いつもオーキニーをご利用いただきまして本当にありがとうございます。店主の斉藤です。
3年前のちょうど今頃、世界に新種のウィルスによるパンデミックが発生しました。
当初しばらくしたらすぐに落ち着くと予想されていたこのパニックは人々の予想以上に長引いてしまい、未だ終わりが見えない状態で今後当たり前に付き合っていかないといけない認識に変わり始めています。
3か月に一度当店から配送している情報誌のオーキニー通信で、二年前の記事にて皆様に「パンデミックが終息した際、エッセンシャルワーカー様や医療従事者様の方に何かお疲れ様的なキャンペーンを行います」と私が記載していた事を覚えていらっしゃいますでしょうか。
いつまで経っても収束しない状態に、どのタイミングでキャンペーンを行えるのか見計らっていたのですがどうやらこの先も難しそうで、それ以上に医療従事者様やエッセンシャルワーカー様だけでなく、ありとあらゆる職種の方が「お疲れ最中」という状態になってしまいました。
当初はお客様の中でお仕事が大変であろう方達のリラクゼーションの為に「ヘッドスパ無料チケット」等をプレゼントすることを考えていたのですが、この先も続く事そして一回リラックスさせたからといって又すぐ新たな種が拡大する可能性があることから、違ったものを分け隔てなく皆様にプレゼントする方向にさせていただきました。
話は変わりますが、四年前の令和元年にお客様に日頃の感謝の気持ちを込めてオリジナルの日めくりカレンダーを贈らせていただいた事がありました。
そのカレンダーがなかなか好評だったらしく現在でも大切にご利用いただいている方も多いようで、とてもありがたく思っております。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが私の母親は書道家で、美容室のいたるところに母親の作品が飾られてあります。
残念ながら私はその才能を受け継ぐことなく今日まで成長してきたのですが、東京の美容室に勤めていた頃、美容の技術と理論の講師として全国に講習に出張してステージに立ち沢山の受講者の前でしばらく公演させていただいていました。
その頃講習用に「今よりもっと人前で魅力ある会話ができるようになる為には」というテーマで独自で勉強していた時期があったのですが、その甲斐あって「言葉」の持つ大きな力とその魅力を知るようになり、以来素敵な「言葉」と出会う度にその言葉を手帳やスマホに書き留める習性がありました。
私も人並みに苦悩や葛藤挫折が今までの人生であったのですが、その手帳を開き言葉を見返す事によって幾度となく心の病から救われて来ました。
以前オーキニー通信でも一度載せていたことがありましたがそういった素晴らしい言葉は今でもお客様と会話をする際、多く引用させていただいています。
長くなりましたが、今回のキャンペーンでは皆様に少しでも今よりもっと元気が出ていただければと思い、それらの私の好きな「標語」「格言」を母親の「書」の作品にして、新たな「日めくりカレンダー」をプレゼントしようと企画しました。(前回の日めくりカレンダーは母に選んでもらった言葉でした)
作成途中段階のものですがこんな感じになります。
ヘッドスパ等リラクゼーションの時間の提供より、長く皆様のお力になれればと思い気持ちを込めて、言葉も1日1日にふさわしそうな言葉を選んで合わせ出来るだけその時のお気持ちに寄り添えるように選び何度も何度もやり直し時間をかけて完成しました。
ちなみに余談ですが一作品だけ師範の資格を持っている高校生の娘に書いてもらっています。その作品の日にち及びあえて娘に書いてもらったという言葉にも注目して又よかったらご来店時のネタにでもしてください。
プレゼント期間は本日より2月末までの二か月間(期間を過ぎると増刷等も出来なくなりますので期限切れの場合はご了承ください)今号のオーキニー通信に引換券を一枚、ご家族でご来店いただいている方へは引換券が二枚入っていると思いますので宜しければぜひご利用ください。※お子様を除く
ご来店いただいた際に引換券と交換でプレゼントさせていただきます。(※施術をされず引換券を持ってご来店いただくだけでもプレゼントいたします)
今年も残すところあと数日となりました。
各々方に色々なことがあった1年だと思いますが、こうしてお互いに年末を迎えられるだけでも本当に素晴らしいことで感謝の気持ちしかありません。皆様どうぞ良い年末をお過ごしください。
来年も又さらに良い年になりますように。
美容室の窓から見える公園の遊歩道で木々達が秋の色味を映し出しながら年の背が近づいている事をそっと教えてくれます。
柔らかな日差しに少し肌寒い風が時折そよぎ過ぎ上着や肌着の選択に迷ってしまう今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
知的に見えそうで実際間違った語句の使い方が織り交ざっていて訳の分からない文章なのだと何人の人が気付いてくれるでしょうか。ドタキャンにより急に時間が出来た男斉藤です。
妻が京都に来てくれてから早いもので17年が経過しました。
ご存じの方も多いと思いますが、妻の実家は長野県の信州中野という地域で日本列島だと「中部地方」関東に属しています。
彼女は18歳で上京して東京の美容専門学校に二年間通っていたので方言(口調)はずっと標準語です。
家庭でも仕事中でもそれは変わることなく飛び火して息子と娘も何故か家庭内で標準語をよく使っています。
私は18歳の頃に上京して働きながら美容の通信教育を受けたのですが二十歳になる前にはすっかり話し方が京都弁ではなく関東の標準語になっていました。
しばらくして全国に講習に出張するようになったので、その影響により今でも講習や結婚式のスピーチ、司会進行等大勢の人前で話すときは自然と標準語が口から出てきます。
それに比べて妻は今でも一切関西弁を口にしません。
ごくごく稀に「そんなことしたらあかんよ」=「↓↓↓→→↓↓↓↓↑↓↓」のように「こと」でやや上げ「か」で最上イントネーションを添える独特な関西弁を使いますが残念ながら優しく見ても認められるものではありません。
嗚呼多分此の人は生涯属色に染まる事無く天然色の儘老いて行くのであろう。
疑うことなく長年連れ添ってきました。
先日とあるお客様からある朝のニュース番組の話を聞きました。
そのニュースによると何でも最近では関東の若者たちの間で「知らんけど~~」という言葉を変に使用することが流行っているという話でした。
通常我々京都人いや関西人は話の流れでこの「知らんけど」というフレーズをよく使用しています。
その殆どは、自分が体験した事ではなく人から見たり聞いたりした話をまるで自分の話のように会話に出すときに使う会話のキャッチボールが好きな人種によるテクニカルな手法として日常的に用いられます。例えば
「セブンイレブンの炭焼き地鶏なんやけど値段のわりに結構香りがしっかり入ってて鳥の生産者の人が餌に何かこだわって飼育されてるみたいで某人気焼き鳥やのクオリティでめちゃお買い得らしいで。知らんけど。」
と、このように。文章をご覧の皆様は恐らくすぅっと頭に入ってくる極々普通の会話です。
お客様の話だとテレビでやっていたのはこれを
「山手線の渋谷駅混んでるみたい。知らんけどぉ。」
等と使うとの事。
うん間違ってる。会話を楽しむ出だしの発言というものではなくコレじゃただの適当な発言にしか聞こえない。
話に食いつきたくなる「チラリズム」も無いし、そこに知識を被せたくなるような「くすぶりズム」も一切なく「ふーん」「へぇ」という感想しか出てきません。
「渋谷駅は今混んでる」なら確かな情報として有用ですし、百歩譲って「渋谷駅なんだかウォーリーの仮装した人でごった返して混んでるらしいよ知らんけど。」なら十分チラリズムもくすぶりズムも刺激されます。
関東の若者よ。それは間違った文化である。
その話題を持ち出されたお客様は「関西人として美しく思えない」と強く訴えられ、私も激しく共感しました。
しかしその話で盛り上がったのち私とお客様、常に向上心ある二人は「我々は関西そして京都に健やかに産まれて豊かに育てて頂き感謝しかない」という結論に達するという大団円を迎えることが出来ました。
その後まったりとした空気が二人の間に流れたのですが、ふと妻の事を思い返しある事実に気付いた私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
妻は家庭や仕事中に会話が盛り上がっている際、話の主導権を自分(妻)が持っている時にある口癖を使う事がここ数年多くなっていて気になっていたフレーズがありました。
「この間なにかうちの主人がうちのトワ(猫)にモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。」
今までは横で聞きながら「よく知らんのに言うんかいっ」と顔で無関心を装い心で突っ込んでいたのですが、これは私という不完全な人間の浅はかさ以外の何物でもなかったのです。
そう不動と思われた純真無垢な彼女の心は、私が思い違いをしていただけですでに芯の部分を関西に売って、いや置いてくれていたのです。
よくわかんないんですけどを関西弁にすると、そう答えは一つ知らんけど。
妻よすまない拙(つたな)い私をどうか許しておくれ。
長い間貴女に対して私は取り返しのつかない勘違いをしていたようです。長く待たせてしまったようだけど今漸く真実を見る目を取り戻せました。
知り合いもいなく頼るところもない京都に身体一つで嫁に来てくれ最初の頃はさぞ大変だった事でしょう。誰にも相談できず独り悩み苦しみながら自分を保ち、その中で郷に入って従う心を扉を努力という字で乗り越えて来てくれていたのですね。
改めて素晴らしき京都へようこそありがとうステキな奥様。
そしてお帰りなさい私。何よりY様いつもホンマおおきにです。
皆様、中でも妻が担当させていただいているお客様。すでに私以上に妻の事を理解してくださっている方ばかりだと思いますが
なにかうちの主人がこの間うちのトワにモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。
=
なんかうちの相方がこの間うちの子が野良にモーションかけられてなんやきっしょい鳴き声だしよったって言ってましたわ。よう知らんけど。
のように脳内変換して聞いてあげてください。そして私が至らない時はそっと「違うで奥様こう言ってはるんやで」と傷付かないようにご教授ください。
これからもお店共々どうかご贔屓によろしくお願いいたします。
知らんけど。
カンフー(クンフー)とは
中国語で「功夫」。本来の中国語ではゴンフーと発音され、広東語ではグンフーであり、それがアメリカに伝わった際に英語の発音で「クンフー」となり、その後、日本にやってきて「カンフー」となったとされる。つまり、「カンフー」も「クンフー」も読み方が違うだけで同じものを指す。
ブルース・リーやジャッキー・チェンの中国拳法を使用したアクション映画が日本でも公開され、人気を博したことから、中国拳法など武術イコール「カンフー(クンフー)」のイメージがついてしまったが、実際の意味は、学問であれ料理であれ努力したことにより成果をあげたことをいい、個人の努力の量や訓練の成果そのものを指す言葉である。
你好终于开始有秋天的感觉了。我是齐藤最近鼻毛变白的男人。
うぅん。中国語で書いたら誰にも訳が分からないであろうなと思いましたが、最後の文章は漢字で何となく意味が解りそうなものなんですね。気になった方は勝手にコピペしてグーグル翻訳で変換してみてください。https://translate.google.co.jp/?hl=ja(Google翻訳)
息子がカンフー教室に通い始めました。
彼は小学1年生からサッカーを習っていたのですが、性格的に攻める事が苦手で勝ち負けよりかは人を楽しませる事に楽しみを見出す人間だという事が見えてきたので、父親としては兼ねてから娘のようにダンスで表現力を身に着けエンターテイナー寄りに行った方が彼の為になるのではと思っていました。
しかし姉と同じことをさせられたり比べられる事を嫌うのでダンスは嫌、と頑なに拒み続けていたのです。
きっかけは私が休みの日に見ていたネットフリックスの少林寺三十六房という映画でした。
隣でニンテンドースイッチで遊んでいた息子がいつの間にか私が見ている映画に共にくぎ付けになり、劇終(香港映画のエンドの意味)の後トイレから一向に出てこなかったので「何をしていたのか」と聞いたところ「トイレで修業をしていた」と満面の笑みで答えてくれました。
その後日から、私が仕事が終わりリビングに戻るとかなりの確率で「少林寺三十六房」の映画を繰り返し見ている姿を見るようになりました。
一緒にお風呂に入ってる時も急にシャワーを冷水に変えてマイクロバブルヘッドのつまみを横に倒して強ストレートの水流を患部にあてがい「うぅ。はいっはいはいっ。」とまゆを歪ませながら両手を前に突き出してカンフーのポージングをとったり、ランドセルと中身が詰まっている手提げの袋を片手づつで両腕で持ち上げ、手を地面と水平に伸ばして「はぁっ」と腕をプルプルさせている姿を見ていると何だか不憫に思えました。
そんな中お客様のお子様がイオン五条でカンフーを習い始めたと聞き「これだ」と思い一緒に体験入門しに行きました。
先生は帽子をかぶって自転車にまたがるとそのまま映画に出てきそうな中国人の徐言偉さん。日本のカンフー界では有名らしく教え方を見ていると子供の頃に見ていた八本足や蘇化子(そかし)の師匠がジャッキーに教えていた空気感そのままで、見ているこっちの方まで足を蹴り上げたくなってきます。
「オオ。アオイ君スゴイヨォ。サッカーヤッテル子デココマデ身体ヤワラカイヒト見タコト無イヨォ。」
習わせる気満々で褒めちぎる先生の蛇拳のような連続口撃に息子も至極ご満悦。その日のうちに入門を決めたのは言うまでもありません。
ちなみにと思って聞いてみたのですが、やはりキッズカンフー教室ナノデオトウサンハ一緒ニハ習エナイヨォという事で万が一の確率にかけた私の希望は叶えることが出来ませんでした。
という事で現在一緒に入るお風呂で10歳の息子にカンフーを習っている48歳の父であります。
仕事がもう少し落ち着いたら一緒に社交ダンスを習おうかと妻と話していた私の心はすでにカンフーに支配され始め、現在夫婦で太極拳を習わないかと切り出そうという心の道をたどっています。
とりあえず息子に頑張ってもらうため目下「スネークモンキー蛇拳」「クレイジーモンキー笑拳」「スピリチュアルカンフー拳精」等カンフーの代表作を一緒に見直し、私より先に親指と人差し指だけでクルミを割れるようになったら私の家督をその時点で総て譲りたいという話も先日彼にしたところであります。
とりあえず小学校卒業までに気功拳か百裂脚を覚えてもらってお客様方に披露できるよう促しているので今しばらくお待ちください。
ハイっ。違ウコウっコウダヨォ。ソォウ凄イ。
くぅ。かっこいい。羨ましすぎる。
やましなす皆様。人生まだまだ楽しいことばかりな男斉藤ですが今回は短いブログに挑戦します。
先日の日曜日に裏の「みどりの小径」でボランティアの清掃お手伝いがあり、それに参加しました。
その後息子が通っている小学校の側溝(ドブ)のこれまた清掃お手伝いがあったので立て続けてそちらの掃除にも参加しました。
途中で腰がかなりヤバくなり家に帰りましたが、帰宅後に案の定3年ぶりにぎっくり腰が発生しました。
経験されたことがある方には解って頂けるかもしれませんが、ぎっくり腰になると動けるようになってからも本当にちょっとした振動や咳、或いは笑ったりすると腰に激痛が走り悶絶してしばらく身動きが取れなくなります。
しかし昼からは息子をヨドバシカメラに連れて行く約束、そして夕飯に家族で「たかばしラーメン」に行く約束がありコルセットをしてガチガチに固めて車に乗り込みなんとか約束を果たそうとしてたのですが、夜ラーメンに連れて行こうと玄関を出たところで息子がいつもの癖で私の背中を意味なくパーンと叩いてきてしまい、そのまま20分ほど家先で動けなくなりました。
次の日も忙しく午前中に中信で「積み立てNISA」を開設したり娘の自転車保険加入、猫の買い出し等を終始ウンコを漏らした老人のような歩き方でこなし、その後漸く整体に通い仕事までに何とか動けるようにしてもらいました。
夜、何故かお姉ちゃんが私に「この動画見てみ」と言って大爆笑動画のTikTok(ティックトック)を見せてきて思わず笑ってしまい夜に又悪化しました。
そんなこんなあったのですが、昨日は何とか無事に仕事が終了。そして先ほど仕事の合間に妻に積み立ての事を伝えてなかったので説明しました。
私「そう言えばこの間の休みに中信で積み立てNISAの事相談してきて始める事にしたし。」
しばらく間が空いてから妻から返答が来ました。
妻「へぇ爪たて兄さん。中信にそんなお兄さんがいるんだ。それで。」
・・・・
頑張ってこらえていたのですが限界を迎えその後腰に激痛が走りました。
私は今回の事でいつか家族に殺されるであろうという危機感を覚えたのですが、やはりとどめを刺すのは妻だという事を認識しました。
没後は良かったら爪たて兄さんに斉藤がお世話になったとどなたかお伝え願います。
お久しぶりです皆様お元気にしていらっしゃいますでしょうか。
久しぶりにコストコに買い物に行くか、と提案して車のエンジンをかけ玄関前で待機していると、当然のように助手席ではなく後部座席に座る妻の夫斉藤です。
突然ですが、今までの生活で妻が私に対して2度ほど離婚を考えた(と勝手に想像していた)時期があります。
その原因の一つはゲーム。そしてもう一つは靴下。
一つ目のゲームの原因は新婚当初に私が休みの日の早朝そして夕飯時になってもオンラインゲームをやめれなかったからという立派すぎる理由。さておき今回はもう一つの靴下についての物語です。
結婚する前に妻と東京の高層マンションで同居していました。
それまで寮生活を経て一人暮らしの時期が約10数年。まあ誰に何も言われない生活をのんべんだらりとしていた訳ですが、その頃からあったかどうかは定かではありませんが私にはあるだらしない癖がありました。
帰って来てリビングでくつろぐ際、靴下を脱ぐ癖。
そこだけ聞けば他愛もない話だと思いますが、靴下を脱いだら一般人ならどうするか。
洗濯機もしくは洗濯カゴに持っていきますね。
私の場合、特にコタツが出ている季節だとカルロストシキ&オメガトライブも驚く確率、ほぼ君は1000%脱いだ靴下を脱がしたその場所に放置してしまっていました。
同居当時でまだ私の事を好きでいてくれたであろう妻は最初のうちは黙って洗濯カゴに放り入れてくれていました。
そのうち「又靴下脱ぎっぱなしだったようふふ」になり「靴下ちゃんと入れようね」を経て「もう靴下なんでいれないの」に変化していったのは至極当然の流れであります。
私もわざとほったらかしにしていたかったわけではなく、言われてしばらくは意識がありました。ですが実家暮らしの学生の頃も詳しくは母親に聞いてみないとわかりませんが恐らくは靴下をカゴに入れていなかったのでしょう。同じ過ちを繰り返し続けていました。
そして時が過ぎ、東京での修業期間が終わり妻と帰郷した訳でありますが、娘が誕生した後も極偶に気を許すと又靴下を脱いでカーペットの上やソファの横手にオキッパにする私がいました。
息子が生まれて間もなくでしょうか。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私がダイエットの為に通勤を自転車からランニングに変えた頃、私の中のルーティーンで新たに「ランニングで帰宅後汗だくなのですぐお風呂に入る」という行動が生まれ、当然ながらお風呂場の横に洗濯機が設置されているのでそれからと言うものその靴下問題は無くなりました。
そんな事も忘れかけていた矢先、御陵に家を建て娘は中学息子は小学校と家族皆に新生活が始まった頃に事件は起こりました。
「もう。誰この靴下。」
遠い過去を思い出せるリビングに響き渡る妻の聞きなれたぼやき声。
見るとソファの傍(かたわ)らに小さく縮こまった靴下がほったらかされていました。
コナン君に調べてもらうことなく事件は即座に解決。犯人は娘でした。
それからと言うもの結構な頻度でリビングで例のぼやき声が聞こえてくるようになりましたが何故か非難の声は現在平穏無事に過ごしていた私の方へと向けられ始めました。
「お父さんもいっつもしてたもんな」「お父さんと一緒だね。」「変なとこ見させていたからうつっちゃった。」
おいおい待てよと。私はすでにワクチン接種済みだし自然免疫もついてる。香川〇之じゃあるまいし昔やってしまった過ちをなぜ今になって引っ張り出すのか。
しかし過去に喫煙していたものが偉そうに「タバコは体に百害あって一利なし」とは言えないもので、私がほったらけを発見した際はしばらくの間黙って洗濯機に入れてあげていました。
しかし年頃の娘が心配になりやがて妻のようにではありませんが、注意を促すようになりました。
「お父さんもやってたけど、やっぱり癖つくと恥ずかしい思いするようになるから入れとけよ。」
その効果はほとんどなかったとは思いますが、やがて娘の靴下ホッタラケは週一から月一程度の割合に減ってきたのであります。
そんなこんなで多少の罪悪感と持って生まれた責任感により眠れない夜を幾度か過ごしていたのですが、やはり親というものは子に見せる背中がどういう形で繋がって行くかをより深く考えていかないとと勉強になりました。
しかし最近になり私の学びをゼロにするかのような事実が判明したのです。
約半年前。
ある日リビングのソファの隙間に薄汚れた小さな丸まりが二つ転がっていました。それは久しぶりの誰かさんのホッタラケソックスでした。
「おう。これ又しーちゃん(娘)ぬぎっぱなっとるぞ。」
私の問いに対面のソファでくつろいでいる娘が私に目を向けることなくこう言います。
「んー。それ蒼くん(弟)」
間髪入れず又例のぼやき声が台所から聞こえてきます。
「またぁ。もうミンナちゃんと洗濯機入れてくださぁい。」
ふむ。どうやら初犯ではない空気感やけどそれより「ミンナ」って範囲は誰から誰まで入るのでしょうか。
それからホッタラケは結構な頻度で見受けられるようになり始めました。
先日、飼っている猫の習性についてるお客様と話をしていました。
猫を飼ってる方はわかるかもしれませんが、猫という動物は夜になると急に狩りモード的な動きになったり水を嫌い暗くて狭いところを好みます。
そしてうちの猫は教えたわけでもないのにペットボトルの蓋が大好きで、遊びたくった挙句決まった場所に集めて隠します。
お客様との話の中でこれらは「猫の動物的な遺伝」だとお互い談笑していたのですが、その時ピーンと来たのです。
娘は私の行為を見ていたので責任の所在は私にあるかもしれませんが、誓って言えますが息子の前では私はホッタラケをした事がありません。いや無いと思います多分無いでしょう。
これは本能的なものなのでは。
突然曇天模様の空は晴れ渡り点が線になりました。トムがジェリーを追うのは何故。そう靴下を「ホッタラかす」ではなくホッタラかしてしまう、これは血のなせる業でありご先祖様から頂いた生きていく上でのありがたい遺伝だったのです。
そう考えるとソファの横に供えられている丸まった靴下も拾い上げる前に自然と手を合わせてしまう想いになりました。
ヤクルトを飲むとき蓋を指で開けるのではなく歯で穴をあけてちゅーちゅーしたり、チキンラーメンをゆでないで袋のままバリバリ食べるのも、きっと斉藤家の中の血がそうさせていたのです。
という事で靴下の件はそういう事でファイナルアンサー。
このブログを見てくださっているそこの貴方も、ご主人がベッドサイドに飲みかけのペットボトルをやたら並べて処分しなかったり、娘さんがアメリカピン(ピン止め)や黒ゴムを洗面台の横にホッタラかしに何個も置いたりしていても決して叱ったりしないでください。
それらすべては体内に流れる血がそうさせて彼らの所為ではないのでボヤかず、出来れば自分や遺伝に負けないようにと励ましてあげてください。
私も痛いほどわかる子供らの苦労。乗り越えられた先輩としてこれからも彼女らを応援し続けていきたいと思います。
まあ離婚されない程度には頑張れ。
又訳の分からないブログ内容になりましたが、最後に世の旦那と子供たちを代表してご挨拶させていただきたいと思います。
お母さん(奥さん)いつもありがとう迷惑かけてスミマセン。