やましなす。いやぁ久しぶりにこの挨拶で始まると実に清々しい気持ちになりますね。
ついに「お白湯(おさゆ)」が甘く美味しく感じ始めた男斉藤です。
突然ですがもうすぐ父の日。
毎年この時期になると家族から色々な幸せな想い出をプレゼントされます。
妻からは実用品、娘からは愛情あふれる手作りのモノや私の好きそうな「文庫本」。因みに去年は「できる男の美学」と言うタイトルの本を頂きました。
そんな中ちょっと嬉しい悩みを抱えてます。
その種を作ってくれているのが息子。と言うか今は息子。
私の子供たちはお陰様で住まいの近く、歩いて2分の距離にある保育園にて長年お世話になってきております。
教育理念がしっかりしていて本当に大変素晴らしい保育園です。
その保育園で、毎年父の日になると子供からのサプライズとしてお父さんに感謝の気持ちを込めて工作品をプレゼントするという行事があります。
そこでいつもその日に帰宅すると、別段子供から「はいお父さんプレゼント。いつもありががとう」とも言われる事も無く、リビングのテーブルの上に手作り感たっぷりの紙細工のモノが置かれてあります。
私の娘は今年で9歳になるのですが思い起こせば8年前。1歳の頃に保育園でお世話になり始めました。
その当時の父の日に手作りで持って帰ってきたものが始まりだったと思います。
始まりはボールペンホルダー。
まだはっきりとした日本語を発する事出来ない1歳だった娘が私にくれたその父の日のプレゼントは、A4サイズの青いボール紙の上の部分に食(は)み出る感じで娘の笑顔の写真が張り付けられていて、中央にA5サイズ程の画用紙、左の部分に四角く折り曲げられた何かを入れる感じの突起物が付いていました。
中央の画用紙には「いつの間にこんな上手なひらがながかけるようになったんや」と感心しざるを得ないほどのきれいな字で「おとうさんいつもありがとう」と言う文字が書かれていました。
そして中央の画用紙部分には恐らくは娘のであろう、手形と指形が無作為に赤や青色、それらが混ざった色で何とも言い難い模様が自由にデザインされていました。
作品の上部、娘の写真の後ろ側にビニールひもがついていることから、察するにどうやら壁掛けのペンホルダーと認知しました。
「しーちゃん(娘)凄いな。これしーちゃんが作ったんか。」
その当時は感激していた私が、やや興奮気味に娘に尋ねたところ、娘からは「あぅ。とーたんとーたん。」と言った言葉が返って来ました。
私はそれを自分の寝室にオブジェとして飾ることにしました。
そして1年後の同じ日に、娘が今度はプレゼントとして赤ちゃんの受け皿付前掛けのような、これまたボール紙で作成した物をくれました。
前回のと何処となく同じような形のソレには今度は少し大きくなった保育園での芋ほり時のワンショットで娘の歯に噛んだ表情の写真が貼られていました。
所せましと色とりどりの色鉛筆でグルグルと渦巻きやら複雑な線がデザインとして描かれていました。
以前のモノとは異なり、壁掛け用ではなくさらに立体的になっていて、何か平らな所に置く感じのモノでした。
私はそれを自分の寝室のベッドの横のサイドテーブルに置いて冷暖房機や照明のリモコンスタンドとして飾ることにしました。
その次の年、今度はあれだけ上手にかけていた字が急に下手くそになってしまい「ぉとぅさんぉしごとがんばつて」と何とか読めるレベルの個性あるメモスタンドを送られました。
私はそれを寝室のテレビの上のダッシュボードの棚に自動車税納入書入れとして飾ることにしました。
そして次の年。眼鏡をかけたボワワンとしたひげ面の口紅濃い目のオジサンの絵が描かれた周りを星やハートで縁取られた、なんだか本のような見開き風の画用紙をプレゼントされました。
私はそれを寝室の帽子掛けのハンガーラックの上にそっと配置しました。
次の年は手にハサミを持った私にやや似ている短足のお兄さんの絵を頂きました。
入り口の扉の上部に飾りました。
そして保育園の娘の集大成となる最後の父の日のプレゼントには驚愕の大きさの似顔絵の画用紙を頂けました。
と言う事で娘が卒園するまでの間に作成された父の日のプレゼントの紙細工のオブジェで装飾された寝室で毎晩素敵な夢の世界へ旅立っています。
そしてお陰様で娘と入れ替わりで息子が同じ園に入る事が出来ました。
2年前の父の日に私が仕事から帰ってくるとリビングに何やら見た事のあるモノが置かれていました。
それが息子からの私へのプレゼントだと言う事を感知するのはとても安易な事でした。
笑顔いっぱいの拡大された息子の写真が張り付けられた、ビニールひもが上部についている壁掛け用のタペストリー。
前方に突起物があることからどうやら小物入れ、恐らくはペンか何か長いものを入れるものでしょう。
ううんなんてデジャヴ。
私はそれを寝室にとりあえず持って上がりました。
そして去年の父の日。
兄から一本のラインが入りました。
兄のラインには「こんなん幼稚園で作って持って来よったんやけどどうすんねんコレ。」という文字が書かれてありました。
その後に続いて送信されてきた画像には、幼稚園に入園したばかりの甥っ子が作って持って帰ってきたと思われる手作りのプレゼントが写っていました。
写真で見た感じ、甥っ子の顔が丸く切り取られその周りにひまわりにみたてた感じで色紙で作られた花ビラがいくつもついてある、立体的な一輪挿しの花のような工作品でした。
下の鉢植え(画用紙細工)には「おとうさんいつもありがとう」と文字がまだ読めない甥っ子が書いたとはとても思えないきれいな字で書かれていました。
私は手に持っていた息子からのプレゼントである息子の写真が張り付けられているプレゼントを見ながら返信を打ちました。
「大切な大切な想い出や。黙って飾ってあげや。」
自分に言い聞かせる意味も含みながらそっと打ち込みました。
「これから毎年感謝される事になるで。お互い頑張ろうな。」
と言う事で現在私の寝室には子供たちが作ってくれたであろう実に色とりどりの工作品が8品飾られています。
もうすぐ父の日です。
蒼衣君(息子)。今年はちょっとお父さんリクエストがあるんだけど。
もし今年も蒼衣君がお父さんにプレゼントをくれるのなら、出来たらでいいので立体的なものじゃないほうがお父さん嬉しいな。
あと、実用的なものでなくても嬉しいかも。
もう一つ付け加えると、プレゼントって大きさが小さいからと言って感謝の気持ちが小さいって思わないんだ父さん。
だから出来たらはがきサイズ、そうか写真サイズの大きさ位のものが父さん好きだな。
もっと言えば、「ありがとう」って言葉だけでお父さん幸せで一杯になる。うん明日からもずっと頑張れる。
また今年の夏も一緒に想い出たっくさん作っていこうな。
小学校に入学するころにはお父さんの寝室、ひょっとしたら耳なし芳一みたいに壁中作品だらけになってるかもね。
良い子供たちに恵まれてお父さん本当に幸せだよ。
やまっしなす皆さま。今回は久しぶりに山科情報の記事です。
思い起こせば約2年前。今は無き五条通のMKボウル、そして隣にあった日野自動車が潰れるやらなんチャラやらという噂が立ったことがありました。
それを嬉しがってブログに載せて一人大騒ぎしていたバカちんがいましたよね。
だぁれだ。はい私ですが何か。
結局あの話も実は本当だったらしくて、9割イオンが立つ予定たったらしいです。
それが五条通の交通の問題(渋滞緩和)、そして地域住民の反発によって取りやめになったそうです。
結局、多くの人の期待を大きく裏切り後に立ったのは自動車メーカーの工場とショールームというオチでしたが、そんな事ではくじけないこの私。
ついに、いや要約、その筋で確かな情報をゲットしました。
山科で生まれて山科で育っている方にはもうすっかり馴染みになっていた、多くの山科民がお世話になってきたと言っても過言ではない、椥辻の新十条通りに存在する「洛東教習所」。
その洛東教習所が取り壊される、という事実は多くの人が知るところだと思います。
その洛東教習所の広大な敷地の後に一体何が出来るのかが判明しました。
これは近隣住民だけでなくその跡地の利用を立候補していたとある会社の社員に聞いた話なので間違いないかと思われます。
跡地の利用を立候補した会社は残念ながらとある他の企業に負けてしまったそうですが、その負かした会社と言うのが
イオン
ちょっと奥さん又イオンですって。
本当に振り回してくれるイオン。この人間国宝斉藤広観あなたの事をなかなかのやり手だと認定してあげましょう。
まあ敷地的に「イオンモール」になるのは難しいかもしれませんが、兎に角腐ってもイオン。
ホンマに来るんかいな。今度は頼むで。
そして最後にタブーを口にする勇気ある私。
どうなるヒカリヤ。というか頑張れヒカリヤ。
お久しぶりです斉藤です。ここの所バタバタしていてブログをマメに更新出来ずにいます。
今回は久しぶりに真面目なブログになります。
ここ数年お陰様でオーキニーは多くのお客様にご来店いただけるようになりました。
しかもご新規のお客様は御紹介の方がほとんどです。
最近ではご紹介のご紹介で、山科以外からオーキニーまでわざわざ足を運んでくださる方が増えました。本当にありがとうございます。
私はいつもそれらのお客様を施術させて頂くときに感謝と共に一種の罪悪感のようなものを感じていました。
罪悪感というより「申し訳ない気持ち」と言った感情です。
勿論その方々がオーキニーや私たちに対して、その価値を持ってくださっているからなのでしょうが、素直に言うと、わざわざ遠くまで時間やお金を余分に払って来て頂いている、しかもその日の予定をほぼ一日空けてまで毎月、と言う事が本当に申し訳なく思っていました。
そんな遠方からのお客様のお一人に兵庫県からご来店いただいている方がいらっしゃいます。
その方は兵庫の丹波、篠山(ささやま)の山奥でご夫婦でピザ屋さんを経営されています。
そのお客様のお店は丹波篠山でも超有名なピザ屋さんで、休日や週末などは1時間待ちは当たり前。混雑時には2時間以上待つ事もザラだと言う事でした。
何度かインターネットなどでそのお店の検索をかけてみてもそのどの記事にも大変評判がよいものばかりでした。
そんな繁盛店のご夫婦が、毎月お店(ピザ屋さん)がお休みの日に、わざわざご主人が篠山から車を飛ばして美容室の前まで遠路遥々送って下さっていたのです。
そんなお客様に「一度篠山のお店に食べに来てください」と声をかけて頂いていました。
何度か食べに行く計画を立てては予定が入り予定が入りで行けずにいたのですが、先日の日曜日に要約家族でお世話になりに行ってきました。
高速を利用してスムーズに流れていたため朝の9時半頃に出発してお店についたのは11時過ぎ。下道を利用したり高速が混んでいたら恐らく2時間はかかったことと思います。
高速を降りてから、途中車酔いで息子が車内でゲロってしまうほど山道が長く続きました。
ナビを頼りに店を探していると、山道の途中で雰囲気が明らかに違う開けた場所が見えました。
林を抜け見えてきた小さな手作り感あふれる建物。その横に辺りの風景にとても不似合いな位の台数の車が駐車されていました。
お店の入り口のアーチを潜りオシャレな中庭の奥に足を運ぶと待合室に溢れんばかりの入店を待つ人達が腰を掛けていました。
「天気が小雨やし空いていると思うから行こうか。」
そんな甘えた考えが恥ずかしくなるくらいの予想を超える繁盛ぶりでした。
程無くして奥様(お客様)が私たちを確認してくださり「よく来てくれたね。本当に有難う。」と素敵な笑顔で挨拶してくださいました。
待っている間に中庭や近くの池などで野生のカルガモやメダカなどを観察したり雰囲気を楽しんでいると、先に食事をされている他の方たちに運ばれてくる食べ物が目に入ってきます。
サラダやピザ、パスタに至るまで遠くから見ても分かるくらいに贅沢な色とりどりの食材とボリューム でした。
店内は満席でとても忙しそうな雰囲気の中、奥様をはじめとするホールスタッフの方々がテーブルに運んで来た料理を元気のよい声でとても丁寧に説明されていました。
聞いていて見ていてとても気持ちの良いものでした。
いつも奥様を送って下さっているご主人に挨拶をしようと探したのですが、厨房で一人忙しそうに一生懸命ピザを焼かれていたので邪魔になってはいけないと機会を待つことにしました。
しばらくしてテーブルに案内していただき、奥様といつものように気さくに会話を交わした後にスープやサラダを持ってきていただきました。
普段野菜をそれほど好きではない娘が、運ばれてきたサラダをビックリする位おいしそうに食べていました。
かぼちゃを食べない息子が、美味しいといって最後のスプーンを舐めるくらいかぼちゃスープに夢中でした。
いつも私の小皿に多めにサラダを取り分けてくれるはずの妻も自分の目の前にサラダの大皿を寄せて置いていました。
そしてメインのピザが運ばれ来て、その生地の薄さと具材の厚さ、そしてチーズの贅沢さに家族4人で驚きの声をあげました。
今まで私は「ピザ」は誰が作っても何処で食べても美味しいもの、だと思っていました。
違うんですね。間違っていました。
誰が作るか、どこで食べるか、そしてそれらを彩る付加価値によってこんなにも違う食べ物になるんだと言う事を知りました。
食べながら家族を他所に一人涙が出そうになりました。
美味しかったからと言う理由からではありません。残念ながらそんな素敵な性格は持ち合わせておりません。
お水のお替りや食器の片付けも、山科の居酒屋では感じたことがない絶妙なタイミングで声をかけてくださるスタッフさん達。
繁盛店だからと言ってテーブルやスペースをただ単に広げてしまうのではなく、目が行き届く範囲のキャパシティの中で接客をすることの大切さ。
一流ホテルや繁華街の一角にある有名店ではなく山奥でひっそりとオープンしているお店でホテルなみのおもてなしをされるなんて。
勿論商品や技術は確かなものでなくてはならないのですが、人は「モノ」や「場所」が重要ではなく「人」は「人」に引き付けられると言う事を改めて感じずにはいられませんでした。
ご挨拶がまだだったのでコーヒーを飲んでいる最中ずっと目が合わないか、とご主人の方を見ていたのですが、ご主人は一心不乱にピザを丁寧に焼いてはあげてを繰り返されていました。
その間も奥様は今どこで何をしているのか見なくても手に取るように解るくらいに各テーブルで元気に声を出されていました。
勝手な見方ですが、ご夫婦のその信頼関係も素晴らしいと思いました。
御勘定の際に要約ご主人に挨拶をさせて頂きました。
まだまだお忙しそうだったので、手を止めてはいけないと思い挨拶だけになってしまいましたが本当に美味しかったです。料金設定間違ってるんじゃないか、と思えるくらい大満足でした。
何かうまく言えませんが、間違いなく「本物」のご夫婦とお店だと実感しました。
もう一度今度は母や兄を連れて来よう、と帰りの道中妻と話をしていました。
私が泣きそうになったのは、そんな本物に選ばれてきていただけている自分やオーキニーに対して「何を情けないことを思っているのか」という感情からでした。
本物の人が選ぶものは本物だけ。
自分たちがやっていることは本物だと、もっと良い意味での自信を持ってやっていかなければいけないんだと。
昔、ある先生から言われた事を思い出しました。
斉藤さん。斉藤さんが選ぶのはどういう店。近くだから、安いから選ぶ店なの。
遠くても高くても行く人にはそういったお客様が自然と集まってくる。
逆に言うと近いから安いからばかり探していると、そういうお客様しか来なくなるよ。
だから自分がしたい店、やりたい事を自信を持ってやっていれば自然に自分が求めるお客様が来てくれるよ。
あなたのやっている事求めていることは全然間違っていない。もっと自信を持っていいんだよ。
覚えているつもりで心のどこかで忘れていました。
奥様(お客様)ご招待いただいて本当に本当にありがとうございました。
性格上自信を持つ事が大変困難だとは知っていますが、申し訳なく思う事が間違っていることに気が付きました。
ていうか申し訳無く思う余裕があるなら感謝の気持ちをもっと持て言う事やん。自分まだ余裕やんって話ですよね。
「こんにちは」には「こんにちは」。「おはよう」には「おはよう」。「ごめんなさい」には「ごめんなさい」。
そして「りんごはどうじゃ」には「ありがとう」。いや違った「ありがとう」には「ありがとう」。
オーキニーにご来店いただいているお客様たちが本当に素敵な方たちばかりなのは、自分たちも少しは素敵になれてこれているからかも知れません。
これからも素敵なお客様に出会えるために自分たちの素敵を磨いていきます。
目指すは、私がドイツに移住しても皆さんが飛行機に乗って来てくださるようなお店作りです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
久しぶりのアップで長々と失礼いたしました。
やましなす皆様。コシコシしてますか。
先日、ローソンで見つけた前回のブログの画像を見せたところ、食事中にもかかわらず「よっし」と高々と力強く拳を握りしめガッツポーズをとったために手に持っていたお弁当箱をひっくり返してしまった、そんな妻と共に生きていく事を誓った男斉藤です。
腑(ふ)に落ちない。
腑とははらわた(臓器)の事。腑は考えや感情が宿るところと言われ、心や心の底と言った意味がある。そこから「人の言う事(意見)が心に入ってこない、納得できない」と言う意味で「腑に落ちない」という言葉になった。(Wikiより)
実に腑に落ちない。
いや。前回のブログの事なんですけどね。
妻が余りにもその後自分に自信を持ちすぎているようなので、少し本気を出して調べてみました。
コシコシという言葉が本当にあるのかどうか。
と言う事でグーグルの検索に「コシコシ」入れてみました。
真っ先に表示されてきたURLのタイトルは「コシコシ(こしこしこし)とは」と言うサイト。
サイトを覗いてみると以下のような事が書かれてありました。
こしこしこしこし
これは明らかに違うと言う事で更に下の方のタイトルを探してみると、これ私が書いたのではと疑うようなサイトのタイトルが私の目に飛び込んできました。
「麺がコシコシする。面がシコシコする。どっちが正解・・・Yahoo知恵袋」
世界中を探すと、自分とそっくりな人間が二人はいると言われているそうですが、これは間違いなく私と私の妻のような問題に遭遇している人が世の中にいたと言う事。
早速そのyahoo知恵袋に書かれていた質問を見てみました。
Q 麺がコシコシする。麺がシコシコする。
どっちが正解ですか。
麺がコシコシすると言ったら笑われました。
シコシコの方がおかしいと思います。
どなたかご回答お願いします。
ちなみに共感した人の数1名。
そしてベストアンサーに選ばれた回答がこちら
A 麺にコシがあるとは言いますが、コシコシとは言いません。
麺にシコがあるとは言いませんが、シコシコするという表現は使いますね。
なるほどごもっともでございます。
そしてその後縦続きに続くアンサー。
A シコシコだと思います。
A シコシコでしょう。コシコシは使ったことありません。
A 私は、シコシコすると言いますよ。コシコシは聞いたことはありません。
A うどんはシコシコしますが、あなたはシコシコしますか。
・・・
最後の方はドンドン下ネタに走っていきそうな流れで怖かったのでこの辺で紹介を終えますがやはり存在しない言葉なのでは・・・そう思いながら画面をスクロールしているとまた違う記事がありました。
「透明で細麺、ツルツルコシコシ探し求めてまた出会えた幻のうどん」
さらっとコシコシ使っとるやん。
さらに他にも「コシコシしたうどんが美味しい」というタイトルもありました。
その他、「人気のコシコシ動画11本」と言うのもありましたが明らかに見たらあかんタイトルだと思いこれはスルッと関西安定。
しばらくして何だか見たことのあるタイトルが出てきて、うちの店のブログがこんなにも上位に出てくるとはと少し怖く恥ずかしくなって終了。
結果。おそらくですが存在はしないけど少なくとも使用はされていると言う事が判明しました。
と言う事で迷宮入り決定。
どなたか「コシコシ使ってるよ」と言う方がいらっしゃったら教えてくださいね。
画像は今回の締めくくりに実にピッタリのキャラクター。NHKのコシコシ代表者。著作権すみません。
先日、鶴喜そばでコシコシしてきたばかりの斉藤でした。
私の妻は凄い人です。
いや。そんな事は昔から分かっているつもりでした。
前回のブログ「コシコシ」から早や1か月。
驚愕の事実が判明。
これからは彼女の言う事をもっと重く深く受け止めて尊重していきたいと思います。
いや。でもひょっとしたらローソンの社員又は重役の方がオーキニーのブログを見て「このフレーズいただき」と思い使われたかもしれない可能性も残っているのでそれに賭けてみたいと思います。
写真を撮るために慌てて店までダッシュで戻りスマートフォンを手に信号を往復ダッシュしたら、ご近所さんのお客様に出くわしてシドロモドロした男斉藤でした。