べたいもの。
女性の方は「鮭茶漬け」「アユの塩焼き」「湯豆腐」等、所謂豪華な食事ではなく素朴でさっぱりした料理が多く、男性は「阪急のインディアンカレー」「吉野家のネギ抜きつゆだく牛丼」等外食で食べ応えがある物をあげられる事が多い集計が私の中で取れ始めております。
尋ねた後にはほとんどの方に「では斉藤さんは何を所望されますか」と聞き返されます。
私の中での最後に食べたいものは例に漏れずどれもが外食であり、候補は長きの間四天王として君臨していました。
その四天王の内約は、西友の南にあった「ベルの焼きそば」と東野妙見道の「バラ亭のカレーうどん」。
これらは将棋で言う所の飛車角で、飛び立って王将の側から離れて行ってしまった彼らの他に「金と銀」が存在しています。
前置きがいつも通り長くなりましたが、今回のブログはその内の「銀」についての愛を語りたいと思います。
銀とは「ラーメン二郎」。
東京で修行に明け暮れていた若かりし頃。私は長く新宿区の高田馬場という街に住んでいました。
その街は有名な大学や学校が多く存在する事もあり、学生向けの食べ物やとラーメン屋さんがとても多く存在していました。
私が住んでいたマンションにたどり着くまでの道すがらにその「ラーメン二郎・高田馬場店」がありました。
狭い店舗の前にはいつ見ても恐ろしい位の行列が出来ていて、初めて並びに行った時の緊張感は今でも忘れられません。
ラーメンを食べるのに緊張感があるのか。
そう思われた方のために説明すると、今では全国的に「二郎系ラーメン」と言う名前が出来たくらいすっかり有名になってしまったラーメン二郎ですがとても特殊なシステムが多々存在します。
「水やレンゲは席に着く前に自分で用意しておく(忘れると店の中が狭いので取りに戻れない)」※店舗によってはレンゲは置いていません
「食べられる量を注文する事(普通盛りの量が通常の二倍以上ある為)」
「店主に聞かれるまで言葉を発してはいけない(店主に注意されます)」
「魔法の様な呪文(トッピング)を覚えて置き、且つスムーズに声にして発しないといけない(慣れていないとにらまれます)」
「当然残してはいけないが、それ以上に時間をかけて食べてはいけない(20分以上席に座っていると店主に注意されます)」
「食べた後はどんぶりをカウンターに乗せ御ふきんで綺麗にテーブルを拭いておく(ご馳走様の意味を込めたマナー)」
と言うように特徴をあげればキリが無く筆おろし時は非常に敷居が高く、それ程ルールが分かっていなかった為非常に重い空気の中ラーメンをすすっていた記憶があります。
注文は前払い食券制。メニューには並盛、大盛、ミニサイズ位しかなく発券してから順番を待ち店主に呼ばれたら空いた席に着席。テーブル上には割りばししか常備されておらず、コップやレンゲ、ティッシュ等は入り口に洗いっ放しにして置かれたものをとってからでないと水すら飲めない状態で食べないといけません。
着席してからカウンターに食券を置き、あとは自分の順番で店員さんが聞いてくるまで黙って座っていないといけません。
しばらくして「ニンニク入れますか」の声掛けをしてくるので、その際にトッピングを注文。
ただ単に「はい。」と言えば刻みニンニクだけたっぷりと入れてもらえるのですが正しくは「ニンニクで」と発声します。因みにニンニクを多めに入れて欲しかったら「ニンニクマシ」。
他にも、もやしを多めに入れて欲しかったら「ヤサイ」。大盛で「ヤサイマシ」。超盛で「ヤサイマシマシ」。
背脂を多めに入れる場合は「アブラ」。
味を濃くして(カエシを多めに入れて)ほしかったら「カラメ」。
「アブラカラメ」「ニンニクアブラヤサイマシマシ」「ヤサイニンニクアブラマシ」
オーダーがまとめて調理され、準備が完了して客にニンニクを入れるか聞かれる度に、店内では呪文のような言葉が飛び交い始めるのです。
トッピングは席に座った順に聞かれるので順番が来るまでの間、前の人の呪文を聞きながら「自分は上手に詠唱できるのであろうか」と不思議な緊張感を持つ事になります。
それらを乗り越えて自分の前に置かれた丼には迫力たっぷりの盛り付けがなされています。
ラーメン天のように下に皿が置かれるわけでも無いのに溢れそうに注がれた汁をこぼさないようにカウンターからテーブルに下ろします。
落ち着く場を探している普通の麺の3倍はあろうかと言う太麺が縁から落ちそうになりながら、被さってくるもやしやキャベツの重さに必死に耐えていて、その野菜達をコインゲームの滝落としのように横から逼迫させてくる映画の時のジャイアンの様なでかくて柔らかいチャーシュー達。
ビールで言うと注がれたばかりで溢れそうな泡を減らそうと思ってしまう様なこの状態でも焦ってはダメで、まだやる事があります。
もやしやチャーシューが後乗せで冷めているので、すぐ食べ始めるのではなく汁をこぼさないように注意しつつそれらをゆっくり返しながら混ぜ合わせてから漸く食べ始める事が出来るのです。
食べ始めるまでのこれら一連の動作は、例えるなら古来から神社等に参拝に行くとき「二礼二拍手一礼」という作法がありますがアレに似た感じと思っています。
そして麺を返し始めているとある事実に気が付きます。
麺が多すぎて全て返せない、と言うか底が見えないし上に乗っているモヤシ達を食べないと麺にたどり着けないのでは無いか。
そんな不安を感じながらかき氷のシロップのかかってない氷の如く、最初に上部にあるほんのり味の付いたモヤシを食べ始めるのですが、早くもこの時点で少しづつお腹が膨れ始めます。
やっとの思いで食べ始められる麺とスープ。スープは醤油ベースでそこまでしつこくないくせに極太麺にまとわりつく背脂がとても甘辛く「スープ」がどうでも良くなるくらい麺や野菜が美味しく感じます。
麺を4分の1ぐらい食べていると、マラソンのように食べるペース配分を考えないと何か不味い事になりそうな危機感に襲われ始めます。
そしてややペースを上げながら食べ続けてお腹がいっぱいになった時点で丼の中を覗き込み「ヘイお待ち」と今目の前に出されたかのようなタップリ1人前残っている麺を見て、不味い所では無くヤバイ事だと知らされるのです。
食べようが飲み込もうが一向に見えない麵の下にあるであろうスープ。折り返し地点は過ぎているのに箱根駅伝の復路6区を走っているかの如く恐怖に似た感覚を覚えます。
そして無事食べ終わった時に美味しさによる幸福感、そして不思議な達成感と満足感が体中を包んでくれます。
この感覚は他のどの食べ物でも得られないものだと断言できます。
ご存知の方も多いと思いますが私はラーメンが結構好きです。
しかしそれらラーメンと「ラーメン二郎」は全てにおいて根本的に違います。
ラーメン二郎は「試行錯誤して作った上品なスープを味わってくれ」というありきたりな意図が無く「早く麺とチャーシューをがっついてくれ」という(ラーメン業界に対しての)反社会的なメッセージによって作られたものなのだと勝手に理解しています。
満腹感がすさまじく昼に食べたならその日は夜ご飯が。夜に食べたなら次の日の朝昼御飯が全く食べられなくなります。
ラーメン屋に入って「○○定食」や他に餃子や炒飯を追加で注文すると大体1200円位の値段になると思いますが、ではその人は何故追加注文するのでしょうか。
色々食べたいという欲張りな心。いいえ違います。余裕があるから、そして満腹感が足りないからです。
ラーメン二郎はご飯やおかずを食べてる余裕を与えてくれません。
1杯780円のラーメンだけで恐ろしい位の満足感を1日中与えてくれます。
そんな「銀」であるラーメン二郎ですが京都の一条寺にも支店があります。
夢に出て来てしまった二郎ラーメンに衝動を抑えきれず意を決して京都店に出向き久しぶりの再会を果たした私が、月に一回1人で必ずラーメン二郎に行くようになってから半年が過ぎました。
駐車場代200円を払い狭い通路で30分程並び、持参した爪楊枝を強烈なニンニク臭がする車内でいつも定位置にあるチャーシューの繊維が詰まった奥歯に充てながら、一仕事した後の様な幸福感に包まれて運転して帰る蹴上インクラインは毎月京都の四季を感じさせてくれます。
先日、高校以来の親友を連れて二人で食べに行きました。(席はパネルでセパレートになっています)
私と違い予習や前準備する事に楽しみを見出さない彼は、あれだけ伝えたのに全く知識を入れず入店。心配になった私が聞いて直前でその事が判明し、簡単に説明した所「なるほど余裕やな。俺はヤサイマシマシニンニクカラメって注文するわ。」と偉そうに息巻きました。
しかし昔から本番に弱い彼は刹那に圧倒されて「え。はいお願いします。」としか答えられませんでした。
私の横に座った彼は「声を出すな」という忠告を忘れて「めっちゃうまい。やっば。」と言いながら時間にして5分位リズムカルに麺をすする音を立てていました。
その後横目で確認できる範囲ですが、ペースを落としたとみられる彼は私が準備したアルコールシートですすりこぼれた汁を拭く行動を何故か多めに繰り返していました。
先に食べ終わった私に小声で「先に行っててくれてええし」と話しかけてきた彼の表情には、若かりし頃私が感じたような愛しさと切なさと心細さが見受けられました。
10分後。彼の為に買ったコカ・コーラを後部座席に置いて待機していた私の車の元に戻って来た彼の口から最初に出た言葉は「なんとか登り切ったわ。」でした。
彼の中で二郎拉麺は登山として認識されたのでしょう。
マスクを装着していたせいかお互い口数は少ないものの必要最低限の会話だけが車内で交わされたのです。
「やばい」「やばいやろ」
「言う通りやった」「分かってくれる思うた」「凄いな」
「うまいやろ」「うまい」
ニンニクの匂いを消すために開け放れたウインド越しに新年の風を感じながら、お互いの表情を確認する事も無く交わされる心地よい会話は、多くの言葉を必要とせず二人の心をまた一歩近づけたのでした。
その日の夕方、お腹を減らした家族とは裏腹に相変わらず狂おしいほどの満足感のまま動きが鈍くなってる私の元に彼から一本のラインが入りました。
このラインの短い文章で彼との親友期間はより長く更新された事が確定。
私の「銀」は私だけのものでは無くなったかも知れませんが、感動を共有する事は本当に大切だと実感できました。
最初「銀についての愛を語る」と言っていたのにいつの間にか美しい友情話になってしまいましたがご了承願いたいと思います。
このブログを読んで、医療がひっ迫しているこの時期に友人を誘っての外食など不謹慎と思われた方もいると思います。
隠れてコソコソする事も嫌ですし、動かずして小さな思い出を作る努力を怠る事も嫌いです。
大切な時間を使ってくだらないブログを見に来てくださっている皆様のためにも、自分に嘘偽りなく生きて行こうと決めた2021年。
自分なりに最低限皆様に迷惑を掛けない様配慮をしての行動ですのでご勘弁いただきたく思います。
そんな私ですが今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。