リスナーの皆さまやましなす。さあ今週もこの時間がやってまいりました。
誰だと思ってんだよ。滑舌が数年前に比べて明らかに悪くなってしまった男斉藤さんだぞ。
がお送りするオールナイトオーキニー。
今晩も最後までどうぞお付き合いください。
さて早速今日の1通目のお便りから紹介しましょう。ラジオネーム「みえろしひつじのすけ」さんから。
・・・・なるほど。それはとても辛い出来事でしたよね。自分が原因を作ってしまったとはいえそこまで思いつめる事になるなんて思っていなかったですよね。
以前こちらのコーナーで、ルイ・アームストロングさんの名曲「ワンダフルワールド」を紹介したことがありますが、今回はそんなみえろしさんにぜひ聴いてほしい曲があります。
人生長く楽しんでいると、その中で色々な困難な事や辛い出来事が起こると思います。
それは特別ではなく誰しもが起こる出来事です。
春の季節のさわやかな風や美しさは、厳しい冬の寒さや静けさを体験していないと感じ取れないものです。
落ち込んだり反省したりする時間は絶対に無駄ではありません。
しかし見方を変えてみたり、離れてみると案外大丈夫だった、というオチになる事も多くあります。
この優しい曲を聴いていると私はいつも前向きになれます。
どうか早く元気を出してくださいね。いつものあなたのパワーで職場の皆さんが助かってると思います。元気なあなたを必要としている人がいます。笑顔のあなたに会いたがっている人がいます。
そして早くオーキニーに散髪しに来てください。私も笑わせる為に全力出しますから。
ええい。もし笑わせられなかったらカット半額にしちゃおう。
では聴いてください。ボビーマクファーリンでドントウォーリービーハッピー。
(※イニシャルがNから始まる方は必ず↑をクリックしてください)
ここに私が作ったささやかな歌がある
少し口ずさみたくなるかもね 心配しないで 楽しくいこうよ
誰の人生にも困難はつきものだよ
でも心配してたら 心配が2倍になっちゃうよ だから心配しないで 楽しくいこうよ
気を休められる場所がなかった時
誰かがやってきて君のくつろげる場所を奪っていくこともある だけど心配しないで 楽しくいこうよ
大家さんが家賃を払えと言ってきた
君を訴えるって言いだした そんなときも心配しないで 楽しくいこうよ
僕を見てごらん幸せそうだろう だから心配しないで 楽しくいこうよ
ほら僕の電話番号だよ 心配だったら電話してほしい
君を癒してあげれるかも だから心配しないで楽しくいこうよ
お金がなくてもかっこ悪くても
君を笑顔にしてくれる彼女がいなくたって 心配しないで楽しくいこうよ
君が不安になって しかめっ面をしていると
まわりのみんなも暗くなってしまうよ だから心配しないで楽しくいこうよ
心配しないで楽しくいこうよ
また僕の書いた歌ができたよ ちょっと口ずさんでごらん 子供のように
心配しないで楽しくいこうよ
耳を傾けて欲しい
君の人生に困難はつきもの でも心配ばかりしたら心配も2倍になっちゃうよ
だから心配しないで 楽しくいこうよ
心配しないで 楽しくいこうよ
ほら笑ってごらん しかめっ面だとみんな暗くなっちゃう
心配しないで どんなことだって過ぎていくものさ
心配しないで 楽しくいこうよ
僕は心配しないよ 僕は幸せだよ
え。カット本当に半額にしてくれるのか口だけじゃないのかって。
誰だと思ってんだ。斉藤さんだぞ。
やましなす。今回は久しぶりに山科情報の記事です。
あれっと思われた方。それは単なる気のせいです。
思い起こせば数年前。今はグランドボウルと言う名前になった五条通の故MKボウル。そして隣接していた日野自動車が無くなってイオンモールが立つという噂が山科住民の間でありましたね。
それを早とちりしてブログに載せて一人喜んでいたアホな男がいました。
イッツミー。ザッツオール。
結局話は流れて山科住民の記憶からその出来事すら薄れて今日まで月日は流れました。
そして先日私の耳に、とある情報が飛び込んできました。
山科で生まれて山科で育っている方にはもうすっかり馴染みになっていた、多くの山科民はお世話になっていない場所である、東野の外環状線通りに存在する「山科刑務所」。
その山科刑務所が取り壊される、という事実(もしくは噂)はごく少数の人が知るところだと思います。
その山科刑務所の広大な敷地の後に一体何が出来るのかが判明しました。
これは近隣住民であるとある普通の主婦に聞いた話なので単なるうわさ話だったというオチで終わる可能性もあります。
跡地の利用を立候補した会社というのが
イオン
出ましたイオン。奥さんどうですか。
本当に振り回してくれるイオン。もうこうなったら東部文化会館でもローソンでもとりあえず無くなる話が出たら全部イオンでどうだ。
まあ敷地的には官舎等全て含めば「イオンモール」になるのは十分な大きさだとは思いますが、兎に角腐ってもイオン。
ホンマに来るんかいな。もうオッチャンその話お腹いっぱいやで。
そして最後に又タブーを口にする勇気ある私。
どうなるヒカリヤ。というかダイエー系列だったなヒカリヤ。
「こちらのセットですがパンかライスかどちらになさいますか」
「えっとパンで。」
斉藤です。
レストランでパンかライスどちらをセットにしてつけるのかを問われる事があります。
因みに冒頭の会話は、家族でとあるレストランに行ったときに隣のテーブルで食事をしていた若いアベックの男性の口から発せられた言葉です。
私はこの問いに対しての答えの一つである「パン」と言う選択肢を今までの人生の中で選んだことがありません。
そしてこれからの人生でもその選択肢は選ばないと思います。
いつも私個人の独断と偏見のブログで申し訳ございません。そんな私ですが今回も宜しければお付き合いください。
学生の頃東野にあった「ジョイみのきち」というファミレスに部活の友達10数名で帰りに食べに行った時、この選択肢に対して1人「パン」と答えたI君は、その後仲間たちから「パン」と言うあだ名をつけられていました。
卒業してからしばらくしてI君に再会したとき、I君は私にその当時の事を「本当はパンそれほど好きじゃなかった」と涙ながらにそっと教えてくれました。
彼の人生を大きく変えてしまった選択肢である「男がセットメニューにパン」。
いや。決していけないことはないのです。
勿論個人の選択なんて自由ですし決まり事など何もなく、他人にそれを強要することなんて以ての外です。
お陰様で私の場合は妻と結婚したことによってお弁当のおかずにパン。和食にパン。と言う選択をする人も世の中にいる事を知れました。
そしてその「パン好きな妻」にまるで引き寄せられるかのように、今まで教えてもらえなかっただけで次々にパン好きを暴露するお客様たちが現れました。
日本人って本当にパンが好きですよね。
勿論私もパンは食べます。しかし私の中のデビル斉藤は「日本人の男性の約80%はパンを主食として余り好んで食べないのではないか」と勝手に思っています。
私と言うか男性の胃の中ではパンはお菓子という位置づけなのではないかと偏った考えを持っています。
そんな中、ある他の問題が浮上しました。
先日の月曜日、妻と一緒にお墓参りに行きました。
その道中某医療センターの近くに出来た、新しい和菓子屋さん兼レストランに寄りました。
そのレストランは野菜を中心としたかなりオシャレで健康にこだわりのあるメニューが豊富なレストランでした。
数あるメニューから夫婦でそれぞれ別のランチを注文したのですが、その際私がパンの他で唯一得意としない「あるモノ」がセットについてました。
ランチのセットついていたのは定番の御飯ではなくお赤飯でした。
お赤飯。
なんと言うんでしょう。こう・・・私に対してはジャンルは御飯なのに(大変失礼しました)ちょっと甘くてモチっとしててバクバク食べれない食品。
しかもカヤク御飯のような単品でオカズになるようなタケノコやゴボウではなく、存在は小さいのに味だけやたら甘みのアピール力が備わっている豆。
ほか弁に入っていたら必ず最後まで端っこの小さい専用テリトリーに残ってしまう豆まで入っています。
私にとっては塩をかけて唐牛(かろうじ)で食べられるレベルです。
私は「野菜スパゲティーセット」を注文しました。
味はそれはもう無茶苦茶美味しかったのですが、食べながらとあることを考えていました。
この店で「パンかライス(お赤飯)どちらになさいますか。」とか聞かれたら果たして自分はどうするだろう。
無論そのようなお店にそもそも入る勇気はないと思いますが、万が一知らずに入ったお店がこの2択を必要に迫るお店だったら。
自分一人で抱えるには余りにも大きな問題だと思ったので、本日いらっしゃったお客様(男性)二人に尋ねてみました。
偶然ですが御二人とも私と一緒でパンと赤飯はそれ程好きではない様子でした。
お一人はさんざん悩んだ挙句「パンかな」と答えて下さったのですが、もう一方(ひとかた)は悩み過ぎてその後お帰りになられるまで会話が無くなってしまいました。これは接客業失格でした。
私もこの二日間考えました。
この二日間、私の頭の中では「カレー味のウンコかうんこ味のカレーどっちなら食べれるか」と言う小学生の時によく出てきた議題レベルと同じくらいの討論が繰り返されました。
出した答えはうんこ味のカレーとパンでした。
昔からご近所の方や親戚のおばさんに「いっぱい作ったからおすそ分け」と言う理由で夏の嵐のように突然食卓に現れることになるこのお赤飯という食べ物。
正直「いっぱい作るなや」とずっと思ってました。
頭文字に「お」が付くあたりきっと歴史ある神聖な食べ物なのだと思うので、用意されたら有り難く食べないといけないイメージだけはあるのですが食卓などで白ご飯の代わりに出てくると一気に食欲がうせてしまう自分が情けないです。
コレもまた大勢の日本人、そして妻から見ればかなりの御馳走のようですが、私の人生には今のところそれ程必要のないものです。
確か今でもどこかのコンビニでおにぎりの形をして売られていた姿を見た記憶がありますが、コンビニの店員さんと仲良くなれたら一度聞いてみたい「お赤飯おにぎりを男性で買われる方いらっしゃいますか」と。
後日聞いてみたところ「沢山いるよ」と言われてしまいました。
皆様の中でもお赤飯大好きな男性、又旦那さまや彼氏さんでお赤飯が大好きな人が大勢いる事と思います。
学生の頃の「パン好き」を公言した友人の顔を思い出します。
と言う事でI君に久しぶりにラインで同じ質問を聞いてみました。
I君からの返信には「そんなん選択する位なら海外に移住する俺」という謎の文章の後、大泣きしてるパンダのスタンプが送られてきました。
そこでここしばらくは知人や友人に聞いて回ってみました。
お赤飯好きですか。と。
結果、私の予想を翻し「普通に食べるし」「大好きです」と言う声の多かったこと多かったこと。
むう。私も偏見を無くすように頑張ってまいりたいと思います。
あ。例外でカレーパン、焼きそばパンはお菓子としてなら大好きですのでどうぞご遠慮なく差し入れに持ってきて下さいね。
やましなす皆様。
今回はオーキニーをご利用いただいているお客様にお配りしている「オーキニー通信※」の夏恒例となった「山科の怪談」より、前々号をご覧になられたことの無い方のために以前の「山科の怪談vol2 銚子ノ滝」の記事を載せて置いておきます。
※オーキニー通信Vol18は今週末辺りに到着予定です。
これは私が中学3年生のころの話です。
当時の秋頃ですが仲の良いクラブの友達男女数名と牛尾山にキャンプに行くことになりました。
夕方に差し掛かり皆で薪を集めていると、森の奥から1人の大学生らしき男性キャンパーが現れました。
聞くと、良く一人で牛尾山でキャンプをしているらしく意気投合した私たちはそのまま一緒に夜を迎えました。
その男性がテントの中で色々な怖い話をしてくれたのですがその時に聞いた一つの話を皆様にお話しします。
牛尾山の牛尾観音までの山道を登る途中、5m程の高さの滝「銚子の滝」があります。その場所で今からずっと前の時代、少し悲しい出来事が起こりました。
昔、音羽の牛尾山の山頂付近にあるお寺で御利益があるお札を貰えたそうで、山道を登る人が何人もいたそうです。
ある日、ご利益を授かろうととある子連れの女性が乳母車に小さな赤ちゃんを乗せて山道を登って行きました。
山道の中頃に差し掛かり、一息つく為この「銚子の滝」で一休みする事にして、滝の側にある少しくぼんだ岩陰の側に腰を下ろしました。
その時、少しの間子供から目を離してしまったのですがふと見ると今まで置いてあった場所に乳母車が見当たりません。
慌てた母親があたりを探していると滝の下から何か音がするので見てみると滝の下の岩の上に乳母車と子供の姿が見えました。
水面に流れる血の色を見て取り乱した母親は1人で滝を降りようとしたのですが思ったより険しかったので急いで山道を引返し、ふもとの住民に助けを呼びに行きました。
しばらくして村人を連れて滝の場所まで帰ってきた母親達でしたが到着した時、滝の下には壊れた乳母車が川の流れに揺れているだけでした。
その後川下などもくまなく捜索したのですが結局子供の姿はどこにも見当たりませんでした。
諦められない母親は村人のいう事を聞かず、その滝の側の岩陰を離れようとしなくなり「きっと子供がここにいる」と飲まず喰わずで居座るようになりました。
そしてしばらく滝の横を通る他の参拝者たちに「私の赤ん坊しりませんか」と問い詰めるようになりました。
その後2か月もの間で、髪は乱れ顔はこわばり体は老婆のようになってしまいました。
痩せ細った体で鬼気迫る表情に参拝者達はとても怖がっていたそうですが、やがて「私の赤ん坊返せ」
と恨めしく迫るようになってしまいとうとう気が狂って亡くなって行ったそうです。
それからというもの、その滝の麓を通る際人が居ないのに「私の赤ん坊返せ」と言う声が聞こえるようになったそうでその声を聴いた人は病にかかったり必ず不幸が訪れるようになったそうで村人たちによって供養される事になりました。
今でもその「銚子の滝」の側の岩陰には供養の為子供の形の「彫像」のようなものが埋めてあります。
そして・・・
大学生からその話を聞いた私は友達と二人でキャンプの翌日、早朝に「銚子の滝を実際に見に行こう」とプチ肝試し感覚で朝早くに見に行く事にしました。
「恐怖<モテたい」が方程式の中学生2人にとって滝まで足を運ばせるのはそれ程難しくない事でした。
テントを張っていた川辺より数十分程歩いて降りて滝まで到着した私達でしたが、滝の側に掛かってあった「名札」を見て、あまりの恐怖さに泣きながらその場から走り去ってしまいました。
その滝の側の名札にはこう書かれていました。
聴死の滝
しばらくしてそんな出来事も忘れた高校の頃の私でしたが、ふとした事でその昔話を知っている先生に出会い、その体験談を話したところ「それはおかしい」と首を傾がれてしまいました。
その先生が言うには「聴死」ではなく「銚子」と書かれているはず、だと。そしてその時初めて「銚子の滝」の本当の漢字を知れました。
今となっては、私も当時の友人もその「漢字」は本当に「聴く死ぬ」だったのかハッキリ覚えていませんが、二人が恐怖したことは事実です。
そして現在このO-Keynee付録である「怪談vol2」を作成するに当たり、当時には無かったパソコンのインターネットを利用して
山科 牛尾山 銚子の滝
と検索してみました。
すると何件かヒットしたので知識として見てみるとあるサイトに滝の名称がこう書かれていました。
「聴呪ノ滝」
そして「銚子の滝とも言われています」との追加説明が書かれてありました。
あの時見たのは「呪い」と言う文字だったのかも知れませんが、やはり見間違いでは無かったと言う事です。
久しぶりに思い出して背筋にゾクゾクしたものを感じました。
やましなす。いやぁ久しぶりにこの挨拶で始まると実に清々しい気持ちになりますね。
ついに「お白湯(おさゆ)」が甘く美味しく感じ始めた男斉藤です。
突然ですがもうすぐ父の日。
毎年この時期になると家族から色々な幸せな想い出をプレゼントされます。
妻からは実用品、娘からは愛情あふれる手作りのモノや私の好きそうな「文庫本」。因みに去年は「できる男の美学」と言うタイトルの本を頂きました。
そんな中ちょっと嬉しい悩みを抱えてます。
その種を作ってくれているのが息子。と言うか今は息子。
私の子供たちはお陰様で住まいの近く、歩いて2分の距離にある保育園にて長年お世話になってきております。
教育理念がしっかりしていて本当に大変素晴らしい保育園です。
その保育園で、毎年父の日になると子供からのサプライズとしてお父さんに感謝の気持ちを込めて工作品をプレゼントするという行事があります。
そこでいつもその日に帰宅すると、別段子供から「はいお父さんプレゼント。いつもありががとう」とも言われる事も無く、リビングのテーブルの上に手作り感たっぷりの紙細工のモノが置かれてあります。
私の娘は今年で9歳になるのですが思い起こせば8年前。1歳の頃に保育園でお世話になり始めました。
その当時の父の日に手作りで持って帰ってきたものが始まりだったと思います。
始まりはボールペンホルダー。
まだはっきりとした日本語を発する事出来ない1歳だった娘が私にくれたその父の日のプレゼントは、A4サイズの青いボール紙の上の部分に食(は)み出る感じで娘の笑顔の写真が張り付けられていて、中央にA5サイズ程の画用紙、左の部分に四角く折り曲げられた何かを入れる感じの突起物が付いていました。
中央の画用紙には「いつの間にこんな上手なひらがながかけるようになったんや」と感心しざるを得ないほどのきれいな字で「おとうさんいつもありがとう」と言う文字が書かれていました。
そして中央の画用紙部分には恐らくは娘のであろう、手形と指形が無作為に赤や青色、それらが混ざった色で何とも言い難い模様が自由にデザインされていました。
作品の上部、娘の写真の後ろ側にビニールひもがついていることから、察するにどうやら壁掛けのペンホルダーと認知しました。
「しーちゃん(娘)凄いな。これしーちゃんが作ったんか。」
その当時は感激していた私が、やや興奮気味に娘に尋ねたところ、娘からは「あぅ。とーたんとーたん。」と言った言葉が返って来ました。
私はそれを自分の寝室にオブジェとして飾ることにしました。
そして1年後の同じ日に、娘が今度はプレゼントとして赤ちゃんの受け皿付前掛けのような、これまたボール紙で作成した物をくれました。
前回のと何処となく同じような形のソレには今度は少し大きくなった保育園での芋ほり時のワンショットで娘の歯に噛んだ表情の写真が貼られていました。
所せましと色とりどりの色鉛筆でグルグルと渦巻きやら複雑な線がデザインとして描かれていました。
以前のモノとは異なり、壁掛け用ではなくさらに立体的になっていて、何か平らな所に置く感じのモノでした。
私はそれを自分の寝室のベッドの横のサイドテーブルに置いて冷暖房機や照明のリモコンスタンドとして飾ることにしました。
その次の年、今度はあれだけ上手にかけていた字が急に下手くそになってしまい「ぉとぅさんぉしごとがんばつて」と何とか読めるレベルの個性あるメモスタンドを送られました。
私はそれを寝室のテレビの上のダッシュボードの棚に自動車税納入書入れとして飾ることにしました。
そして次の年。眼鏡をかけたボワワンとしたひげ面の口紅濃い目のオジサンの絵が描かれた周りを星やハートで縁取られた、なんだか本のような見開き風の画用紙をプレゼントされました。
私はそれを寝室の帽子掛けのハンガーラックの上にそっと配置しました。
次の年は手にハサミを持った私にやや似ている短足のお兄さんの絵を頂きました。
入り口の扉の上部に飾りました。
そして保育園の娘の集大成となる最後の父の日のプレゼントには驚愕の大きさの似顔絵の画用紙を頂けました。
と言う事で娘が卒園するまでの間に作成された父の日のプレゼントの紙細工のオブジェで装飾された寝室で毎晩素敵な夢の世界へ旅立っています。
そしてお陰様で娘と入れ替わりで息子が同じ園に入る事が出来ました。
2年前の父の日に私が仕事から帰ってくるとリビングに何やら見た事のあるモノが置かれていました。
それが息子からの私へのプレゼントだと言う事を感知するのはとても安易な事でした。
笑顔いっぱいの拡大された息子の写真が張り付けられた、ビニールひもが上部についている壁掛け用のタペストリー。
前方に突起物があることからどうやら小物入れ、恐らくはペンか何か長いものを入れるものでしょう。
ううんなんてデジャヴ。
私はそれを寝室にとりあえず持って上がりました。
そして去年の父の日。
兄から一本のラインが入りました。
兄のラインには「こんなん幼稚園で作って持って来よったんやけどどうすんねんコレ。」という文字が書かれてありました。
その後に続いて送信されてきた画像には、幼稚園に入園したばかりの甥っ子が作って持って帰ってきたと思われる手作りのプレゼントが写っていました。
写真で見た感じ、甥っ子の顔が丸く切り取られその周りにひまわりにみたてた感じで色紙で作られた花ビラがいくつもついてある、立体的な一輪挿しの花のような工作品でした。
下の鉢植え(画用紙細工)には「おとうさんいつもありがとう」と文字がまだ読めない甥っ子が書いたとはとても思えないきれいな字で書かれていました。
私は手に持っていた息子からのプレゼントである息子の写真が張り付けられているプレゼントを見ながら返信を打ちました。
「大切な大切な想い出や。黙って飾ってあげや。」
自分に言い聞かせる意味も含みながらそっと打ち込みました。
「これから毎年感謝される事になるで。お互い頑張ろうな。」
と言う事で現在私の寝室には子供たちが作ってくれたであろう実に色とりどりの工作品が8品飾られています。
もうすぐ父の日です。
蒼衣君(息子)。今年はちょっとお父さんリクエストがあるんだけど。
もし今年も蒼衣君がお父さんにプレゼントをくれるのなら、出来たらでいいので立体的なものじゃないほうがお父さん嬉しいな。
あと、実用的なものでなくても嬉しいかも。
もう一つ付け加えると、プレゼントって大きさが小さいからと言って感謝の気持ちが小さいって思わないんだ父さん。
だから出来たらはがきサイズ、そうか写真サイズの大きさ位のものが父さん好きだな。
もっと言えば、「ありがとう」って言葉だけでお父さん幸せで一杯になる。うん明日からもずっと頑張れる。
また今年の夏も一緒に想い出たっくさん作っていこうな。
小学校に入学するころにはお父さんの寝室、ひょっとしたら耳なし芳一みたいに壁中作品だらけになってるかもね。
良い子供たちに恵まれてお父さん本当に幸せだよ。