やましなす皆様。
今回はオーキニーをご利用いただいているお客様にお配りしている「オーキニー通信※」の夏恒例となった「山科の怪談」より、前々号をご覧になられたことの無い方のために以前の「山科の怪談vol2 銚子ノ滝」の記事を載せて置いておきます。
※オーキニー通信Vol18は今週末辺りに到着予定です。
これは私が中学3年生のころの話です。
当時の秋頃ですが仲の良いクラブの友達男女数名と牛尾山にキャンプに行くことになりました。
夕方に差し掛かり皆で薪を集めていると、森の奥から1人の大学生らしき男性キャンパーが現れました。
聞くと、良く一人で牛尾山でキャンプをしているらしく意気投合した私たちはそのまま一緒に夜を迎えました。
その男性がテントの中で色々な怖い話をしてくれたのですがその時に聞いた一つの話を皆様にお話しします。
牛尾山の牛尾観音までの山道を登る途中、5m程の高さの滝「銚子の滝」があります。その場所で今からずっと前の時代、少し悲しい出来事が起こりました。
昔、音羽の牛尾山の山頂付近にあるお寺で御利益があるお札を貰えたそうで、山道を登る人が何人もいたそうです。
ある日、ご利益を授かろうととある子連れの女性が乳母車に小さな赤ちゃんを乗せて山道を登って行きました。
山道の中頃に差し掛かり、一息つく為この「銚子の滝」で一休みする事にして、滝の側にある少しくぼんだ岩陰の側に腰を下ろしました。
その時、少しの間子供から目を離してしまったのですがふと見ると今まで置いてあった場所に乳母車が見当たりません。
慌てた母親があたりを探していると滝の下から何か音がするので見てみると滝の下の岩の上に乳母車と子供の姿が見えました。
水面に流れる血の色を見て取り乱した母親は1人で滝を降りようとしたのですが思ったより険しかったので急いで山道を引返し、ふもとの住民に助けを呼びに行きました。
しばらくして村人を連れて滝の場所まで帰ってきた母親達でしたが到着した時、滝の下には壊れた乳母車が川の流れに揺れているだけでした。
その後川下などもくまなく捜索したのですが結局子供の姿はどこにも見当たりませんでした。
諦められない母親は村人のいう事を聞かず、その滝の側の岩陰を離れようとしなくなり「きっと子供がここにいる」と飲まず喰わずで居座るようになりました。
そしてしばらく滝の横を通る他の参拝者たちに「私の赤ん坊しりませんか」と問い詰めるようになりました。
その後2か月もの間で、髪は乱れ顔はこわばり体は老婆のようになってしまいました。
痩せ細った体で鬼気迫る表情に参拝者達はとても怖がっていたそうですが、やがて「私の赤ん坊返せ」と恨めしく迫るようになってしまいとうとう気が狂って亡くなって行ったそうです。
それからというもの、その滝の麓を通る際人が居ないのに「私の赤ん坊返せ」と言う声が聞こえるようになったそうでその声を聴いた人は病にかかったり必ず不幸が訪れるようになったそうで村人たちによって供養される事になりました。
今でもその「銚子の滝」の側の岩陰には供養の為子供の形の「彫像」のようなものが埋めてあります。
そして・・・
大学生からその話を聞いた私は友達と二人でキャンプの翌日、早朝に「銚子の滝を実際に見に行こう」とプチ肝試し感覚で朝早くに見に行く事にしました。
「恐怖<モテたい」が方程式の中学生2人にとって滝まで足を運ばせるのはそれ程難しくない事でした。
テントを張っていた川辺より数十分程歩いて降りて滝まで到着した私達でしたが、滝の側に掛かってあった「名札」を見て、あまりの恐怖さに泣きながらその場から走り去ってしまいました。
その滝の側の名札にはこう書かれていました。
聴死の滝
しばらくしてそんな出来事も忘れた高校の頃の私でしたが、ふとした事でその昔話を知っている先生に出会い、その体験談を話したところ「それはおかしい」と首を傾がれてしまいました。
その先生が言うには「聴死」ではなく「銚子」と書かれているはず、だと。そしてその時初めて「銚子の滝」の本当の漢字を知れました。
今となっては、私も当時の友人もその「漢字」は本当に「聴く死ぬ」だったのかハッキリ覚えていませんが、二人が恐怖したことは事実です。
そして現在このO-Keynee付録である「怪談vol2」を作成するに当たり、当時には無かったパソコンのインターネットを利用して
山科 牛尾山 銚子の滝
と検索してみました。
すると何件かヒットしたので知識として見てみるとあるサイトに滝の名称がこう書かれていました。
「聴呪ノ滝」
そして「銚子の滝とも言われています」との追加説明が書かれてありました。
あの時見たのは「呪い」と言う文字だったのかも知れませんが、やはり見間違いでは無かったと言う事です。
久しぶりに思い出して背筋にゾクゾクしたものを感じました。
やましなす皆様。
今回はオーキニーをご利用いただいているお客様にお配りしている「オーキニー通信※」の夏恒例となった「山科の怪談」より、前々号をご覧になられたことの無い方のために以前の「山科の怪談vol2 銚子ノ滝」の記事を載せて置いておきます。
※オーキニー通信Vol18は今週末辺りに到着予定です。
これは私が中学3年生のころの話です。
当時の秋頃ですが仲の良いクラブの友達男女数名と牛尾山にキャンプに行くことになりました。
夕方に差し掛かり皆で薪を集めていると、森の奥から1人の大学生らしき男性キャンパーが現れました。
聞くと、良く一人で牛尾山でキャンプをしているらしく意気投合した私たちはそのまま一緒に夜を迎えました。
その男性がテントの中で色々な怖い話をしてくれたのですがその時に聞いた一つの話を皆様にお話しします。
牛尾山の牛尾観音までの山道を登る途中、5m程の高さの滝「銚子の滝」があります。その場所で今からずっと前の時代、少し悲しい出来事が起こりました。
昔、音羽の牛尾山の山頂付近にあるお寺で御利益があるお札を貰えたそうで、山道を登る人が何人もいたそうです。
ある日、ご利益を授かろうととある子連れの女性が乳母車に小さな赤ちゃんを乗せて山道を登って行きました。
山道の中頃に差し掛かり、一息つく為この「銚子の滝」で一休みする事にして、滝の側にある少しくぼんだ岩陰の側に腰を下ろしました。
その時、少しの間子供から目を離してしまったのですがふと見ると今まで置いてあった場所に乳母車が見当たりません。
慌てた母親があたりを探していると滝の下から何か音がするので見てみると滝の下の岩の上に乳母車と子供の姿が見えました。
水面に流れる血の色を見て取り乱した母親は1人で滝を降りようとしたのですが思ったより険しかったので急いで山道を引返し、ふもとの住民に助けを呼びに行きました。
しばらくして村人を連れて滝の場所まで帰ってきた母親達でしたが到着した時、滝の下には壊れた乳母車が川の流れに揺れているだけでした。
その後川下などもくまなく捜索したのですが結局子供の姿はどこにも見当たりませんでした。
諦められない母親は村人のいう事を聞かず、その滝の側の岩陰を離れようとしなくなり「きっと子供がここにいる」と飲まず喰わずで居座るようになりました。
そしてしばらく滝の横を通る他の参拝者たちに「私の赤ん坊しりませんか」と問い詰めるようになりました。
その後2か月もの間で、髪は乱れ顔はこわばり体は老婆のようになってしまいました。
痩せ細った体で鬼気迫る表情に参拝者達はとても怖がっていたそうですが、やがて「私の赤ん坊返せ」
と恨めしく迫るようになってしまいとうとう気が狂って亡くなって行ったそうです。
それからというもの、その滝の麓を通る際人が居ないのに「私の赤ん坊返せ」と言う声が聞こえるようになったそうでその声を聴いた人は病にかかったり必ず不幸が訪れるようになったそうで村人たちによって供養される事になりました。
今でもその「銚子の滝」の側の岩陰には供養の為子供の形の「彫像」のようなものが埋めてあります。
そして・・・
大学生からその話を聞いた私は友達と二人でキャンプの翌日、早朝に「銚子の滝を実際に見に行こう」とプチ肝試し感覚で朝早くに見に行く事にしました。
「恐怖<モテたい」が方程式の中学生2人にとって滝まで足を運ばせるのはそれ程難しくない事でした。
テントを張っていた川辺より数十分程歩いて降りて滝まで到着した私達でしたが、滝の側に掛かってあった「名札」を見て、あまりの恐怖さに泣きながらその場から走り去ってしまいました。
その滝の側の名札にはこう書かれていました。
聴死の滝
しばらくしてそんな出来事も忘れた高校の頃の私でしたが、ふとした事でその昔話を知っている先生に出会い、その体験談を話したところ「それはおかしい」と首を傾がれてしまいました。
その先生が言うには「聴死」ではなく「銚子」と書かれているはず、だと。そしてその時初めて「銚子の滝」の本当の漢字を知れました。
今となっては、私も当時の友人もその「漢字」は本当に「聴く死ぬ」だったのかハッキリ覚えていませんが、二人が恐怖したことは事実です。
そして現在このO-Keynee付録である「怪談vol2」を作成するに当たり、当時には無かったパソコンのインターネットを利用して
山科 牛尾山 銚子の滝
と検索してみました。
すると何件かヒットしたので知識として見てみるとあるサイトに滝の名称がこう書かれていました。
「聴呪ノ滝」
そして「銚子の滝とも言われています」との追加説明が書かれてありました。
あの時見たのは「呪い」と言う文字だったのかも知れませんが、やはり見間違いでは無かったと言う事です。
久しぶりに思い出して背筋にゾクゾクしたものを感じました。