あけましておめしなす皆さまご無沙汰しております。
毎年欠かさず行っていた初詣の伏見稲荷大社でしたが、近年あまりにも外国人観光客が多く、臨店のサービス低下(ひどいです)及び道中の歩行困難(止まっての自撮りやめれ)のためについに断念してしまった男斉藤です。
あ。勿論氏子である三ノ宮神社と岩屋神社の参拝は行きました。
年が明けてから既に一か月が経過していて、ブログを全く更新していない事に今気が付きましたので慌てての更新でスクスクデスク。
早いもので店の移転から4カ月経ちました。
引っ越しするまでは仕事が終わってから妻が急いで家に帰り晩御飯の支度をしてくれていたので偶に間に合わず、「今日は外食しよう」と外に出る事も多かったのですが、最近二階に上がるだけで良くちょっとした支度が出来るようになったので、家族で外食する事が全く無くなりました。
そんな事で気分転換に先日、仕事終わりに家族で外食に歩いて出かけることになりました。
向かった先は御陵界隈にお住まいの方の間で有名なお店「すがきや」さん。
ご存知ない方の為に説明するとこのすがきやさんは、個人の店でありながらメニューが豊富で、その個性からちょくちょくテレビに出演している有名店です。
尚、お店の一番の売りは「手相占い」。
以前、御陵の交差点でお店をしていた時も何度か「この辺りで占いが有名なお食事するところって何処ですか。」と迷い人が入店される事がありました。
聞くと結構遠くからいらしていたりしていたので(八幡や亀岡、挙句は兵庫県)「そんなに有名なんだ」という認識はありました。
家族にも話していたので妻や娘が一度行ってみたい、と常日頃から熱望していましたが漸(ようや)く機会が出来たのです。
「お父さん予約してくれてありがとう。」ウンウンと本来なら「家族が喜んでくれる顔を見たくて連れて行ってあげた優しいお父さん」という像が成り立つのでしょうが、邪(よこしま)な私が連れて行った理由は実はそうではありませんでした。
話が少し逸れますが、長年美容師としてお客様に携わっていて、最近本当にお客様の頭や肩首を触っているとコリが分かり「どうすれば解(ほぐ)れるか」が分かってきました。
数年間リンパやツボの勉強をしてきて「もっと極めるところまで勉強しようか」と考えていた所、お正月番組で「島田さん」という有名な手相占いの方が出ている番組を見てこう思う私が居ました。
占いもええんちゃうのコレ。
いや美容の仕事をもっと勉強しようよ。という声が聞こえてきますが知らんぷり。そんなコンナの私の中で「マッサージ」or「占い(などのカウンセリング)」どちらを選ぶかというプチ二択が発生していました。
誰にも止められることの無い少年の様な純粋な私の気持ちは膨らみ続け、とうとう到着したのが
「すがきやさんでやっている手相占いを見て学び、二択の選択をしたのち結果次第で弟子にしてもらうか考える」
という答えでした。話を戻します。
誰にも知られる事ない邪心を胸に、私と家族はすがきやさんに入店しました。
1人で厨房を回し忙しくされている女将さんのタイミングを見量り、期待に胸膨らませた妻と娘、私も行きたいと言ってついて来てくれた母親、サッカーでクタクタ爆睡中の息子の「名前」「誕生日」「血液型」を記入した紙を手渡しました。
しばらくして女将さんがテーブルに来てくれ「ご主人は。ご主人の情報が書かれてへんけど。」と尋ねてきたので「僕は良いです。女性軍の手相を見てあげてください。(その方が占い中を第三者としてしっかり見学できるから)」と伝えました。
そう言う私に女将さんは「あなたも見た方がいいよ」と言って結局無理やり書かされる事になり渋々でしたが紙に情報を記入しました。
その後女将さんはしばらく奥に引っ込みメガネをかけて何か本を見てからの数分後、片手に虫眼鏡を持ち再びテーブルに笑顔で戻ってきてくれました。
そして手相を見る前に女将さんはある程度の家族関係や個人の性格をほぼ的中されました。
ただ困った事に話の内容が(妻との関係、家族の方向性、母親との関係等)殆ど私を中心とした話になってしまい、途中から焦りだした私が頻(しき)りに「いや私は良いので女性軍を」と元の線に戻そうと繰り出していたのですが努力虚しく気が付くと「ええ。そうなんですか。マジで。当たってる。」と聞き入ってしまっている自分が居ました。
というか途中で気が付いたのですが、女将さんが教えてくださっている「占い」は昔私も読んでいた四柱推命を中心とした話でした。
最後に手相を見てもらい、娘の将来就く希望する職業への適正を聞いてなんだかんだで15分程のカウンセリングは終了しました。
「楽しかったな」「美味しかったね」予想以上に女性軍は喜んでくれた様子。
家路の道中。寒空の中満足する家族の会話を聞きながら私だけは違ったことを考えていました。
すがきやさんの女将さんは、手相じゃなくて総合的な占いを勉強している。
ざっと思い返してみても四柱推命学と六星占術、そして手相と姓名判断の話が複合されていたな。
タロットや手相という独立したジャンルさえ勉強すれば何とかなるのではないかと考えていたが甘かったか。
占いの途中で私は二足の草鞋(わらじ)を履く器量がある、と言われたので「おっ」と一瞬その気になったけど多分手相占いでは無い。
人生は勉強常に前進あるのみ。
また一つ大人になった私が空を見上げるとオリオン座を中心とした冬の星座が綺麗に輝いていました。
隣で歩いている娘に星座のうんちくを教えていると、ダンサーの夢が若干近づいて浮かれていた娘は私に尊敬の眼差しをくれました。
オリオンの傍らにうっすら見えるおうし座、冬の大三角形を見ながら思いました。
星座占いもええな。
何となく聞いたことある気がするけど星座占いってやってる人あったっけ。
そしてつぎの日の朝に放送されていた朝の情報番組で「星座占い」が全国ネット規模でやっている「あてにならない占い」だった事を思いだしショックを受けました。
そんな私に優しくテレビは告げてくれました。
今日もっとも運勢が悪いのはごめんなさいてんびん座のあなた。思ったことがうまくいかず落ち込む一日に。気分を変えて違うジャンルに取り組んでみるのもいいかもぉ。でも大丈夫そんなあなたの運を開くラッキーアイテムは透明の傘。
いつも思うけどホンマ俺を監視してるんちゃうかこの番組。
数分後Amazonで高級透明傘をポチっていた私がそこ居ました。
そんな理由がある事をつゆ知らずの妻は、突然プレゼントされた透明の高級傘を素直に喜んでくれていました。
と言う事で皆様が次にオーキニーにご来店になられる際、もしかするとお札を数枚挟んだ変な鉢巻をして白装束でお迎えしたり、お帰りの際に高額な開運グッズを売りつけたりする店主が出てくるかもしれませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
最後になりましたがすがきやさんの占いは色々当たっていた事をご報告しておきます。
やましなす皆様。建設ラッシュが続く小京都の山科。忙しい街にならないかと心配でならない男斉藤です。
五条通沿いの田んぼでのゲンゴロウ採りや空き地でのレンゲ積み、六兵衛池公園や三段池でのザリガニ釣りはもうできないのですね安西先生。
最近の日課で毎晩布団の中で Amazon Music でお店で流すBGMの編集をしています。
そんな中1人の素敵なアーティストさんの音楽に出会いました。
その方の旋律と歌詞は、心にとても心地よく「何のために頑張るか」という事を思い出させてくれ、背中を後押ししてくれるような気持ちになるので、しばらく営業が終わってからというもの、その方の歌を聞くのが私にとって晩酌よりも大事になっていきました。
仕事が終わりリビングに上がると妻と息子がいつものようにお風呂に入っていたので、先に独りで晩酌を始めていました。
カウンターテーブルで考え事をしながらスピーカーで曲を流しました。
↑40~50代の方は良かったら是非聞いてみて下さい
引っ越して以来色々な事件が起こり少し気を病む時間が続いていました。
アルコールよりも体に染み渡るその歌声に思わず涙がこぼれて来て、音量を上げてしばらく聴き入っていました。
今まで一人で生きてきたつもりの自分がいつの間にかそうではなくなり、頑張っている姿を家族が見て必要としてくれている。
聞いているとそういう気持ちになっていき「よしがんばろう」と思いました。
そんな私の前に風呂から出てきたハンチン(フルチンの半分)状態の息子が笑顔で走ってきました。
私がやや涙ぐんでいるのを見て、風邪気味なのにおどける息子の顔を見ていると元気が出ました。
心配させまいと涙をこらえながらスピーカーの辺りを眺めていると、一緒にお風呂から上がって来た妻がツカツカとスピーカーに近づいてきました。
「うるさい」
突然スピーカーのボリュームを下げられました。
「あおくん(息子)風邪ひいてるんだよ。うるさいにきまってんじゃん。」
そう言いながら私の表情が曇ったのを見逃さなかった妻は少しだけボリュームを戻してくれたのですが、機嫌が悪くなった私は飲みかけの缶ビールをそのままにして自分の部屋に閉じこもりました。
部屋に入って1人でいじけて居ると、ドンドン悪い思考になりさらに状況は悪化。
お腹が減っていたのですが「こんな状態で一緒の食卓にいられない」という私の中での意見が満場一致して、家出する事にしました。
まずはバンッとわざとらしく部屋の扉を大げさに開けて妻に出てきたことをアピール。
「居場所が無いから外で食べてくる」
そう言う私に妻は困惑しました。ひょうたんからこまの表情の妻に続けて一言。
「家族の為にこれだけ一生懸命やってるのに誰もねぎらってくれよらへん」
誰もそんな事言ってないのに、45歳のすねた男は夜の街をさまよう事を選びました。
俺が居なかったらどうなると思ってるねん。そうだメッチャ遅くまで飲んだくれて心配させてやれ。
と言う事で最悪男は三条通をGO WEST。歩いて九条山を遥か越えて市内の酒場に入り浸る事にしました。
この日の天気予報は、寒気が日本の北側にかかり夜になると冬型の気温に変化する事を発表していました。
私はズボンにロングTシャツという軽装でした。
意気込んで出発しましたが、あまりにも寒すぎる真冬の夜。苦渋の選択を迫られ、歩いて10分程の日ノ岡にある中華料理屋さん付近で根性足りなく「寒い」と言う事で断念。
ここで飲んだくれるぞ。と言う事でその中華料理屋さんに入店しました。
「お一人ですか」と尋ねてくるおばちゃんに「苦めのビールをまずください」と言いました。
「ちょっと何言ってるのか分からない。サッポロかアサヒかどっち」と返されました。
カウンターに座り黒ラベルをうなだれながら飲みだしたまでは良いとして、私が注文したものは「ラーメン定食(炒飯普通盛り付き)」。餃子等のつまめるものを頼めば良かった公文式。
早食いの癖がある私は定食をわずか5分で完食。ペース配分を間違え瓶には半分以上ビールが残っていて、ここで要約「しまった」と気が付きました。
「あの。つまみありますかね。」
私の問いに対して出てきた5枚の甘めのお新香をゆっくり噛みしめながら残ったビールを飲んでいたのですが、お酒すすまないったらありゃしない。
「そんな恰好で寒くないか」と聞いてくるおばちゃんに鼻水をかみながら大丈夫と答える満腹で気持ち悪くなってきた男は、その後よせばいいのに瓶ビールを追加して、神棚近くのテレビ番組で所ジョージさんのコメントを眺めていました。
その後御愛想を済ませて三条通をGO EAST。一度自宅を横目で通り過ぎ、凍える両手に息をかけながら久保町のお地蔵さんを拝んでから来た道を戻り、玄関のカギを音が出ないように静かに開けました。
忍び足で登った階段の先、リビングに人影が無いのを確認してから真っ暗な自分の寝室に入り気配を消して床に寝っ転がり、浴室からお姉ちゃんが出てきた(であろう音がした)タイミングを見量って自室で静かに服を脱ぎ、裸のまま浴室に入り身体を温めました。
何故か胸はドキドキ。手桶で汲んだお湯から出てくる湯気を眺め、ソロっと髪を洗い終わった時にはお腹も気持ちも落ち着いていました。
その後湯船に浸かっている際に来客があり、娘が浴室を除きに来て私がいつのまにか帰っていた事がバレてしまい益々気まずくなりました。
つぎの日の朝、妻と口論の末問題を解決。こうして私の久しぶりの家出は、およそ45分という小学校の1時限目よりも早い史上最速タイムで終了する結果となりました。
このブログを読んで頂いている方はもう誰が悪いかお分かりだと思いますが、あえて私は言いたい。
馬場俊英さんの歌詞が素晴らしすぎるからいけないのだと。
↑(因みに動画の6分55秒の絶妙なタイミングで音楽を消されました)
と言う事でさおりさんその節はスミマセンでした。これからもご厄介になりますので見捨てないでくださるよう来年も宜しくお願いいたします。
やましなすそして本日も山科万歳な皆様。年末に向けてお忙しくされていると思いますがいかがお過ごしでしょうか。
最近、店内で流すBGMの編集をしていて、久しぶりに音楽好きになっている男斉藤です。
いや割とマジで髭ダンの音楽性は素晴らしい。
人間には「クセ」あるいは「こだわり」というこの世に生を受けた時点で個々に持たされてしまう自分ルールがあります。
たとえば鼻をかんだティッシュペーパーをゴミ箱に捨てるのに、やや距離がある際放り投げて入らず取りに行き、そのまま捨てればいいのに又元の場所に戻って放り投げるという行為。
これは遺伝子レベルで行動してしまう太古からの「今の自分を超えていこうとする人間としての正当な成長行為」です。(独自的偏見)
他人からするとどうでもいいような事でも本人的には譲れない、そういった不可解な行動があります。
私であれば、「五条通の東山のトンネルを車で超える際、出口にたどり着くまで息を止めてしまう」ルールや「奥歯に詰まった牛筋やネギを舌を使った吸い出しにより取れるまで言葉を発さない」ルール。
これらのスイッチが入っている時は勿論舌の先からピリピリして血が出るまでは「お愛想」コールは行いませんし、トンネルミッションも納得いかない時は東山税務署へ向かう道に降りて引き返してやり直します。
誰にも理解されなくても結構。これらは全て自分自身との戦い。
そんな父親の遺志を継いでか、我が息子である「蒼衣」もそういったこだわりを多数持っています。
朝食時、定位置にホット牛乳とヤクルトが無いとご飯を食べない。スッポンポンになると必ずトイレに行く。ポテチはリッチコンソメでなければ食べない。
挙げればきりがないのですが、その殆どは周りに害はない事が多いのですが(妻は若干あり)その中で家族を苦しめる行為が一つだけあります。
「トイレで大便をする際、大声で歌を歌い納得するまで出てこない」という息子ルール。
時間に余裕があるときには別に勝手にやってくれて構わないルールなのですが、お出かけ前や朝のトイレ渋滞の時に始まってしまうと大変。
「あおくん早く出て」というお姉ちゃんの怒りの声も何のその。出てきたら確実に泣かされるのも分かっているのに歌いきるまで出てきません。
私が玄関で車のエンジンをかけて待っていて「まだか」と声をかけに行く際、家の中の妻の表情がアメリカ人の「お手上げだぜベイベー」の様な、無言で目をふさいで首を横に振る仕草で「彼がトイレの中に入った」事が察知できると、家族中が目的地到着を定時に間に合わせる事を諦めます。
そんな彼が最近やっかいな歌にハマりだしました。
(↑知らない方は一度クリックして聴いてみて下さい)
これは一昔前にポケットモンスターと言うアニメに流れていた歌ですが、私たち世代で言う所の「ドリフの早口言葉」的な歌でしょうか。
兎に角終始言葉数が多すぎてかなりハイレベルな歌です。
この歌の冒頭の「モンスターボールでもハイパーボールでも」と言う所が、息子的に上手に歌えることに快感を感じているようで思いだせばすぐチャレンジしています。
そんな彼と先月二人で映画を見に行きました。
映画がクライマックスを迎える終盤。隣で静かに映画を鑑賞していた息子が「ウンコがしたい」と言い出しました。
誘導等を頼りに息子の手を引き会場を出て、トイレまでの通路を歩いているとトイレの手前にガチャガチャが数台並んでいました。
ガチャガチャの一つに「ポケットモンスター」のキーホルダーがありました。
そのままトイレの個室に入った彼は、いつものように全裸になっているであろうゴソゴソと服を脱ぐ音と便座を倒したガタンという音の後に何かしゃべりだしました。
「オーっスみらいのチャンピオンきょうもはりきっていきましょう」
途中で見たガチャガチャによって頭の中を一瞬にして岡崎体育さんに洗脳された未来のチャンピオンは、まさかのタイミングで張り切りだしてしまいました。
私「えぇ蒼君、今はかんべんしくれ」
プライベート空間の外からかすかに聞こえる嘆く私の声など到底届くはずもなく、ご機嫌なテンションで歌は続きます。
「ゲットゲット(ゲットゲット)さあドンドンなかまをあつめちゃおう」
これ終わるまで見に帰れへんのか。そう思った矢先
「スパボルでもマスタボルでもマスタボルでも・・・・あ。まちがえた。」
振り出しに戻り歌い直しだした彼。
「おーすみらいのチャンピオンきょうもはりきっていきましょうゲットゲット」
続きから歌ってくれ、とも思いましたが息子のそういうルールがいかに大切かを知ってしまっている父親でもあるのでとにかく最後まで歌いきれることを願いました。
3回、4回。とにかく彼の調子は今回に限っては悪い様子。なかなか先に進みません。
途中からは心の中で一緒に戦っている私が居ました。
3種類のボールを全て制覇し、捕まえられない君のハートの部分を越えてくれたのですが、その後のパートの
「ノーマル かくとう どく じめん ひこう むし いわ ゴースット」
の部分で失敗して又ボールに逆戻り。気が付くと映画を抜け出してからかなりの時間が経過していました。
兎に角いつもの感じであればあとちょっと。
耳でテレビ番組の「サスケ」をみている気分でしたが、幾度とない山場を潜り抜け無事に1番を歌いきってくれた息子が笑顔でトイレから出て来ました。
ウンコでたんか。と聞いたのですが途中からソレはどうでも良くなったとの返答が帰って来ました。
何故か不思議な達成感と連帯感が私達親子を包み、気を付けた方がいい歌詞の注意点を通路で語りながら映画館の席に戻りました。
私達が出た時には平穏だった映画内容は見てない間にどうやら急転直下したようで、主人公のコーギー犬達がお城の中で消火器をまき散らしていました。
映画鑑賞後フードコートで息子と早口言葉をクリアするための秘訣について語り合っていると、息子が一風堂のラーメンを食べるのをやめ突然
「ウンコしたい」
と言い出しました。
私は同じ艇を踏まないように、トイレまで行く道中に「岡崎体育「ポーズ」」を完璧に歌い切らせてからトイレの個室に彼を案内しました。
彼がこもったトイレからは今度は
「なまむぎなまごめなまたまごぉぉん なまむぎなまごめなまたまごぉぉいえぇぇぇぃ」
という声が聞こえてきました。
自分ルールを曲げない能力、そして教えた事を吸収する能力にたけた我が息子。
私は将来彼がきっと大物になるであろう事を確信しました。
やましなす皆様。トイレの窓際(立小便の目の高さ)に「マメピカ」を置かれてからと言うもの、毎朝便座の裏を掃除せずにはいられなくなった「便座の裏は男の領域」と豪語する男斉藤です。
そのままトイレ全域を掃除しない所がタマにキズなの。
前回のむかしばなしで多数の方からクレームが出ましたので今回は短めで済ませようと思います。
先日の月曜日、家族でインフルエンザの予防接種を受けに病院に行きました。(私だけ用事が他にあったので行けなかったのですが)その夜息子が珍しく静かでした。
元気が無かったので「注射が痛かったんか」と聞いたところ「注射は全然痛くなかったし大丈夫」と言っていたのですが、その息子はあれだけ楽しみにしていたルイージマンション3を私にせがむ事なく、早めに寝室に入っていきました。
翌朝。私がリビングに出ると息子と寝ている妻が開口一番
「あおくん。インフルかかったわ。」
と言い出しました。
聞くと高熱で一晩苦しんでいた様子。
息子のことは何でも知っている妻に対して、私が「なんでインフルってわかるん」と聞くと「昨日知らなかったんだけど、あおくんのクラス今インフルで5人やすんでいるみたいだし、あおくんはインフルにかかると夜中幻覚を見るの」と教えてくれました。
いつも朝からけたたましく踊りまくり騒ぎまくりユーチューブをみまくる息子が静かな今朝は、私にとってとても寂しいものでした。
妻もお弁当を作ってくれながら「私も少し具合が悪いからインフルうつったかも」と不安要素を足して来てくれました。
その日の昼に仕事が一段落して息子の様子を見に行くと息子はつらそうな表情でリビングのコタツに入って「トイストーリー3」を鑑賞していました。
大丈夫かと声をかけたのですが、泣きそうな顔で首を横に振るだけの息子を見ていると辛くなり、何とか元気を出してほしいと思って息子に「元気にるようにトイストーリー4をレンタルして来てあげる」と約束しました。
息子は涙目で「かりるんじゃなくてかって来ておとうさん」と言って返してきました。
その夜の営業後、東野GEOにでDVDとポケモンカードを数枚購入して、ついでに息子が大好きなアメトーークも何枚かレンタルして帰りました。
帰ると、息子は勿論妻も具合が悪そうな顔をしていました。
「インフルの菌が私も体に入ってる。なんとなくわかるもん。」
そう言う妻に、我ながら夫としての心配よりも経営者としての心配が勝ってしまうダメな男なのを実感しました。
夕方に息子を病院に連れて行ってくれたのですが、まだ早すぎて陽性の結果が出なく、明日の朝もう一度調べないといけないとの事。おまけに妻曰く「しーちゃん(娘)も今日はクラブ活動をせず早退した」との事。
私以外家族全員アウトブレイクしているらしく、予防接種を射ちに行くタイミングを遅く決断したことを後悔しました。
次の日の朝。リビングで妻と目が合ったとたん妻は昨晩案の定、息子が幻覚を見たといってきました。
ただ何故か熱は下がったとの事。
なんだか良く分かりませんが、とにかくインフルだったら一大事なので、もう一度病院に連れて行って欲しいとお願いしました。
で。先程帰って来ました。
私「どうだった。」
妻「インフルじゃなかったの。あおくんよかったね」
息子「にこっ」
え。違ったの。
息子「おとうさんきょうしごと終わったらやくそく通り遊んでな。」
身体にインフルの菌が入ったはずの息子のことを何でも知っている妻は、いつものようにわずかな時間だけでもと笑顔でリビングの掃除機をかけにいきました。
おらトイストーリー返品してぇぞジッチャン。
やましなすみなさま。
最近色々な事が重なり、不謹慎なブログなどをかける状態では無くなっていたのですが、ふさぎ込んでいるより一歩前に進むこと。自分にしか出来ないことを精一杯やることこそが人生を大切にする事だったのだと思い出し、久しぶりにブログを書くことにしました。
遅くなりましたが妻の実家である長野が大変な事になりましたが、最悪の難は逃れております。ご心配されていた方もいらっしゃる事と思いますのでお詫びいたします。
と言うことで今ここから出来ることに努めたいと思います。
ここから先、見る人によっては俗にいう「痛い」ブログになりますが、そんなの気にしない年頃になった男斉藤です。どうか宜しくお願いします。
出来れば頭の中を切り替えていただき、突然ですが昔懐かしの「まんが日本昔ばなし」風な感じにして読んで下さい。
もちろんナレーションは市原さんでも常田さんでも構いません。
ぼうやよい子だねんねしな。
むかしむかしやましなのみささぎ村とよばれるところに「ヒロ作」という男がすんでおった。
村のみなをえがおにする事がだいすきな男だったが、まがったことが大きらいで村でも「がんこ者」としてゆうめいじゃった。
そんなヒロ作がある年に村人たちのたすけをかりて村のかたすみにりっぱないえをたてた。
ヒロ作はたいそうよろこんだ。
「うちのいえにあそびにきてくれる村人たちを、もっとよろばせるためになにかしたいのう。」
そうおもったヒロ作は、いえがたってからしばらくして家のうらがわに、木と芝でできたきれいな庭をつくることにした。
「村のしゅうがこの庭をみてもっとえがおになってくれるとまんぞくじゃ。」
ヒロ作はそのえがおをおもいうかべながらせいをだし、みっかみばんかけて庭をかんせいさせた。
そのつぎの日のこと。
あさ目をさましたヒロ作はできあがったばかりの庭をみてこしをぬかした。
「う、う、うんこじゃ。うんこが庭のまんなかにうんこがいよる。」
りっぱな庭のまんなかに、ゆげをだしたこんもりとしたりっぱなうんこがひとつあった。
「くそう。さてはネコのやつのしわざじゃな。」
ヒロ作のたてた家のあたりは、そのちいきではゆうめいなネコのたまりばとなっておった。
家をたてているあいだもひっきりなしにそのネコたちが、わがものがおでさんぽしておったことを思いだしたヒロ作は「ネコのしわざにちがいない」とかんがえた。
ヒロ作はまだぬくもりのこるソレを、はなをつまみながら、いきをとめてしょぶんした。
その日のことをヒロ作はかぞくや村人たちにはなしたが、みなそれほどきょうみをもってくれなかった。
りかいされない心のいたみは、どれほど大きなものだったであろう。
それからふたばんたち、ヒロ作があさ庭をみると同じばしょに同じようなソレがあった。
あたまにきたヒロ作は、村のものしりのちょうじゃさまやどうぶつのおいしゃさまに「ちえ」をかりることにした。
まずとうめいのようきに水をいれ、それらをならべてみた。
つぎの日のあさ「ききめはどうじゃ」とみにいった庭にまたもやソレがおいてあった。
こうかはなかった。
つぎはネコがよりつかないように足がいたくなるようなトゲトゲのしきものをネコがとおるみちにしいてみた。
ふたたび夜があけ、トゲトゲのしきものは、なにものかによってばしょをうごかされ、しきものをかきわけた先にソレが又おかれていた。
だれのしわざなのかをつきとめることにしたヒロ作は庭をみはった。
しばらくすると、いっぴきのくろネコがやってきた。
くろネコはヒロ作をよこめでみながらあくびをひとつ。庭のまんなかまでやってきてやがて芝の上にねそべった。
「はんにんはおまえか。」
ヒロ作はネコにいった。
「ここはオラの家の庭だ。すむのならかねをはらえ。さもなくばさっさとでていけ。」
たいそうなけんまくでそういってくるヒロ作にくろネコは
「ホンにえらそうに。おぬしがあとからきたのだから、ここでねるのはワシのかってじゃ。」といった
きがした。
はんにんがだれかわかったものの、そのごもネコのキライなにおいぶくろをおいたり、水をまいたりしたがやはりこうかはなく、ソレはそこにおかれつづけることになり、ヒロ作はあたまをかかえた。
ある雨ふりのつぎのあさ。
いつものように庭そうじをしていたヒロ作は、ふと足もとになにやらいやなかんしょくをかんじた。
「まさかうそじゃ。」
ヒロ作は足もとをみた。
つぶれたうんこじゃった。
いつもとちがうばしょにおかれていたソレは、いつもとちがうかたちにかわりはて、いつもよりつよいにおいをあたりにまきちらし、ヒロ作のワラジをすりぬけ、はいていたタビにベットリとこんせきをつけた。
ヒロ作はふいうちに泣いた。こころで泣いた。
ひるごろ。いつものようにやってきたくろネコにヒロ作は、あたまをさげてこうおねがいした。
「かねもいらん。そこでねてもいい。だからどうかおねがいじゃからウンコだけはかんべんしてくれ。」
くろネコはしっかりとヒロ作と目をあわせたあと、なにもいわずいつものようにそのばしょにねそべった。
つぎの日のよる。うらのはたけに向けてたくさんの灯りが、よるになると点いていく「しかけ」をつくるしごとをしていたヒロ作は、その灯りをかくにんするためにうらにむかった。
うすぐらいどう中、草むらからガサゴソとものおとがした。
「ひいっだれじゃ。」
かまえるヒロ作の前にすがたをあらわしたのは、いっぴきの太ったタヌキじゃった。
「おう。タヌキじゃ。こんなところにおるんか。」
タヌキはヒロ作のすぐちかくをへいぜんとあるいていき、そのままヒロ作の家のうらあたりまでいってすがたをけした。
「ばかされたんかのう。」
こしをぬかしていたヒロ作じゃったが、しばらくしてわれにかえりハッとした。
ずっとガンコな「こていかんねん」であれはネコのしわざとばかりおもっていたが、そうではないかもしれん。
いやそれどころかぎゃくにネコのやつはタヌキを庭にちかづけないように、ねずのばんをしてくれていて、そのせいでひるにねむたくなって庭でねていただけじゃった
かもしれない。
そうだとすると、くろネコにもうしわけないことをしてしもうていた。
はんせいしたヒロ作はつぎの日、庭でねていたくろネコにあやまった。
「アレはおまえではなかったかもしれんの。ごしょうじゃかんべんしてくれ。」
くろネコはあいかわらずキョトンした目でただヒロ作をみつめるだけじゃった。
それからすうじつがたった。
あれいらい、どういうわけだかいつもおかれていたソレは庭におかれなくなった。
なにごとも「きめつけ」るのはよくない。そしてこころとこころは、だれともわかりあえるということを、きっと神さまがおしえてくれたのだ。
それからというものガンコものだったヒロ作はしょうねをいれかえ、いぜんより「こていかんねん」をもたないようになった
らいいなとおもった。
とさ。
だれじゃぁガンコおとこは。やわらかウンコをふまされるぞぅ。(公共広告機構ツンツンむすめより)
と言う事で、庭のイルミネーションが完成しましたので、良かったら裏の公園から見てみて下さい。
因みに慌てて狸の写真(本当に出現)を撮ったのですが、あとで拡大して見返してみたところ尻尾の部分がシマシマ模様で「ひょっとしてアライグマじゃないか」という説が浮上してます。
どうせならラスカルよりパトラッシュのほうがいいなと思う今日この頃でした。
頑張ります。