やましなす皆様。秋の夜長に虫の声。ようやっと涼しくなってきたと思ったら季節外れの蚊がブンブン。
はてさて地球はどこへ向かうのやら。
月に一度になってしまったこのブログも、こうやって落ち着いて書けるような環境そして体調である事に何よりも幸せを感じる今日この頃。毎号必ずオーキニー通信でタイピングミス(誤字)を多く見逃している男斉藤です。だって画面の字がちっちゃいんだもん。
今号も3文字ほどやってしまってますので、良かったら間違いを探してみてください。
以前お話したことがありますが、当店は美容室であると理解していながらも違った目的を期待してご来店頂いているお客様が少なからずいらっしゃいます。
勿論どのようなご利用方法であれ、必要とされているのであれば全力でお答えするのが私のモットーでありますので、その事については別段今更何も語りません。
先日、あるお客様から質問されました。
斉藤さんちょっと聞きたい事、と言うか斉藤さんの意見でいいので教えて欲しい事があるんですけど。
前後の会話で談笑していたのですが、急に改まられたので神妙に何事ですかと聞き返すとお客様は目を瞑っりながらゆっくりこう尋ねてこられました。
私は主人と長く夫婦をしているんだけど、どうも理解できないことがあるの。
主人に対して今までの人生で色々なアドバイスや返答をして来てあげたんだけど、そういう言葉を主人は一切聞こうとしなかったの。
それらは彼の行動に対して小言のように「こうした方がいい」と言うのではなく、彼の方から聞いてきた事だけに応えていたつもりなの。
例えば「今日は歯が痛い」と私に伝えてきたら、私は「タバコの吸いすぎも原因の一つだと思うから本数を減らしたらどう」と彼の身体を気遣って返事をしてあげたのに、主人は「そんなの関係ない」と不機嫌になって一切聞く耳を持たない。
ふんふん
そんな事が繰り返されるので、私は「ああ。どうせ言っても無駄だから」そして彼もおそらく「こいつに言っても無駄」と学習したはずなので私は長年ずっと別段気にしない事にしてるの。
なのに主人は何故かいつも朝起きてきた時やリビング、夜寝る前なんかでたまに顔を合わすたびに訴えてくるの。
「今日は首が痛い」「おなかの調子が悪い」「昨日の夜眠れなかった」
ふんふん
主人は私に何を求めているのかしら。
えっ
お客様はかなりお若く見える方なのですが、すでにお孫さんもいらっしゃる年齢。もう30年以上夫婦生活を続けているそうです。要はご主人が何故いつまで経っても学習出来ないか理解できない。私は関心がもうないと言うか貴方によって消し去られた事実を貴方は知っているはずなのに男、一人の夫として客観的な意見を私に求めてこられてきたようでした。
ではそういう時にご主人に対してどう返事をしているか聞いてみた所聞こえないふり(無視)をしてるとお客様は答えられました。
間違っていないと思います
そして私は口と手を止めないよう意識を保ちながら答えを探しました。
この時から何故か下腹部のどこかで理解不能の少量の重力を感じはじめていたのですが、無かった事にして言葉を選び発しました。
ご主人は多分奥様に自分の今の現状を聞いてほしいだけだと思います。
聞いてあげてるつもりなんだけど、腹が痛ければ薬を飲めばいいし、眠れないなら早く布団に入ればいい。
子供じゃないんだから誰かに言われなくても自分で解決する方法は今までの人生で知っているはずじゃないかしら。
ごもっともです
私は自分の体調に変化があっても家の用事が山のように残っているから早くそれを解決しないといけないし、効率よく時間を使わないといけないからそんな無意味な事に体力を使わないの。
おっしゃる通りです
不思議よね。
不思議ですね
斉藤さんはそんな事ないですか。どう思いますか。
私・・私ですか
同じ空間内。3m程離れた場所でお客様と会話をしている妻の存在に得体の知れないプレッシャーのようなものを下腹部に感じながら、あれでもないこれでもないと答えを探し言葉を慎重に選んで話をしている私がそこに居ました。
先月、お盆休みで妻の実家である長野から帰ってきたのですが、その日から私は今までの人生で感じた事の無い痛みを首に患いました。
痛みは取れる事がなく今日まで至っているのですが帰省後の1週間ほど、痛みとは別に私の身体は自分でコントロールできない「とある」条件反射を繰り返していました。
仕事中、そしてリビングでくつろいでいる時。妻と目が合った瞬間に突然思い出したかのように首に痛みを思い出し、必要以上に痛がる素振りを心と体がアピールしてしまうのです。
言葉はありません。片手を首の側面にあてがり軽く顔を横に倒す仕草を、まるでパブロフの犬のよだれの様に無意識レベルでしてしまっていたのです。
なぜその様な反応が出ていたのであろうか。
最近丁度カウンセラーの勉強をかじっていた私だったので、これも何か必然的なタイミングなのだと思い自分とお客様双方にとって前進するため、真摯に受け止め向き合う事を瞬時に決意しました。
自分の体験を重ねて思い出し確信した後、私はお客様にこう伝えました。
ご主人は奥様の事を愛しているのだと思います。
えっと。意味が分からないんですけど。
わからないですよね。
理由はいくつかあるのですが・・・まず一つ目。多分ですがご主人は奥様とコミュニケーションを途切れさせたくないのだと思います。
例えばですが、奥様は日常あらたまってご主人と会話はされますか。
別に話すこともないし一日言葉を交わさない日が多くあるけど必要な事は聞いているわ。
ご主人は不器用なんですよ。
不器用なんです旦那様
自分をアピールしてその返事をしてほしいだけなんだと思います。
本当は君に興味がある。君の事をまだまだ知りたくて仕方が無い。だけどきっかけが分からない。此方からだと照れくさいのでまずは君から僕に優しい言葉をかけて欲しい。
そんな事を簡潔にお客様に伝えたかったのですが、何故か同じ空間に存在する何者かのプレッシャーが私にその言葉を口から出す行為をためらわせました。
奥様との関係をこれからも長く良いものにしたいために会話の皮切りに自分の体調をアピールしてきっかけを作ろうとしているのだと思いますよ。
ふぅん。会話下手くそよねぇ。
下手くそ過ぎますね
それともう一つ、ご主人がアピールしてくるときってもしかしたら奥様何か用事をしているタイミングではないでしょうか。
うぅん。そうね殆ど洗濯物しまってたり炊事してたり動いてる時かもしれない。
間違いないです
そうですよね。多分それは自分も頑張っているアピールしているのだと思います。
何を頑張ってるのか全く分からないんだけど。
いつもありがとう。君は毎日色々家の事をしてくれているしその姿を僕は見えているよ。本当は手伝ってあげたいのだけど今更、というか急に動いたら気持ち悪がられるし、別にいいって断られたり万が一邪魔って言われたら立ち直れなくなるから傷つきたくない。
恐らくお客様と私の二人しか今この空間に居るのであれば伝えられていたであろうその考察は、私の口から発せられる事はありませんでした。
良くは分からないですが、無理くりに考えてみたのですが、きっと「奥様が家事をしているのを横目で、ゆっくりしている自分に場が悪くなって、俺は体調が悪いから動けないのは仕方が無い。でも何もやってないのではなく痛みに対して頑張っているってアピールしている」のではないでしょうか。
なにそれ。何もやってないだけじゃないの。
おっしゃる通り何もやってないです
だから無理くりに考えて、ですよ。対等の立場になりたいから「やればできる、けど今はやれない」って遠回しに言いたいのだと思います。
ふぅん。なんかバカみたいね。
みたいじゃなくてバカかも知れません
まあとりあえず、奥様は「○○したら」という具多的なアドバイスや逆に「いつも○○だからよ」という言葉をかけるのではなく、とりあず労(ねぎら)いの「大変ね」とか「頑張ってね」という言葉をかけてあげさえすれば万事うまくいくような気がしますよ。
えぇ。面倒くさい。そんな言葉待ってるんですかねぇ。
いや分かりません。まあ試しにいつものような流れになったら無視したり「ふぅん」と返すのではなく、「ゆっくり休んで」って試しに言ってみてあげてください。
何か得体の知れない悲しみが具現化したお化けの様なものが私の背中にべたッと張り付き腕を伸ばして私を包み込もうとしている気がしました。
まあ何か分かったようなそうでないような。とりあえず主人はいつまで経っても成長しない、くだらない面倒くさいって事ですね。
そうですね。勿論コレは悪魔で仮説です。ご主人はそうではないかも知れません。しかし多分きっと世の中の男というのは大半はくだらない面倒くさい生き物だという事は間違いないと思います。
結局私のカウンセリング又一意見は、お客様の心に一切響くことはなく、逆に益々夫婦仲をややこしくさせてしまう爆弾のようなものを投下しただけの結果となってしまいました。
とりあえず言える事は〇様貴女は何も間違えていません。
夫婦って不思議ですよね。
相手の事を自分以上に良く知っているはずなのに、お互い見透かされているようで認め合えばしごく単純な話であろうと意地の張り合いでボタンを掛け違え、些細なほころびを直す努力を惜しんでしまう。
ごめんな。いつもありがとうな。なにかてつだうわ。これからもよろしくな。こっちこそな。
数にすれば全部10文字以内の噛む事さえ難しい簡単な言葉です。
一寸前に進むだけ、一寸言葉を付け足すだけで手に入れられるモノはどれだけ大きな財産となるのでしょうか。
はんまいつもありがとうそしてごめんなさい。これから日々精進したいと思います。
何が言いたいかわからないブログになりましたが、このお客様には「ネタにするかもしれません」と了承を得てます。
異論反論認めません。悔いもありません。だがしかし海のような大きな心をもって読んでいただいている事を切に願います。
最後に○様。このブログは読まれることはないかもしれませんがご主人の名誉のためにお願いします。
今回の話はあくまで仮説で全てがそうとは限りません。可能性としてそのような返事もありかと思っての考察ですのでそこのところをよろしくお願いします。
※本文のオレンジ色の文字(言葉)は若干のアレンジが加わっているのでご注意願います。
お客様各位
いつもご利用いただきましてありがとうございます。
以下の日程にて夏季休暇をいただいておりますので大変ご迷惑をお掛けいたしますがよろしくお願いいたします。
8月13日(日)~17日(木)
休業中はインターネットからのみご予約可能となっております。
https://2.onemorehand.jp/o_keynee/
その他の連絡は、確認に時間がかかるかもしれませんがサロンの公式ラインからよりお願いいたします。
皆様もどうぞ良い夏をお過ごしください、
やましなす皆さまご機嫌いかがでしょうか。かつて「ゲームの大様」と呼ばれ(自称)ていたにもかかわらず、家族でマリオカートだ遊んでいる時、本気を出しているのに子供たちに負けてしまうようになった男斉藤です。
突然ですが私はディズニー映画とスタジオジブリ、そしてドリームワークスのアニメが好きで、まだ世の中にDVDなるものが存在する前からバイト代を使って一本13000円くらいしていたディズニーやジブリ作品のビデオテープを買い集め、ディズニーに至っては「字幕版」と「吹き替え版」両方をそろえて本棚に並べたりしていました。
そんな私ですが、先日の休みの日に娘と二人で話題になっている(インターネットにて賛否両論ある)宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」を観てきました。
既に見終えたお客様達から「オーキニさんも早く見てきて感想を聞かせて」とお願いされてたので簡単にレビューさせていただきます。
未だこれから夏休みを利用して鑑賞に行く予定の方も多くいらっしゃると思いますので、例によってこのブログではネタバレを極力含まないように考慮しつつ素直な感想だけお知らせしたいと思います。
私はこの作品の同タイトルである吉野源三郎原作の「君たちはどう生きるか」を学生時代、そして大人になってからの計二回読んだことがあるのですが、そのオマージュは作中に一瞬だけ出てくるだけで全くの別モノ。吉野氏原作の作品にあったコペル君の父親のセリフや言葉のような誘導は全くない作品です。
しかしながら今まで数多く宮崎監督作品を観てきましたが、これほど強烈なメッセージ性のある作品はありませんでした。
最初私も理解しようと物語の主を探すために躍起になっていましたが、途中から「なるほど。これはそういう映画なんだ」と察して楽しみながら見ることが出来るようになりました。
久しぶりに自分に前向きになれ、そしてこれからの子供たちに何を伝えて行けばいいのか強く背中を押された気分になれました。
僕はこう生きて来たけどきみたちはどういきるの。
情けない話ですが私は今の世の中の流れが苦手です。そして子供たちがそういう世の中を生きていかなくてはいけない流れに嫌悪感と罪悪感すら感じています。
流れず思いのまま生きて行って欲しい。
成功と言う形のない言葉に対して誰かが歩いてきたような安全を確保された同じ道を選んだり、形が決まっている風景や見た目だけの食べ物のために同じ写真を写すという行為だけの為に喜びを感じる現代。そしてそれを他の人と同じように平然とアピールして当たり障りのない評価に一喜一憂する流れは一体だれが作ったのでしょうか。
自分の意志或いは意思ではない行動。自分を大切に思ってくれる周りの人よりも見た事のない遠くの誰かを参考にして誰もが体験できるモノを真似して体験する。
勿論そんな若者たちばかりではないですが、そういった人が目立つ時代になってしまっている気がします。
自分にしかない積み上げられない人格と言う積み木を、自分なりの解釈で積み上げてこそ「楽しい人生だった」と言えるのではないでしょうか。
色々な人がいて様々な形で社会と繋がっているからこそ世界は美しいのではないのでしょうか。
私はこの作品を見て初めてディズニーの「不思議の国のアリス」を見た後の何とも言えないフワッとした感覚と、そういった「自分の感性をこれからも大事にしていかなければいけない」という強い意志を与えてもらったような感覚を二つ同時に感じてしまいました。
うまく言えませんが巨匠が残した最後のクラッシック音楽作品を聴いたり名画を見た後、又酷くメッセージ性の強いミステリー小説を読んだ後のような感覚。
今週の金曜日に劇場にてパンフレットが発売され始めるそうですが、そこに描いてある答え合わせがどうであれ、何の情報もないままこの映画を見れた事、そして二回目なのに一緒に見に行ってくれ、独自の感性で「めっちゃおもろい」と感じれるように育ってくれた娘に感謝しつつ、これからの人生にこのヒントをうまく活かしていきたいと思います。
私的レビュー ★★★★★★★★★★ 条件付き満点(宮崎駿監督の最後の作品だったとして)
やましなす皆様いかがお過ごしでしょうか。妻と付き合ってから初めて顔合わせに行った長野の実家で何故かカラオケに連れて行かれ、お義父さんの歌う「東京砂漠」にハモリで下パートを寄せて歌ってしまったお陰で、帰省する度にお義父さんにカラオケに誘われるようになった男斉藤です。
私は20代の頃カラオケが趣味でした。
東京で働いていた頃、仕事納めの週末は結構な確率で誰かしらからカラオケのお誘いを受け、「歌手なりきり衣装セット」をリュックに常備して松田聖子様やカールスモーキー石井、将又欧陽菲菲などの衣装に着替え歌っていたところ、いつの間にか会社では美容の腕を買われるより宴会部長としての需要だけが独り歩きしてしまった苦い過去があります。
そういえば飲んだ後のカラオケって上手かろうが下手であろうが、そして誰が歌っていたであろうが「最後に歌っていた歌」がいつまでも耳に残ってしまう現象がありますよね。
私の場合、同期入社した「殿下」というあだ名の老け顔の五反田支店長に上り詰めた男が、いつも最後に「サントワマミー」と言う歌を〆で歌っていたので今でもその曲を聴くと、若い頃慣れないのに頑張って飲んでいた薄いカルーアミルクの味を思い出し苦いビールが飲みたくなります。
最近ほぼ毎日、早朝にウォーキング&ストレッチをしているのですが、どちらかと言えば健康のための「歩く」という行為よりも勉強のための「聞く」に重きを置いてモチベーションを保っています。
皆様は「オーディブル」というサービスをご存じでしょうか。
オーディブルとは通販大手のAmazonがサービスの一環として行っている「定額料金で本を読み放題で読める(耳から聞ける)サブスクリプション」のスマホのアプリの事です。
最近中々自分の時間が確保できず且ついざ読もうとしても目が疲れていて読む気力が失われてしまい、興味があり購入していた本が溜まる一方になってしまったので「ながら」ができるこのサービスを利用する事になったのですが、とても充実した時間を過ごせるようになりました。
最初の頃は普通の文庫本を聞いていましたが、今では何故か自己啓発的な作品を多く聴くようになっています。
その中で脳科学について解説している作品がありそこで「脳には最後に見た(聞いた)ものを強い記憶としてとどまらせる親近効果」というものと、聞いたもので暗示にかかる「プラシーボ効果」。イメージを実際に行動として伝達する「ミラー細胞」というものがあるという解説をしていました。
なんか難しそうな話になりそうなので分かり易く言うと、要は「カラオケで『残り10分になりますので』という連絡が入ってから最後にチョイスした歌が楽しい歌だったなら皆楽しい気分でお開きができて、その後の人生もハッピーになる」という事らしいです。
ですので24時間テレビでZARDさんの「負けないで」が流れて応援したくなってしまうのもそのなんちゃら効果や細胞の働きのお陰。つまり一緒にカラオケに来ていた誰かを明日から頑張れ、と励ましたいのであれば「明日があるさ」や「上を向いて歩こう」を最後の曲で歌ってあげると実際に効果がでるという事になります。
人によってはライザップのブーッップ、ブーッップ、チャラッチャッチャチャラッチャッチャ~という音楽が流れると何となく食欲を我慢したくなる人がいるかもしれませんので、相方や恋人が最近太り気味だと心配するのであれば、そのテーマソングを口ずさみながら食事を作ってあげたり、酒のツマミにチータラを食べている横で何気なく口ずさんであげるのも効果があるかも知れません。
お開きの前にサントワマミーばかり聞かされていた私ですが、今になってやっと当時何故か寮やマンションに帰ってから人恋しくなっていた理由が漸く理解できた気がします。
そして勿論この効果は「歌」だけでなく「言葉」でも同じ事が言えるのです。
お気づきの方もいるかも知れませんが、ここ一か月程私はこの効果を意識して接客するようになりました。
近頃皆様ご来店の際に「あっつう(暑ぅ)」や「今日も暑いね」と開口一番に発せられる方が少なくありません。
そんな時意識的に「でも○○地方みたいに豪雨の影響も受けてなくて良かったですね」「でもなんか京都の夏が久びりに戻ってきた感じがして良かったですね」と無理くりに「でも(でもぉと言ってます)」を付けてから会話を進めたりなんかしちゃったりなんかしています。
そうすると確実に皆様お顔が少しほっこりした感じになられます。
もしかするとその事で不快な思いにさせてしまった方もいるかもしれませんが、私たち「サービス業」は技術職としての美容業だけでなくいかにお帰りの際に「来てよかった」と思われたのかが大切な気がしていますので、意識する事はとても重要だと感じています。
先日、友人と二人で飲みに行った際この「でもぉ」を楽しみながら使ってみたら結構お手軽に会話が通常以上に楽しくなり、何気ない妻との日常会話も楽になりました。(一方的になった気がしてます)
昨日息子が夏休みの自由研究の課題に苦しみ途中途中で挫折しながらもなんとか作品を完成させ、横になりながら「なんでこんなの毎年やらなあかんの。5時間も疲れたし最後捨てるだけやん」と言って寝ようとしてたので「でもぉ」と口にして続きの言葉を促しました。
「でもぉ・・・うーん。でもこれで自由研究終わったし気持ち楽になった。あと、結構あっという間やったから面白かったんやと思うわ。」
息子はそう感想を口にしてから「おやすみ」と気持ちよさそうに眠りについていました。
意味を持たすのは簡単で、どうせ変わらない想い出であれば〆は全て楽しいものにした方が豊かになりそうです。
という事で25年程昔。私の同期の殿下が最後に歌っていた「サントワマミー」に意味を持たすため現在思考を凝らしています。
せめて当時彼が岸洋子さんか越路吹雪さんの日本語バージョンの「サントワマミー」をくちにしていたのであれば耳にしながら何となく意味を見出せていたと思うのですが、彼が歌っていたのは誰が歌っていたのかすらわからない英語バージョンのそれ。
とりあえず翻訳してみました。
すべてが終わってしまった。君の信頼を失ってしまった。それは分かってるけどお願いだ。チャンスをくれ。
僕の後悔を目にしても君は知らんぷり。もちろん君は悪くないけど大目に見てくれないか僕らが生きてきた。
喜びの名の下に僕らが無くした愛の名の下に。君がいないと。
愛しい人よ時の流れは重く時間も日々も希望もなく沈んでいく。
君がいないと。愛しい人よ。君がいないと。愛しい人よ
僕はあてどなく彷徨う。僕は迷い彷徨う。暗い空の下で。
Sans toi ma mie
はい。「でもぉ」
でもこうやって時が過ぎ、急なキャンセルによって空いた時間にブログで微妙なネタに出来ました。
いややっぱりこんなんしかあらへんぞ殿下。
※「サントワマミー」を聴いた事がない方はどこでもいいので是非文中の「サントワマミー」をクリックして一度聴いてみてください。そして聞かされ続けた当時の私の得体の知れぬ苛立ちを共感してみてください。
やましなす皆様。毎号一か所は必ず誤字やミスが載ったまま通信(オーキニー通信)を発送してしまっている男斉藤です。
バナナは抜け毛予防に効くし、祇園祭は昨年規模を縮小して開催してるっちゅうねん。ほんま詰めが甘いです。
うちの息子はトイレが大好きです。
「ウンチ」と宣言してトイレに入ると早くても10分、長い時なら1時間程出てきませんし、その事で姉弟喧嘩が大谷選手の打率位の割合で起こっています。
まあ中から自身で作詞作曲のオリジナルソングや、大好きなアニメのセリフなどが頻繁に聞こえてきているので、別におかっぱの赤い服着た女の子と会話したり、4時44分44秒に異次元に連れて行かれたりしている訳ではないので「痔にならんように気を付けや」とだけ注意している所存であります。
ある日仕事から終わって二階へ上がり、小便をしようとトイレの扉を開けた所、下半身裸の息子がカギもかけずに中で座って歌ってました。
とっつぁんお帰り。
ただいまやけどここでやり取りする会話ちゃうと思うぞ。
カギ閉めて気張れよ。そう言って出て行こうとしたのですがハッと思い興味本位で息子に聞いてみました。
なぁ。ウォシュレットいっつも使ってるか。
歌の二番を歌いなおすため油断して下を向いていた息子は私の顔を不思議そうにのぞき込みながら顔を斜めに傾けて言いました。
うぉしゅれっとて何なん
息子が生まれて暫く共同で住んでいた実家のトイレ、そして数年間住んでいた賃貸マンション。思い起こせばトイレの脇にボタンではなく本体にひねりレバーのみの様式ばかりでした。
家族4人が笑顔になる為、使っているであろうと高を括っていた我が家の「ウォシュレット付きトイレ×2台」は私の思い込みだけで不親切にも彼に対して説明不十分であり、その全てのシステム、そしてスペックさを提供できていなかったのです。
私は壁に張り付いている「おしり」「やわらか」「ビデ」と書かれたボタンを指差し、彼に向って「コレや」と簡潔に説明したのち、実戦あるのみとそのシステムを体で覚えてもらう選択をしました。
そのまま動くなよ
そう言って息子の身を案じた私は、自分が使った事がない「やわらか」ボタンを押してそのままトイレを出ました。
扉を閉め、かすかに聞こえるブゥンという音と共に少し時間が経ってから息子の声がしました。
あ”ぁぁぁぁぁぁあ”ああぁあぁぁ
初めて耳にする言葉でした。
力強くもこもった音階。漫画等で良く見た事がある「あ”」という言葉。恐らく息子も初めて口にしたであろう声。
やめてお父さん止めて
あに濁音てリアルに付けれるんや、と少し感心しながら尿意の蛇口を開く準備をしていた私は、助けを呼ぶ彼の声に
『止』ってボタン押したら止まるし
と関心薄めに答えながら一階の美容室のトイレを使おうと階段を下りようとしていたのですが、余りにも長くトイレ内から「あ”」の声が悲痛に長く聞こえてくるので階段のコーナーを曲がったあたりで二階へ引き返し、面倒ながらも息子が懇待するトイレの扉を再び開けました。
動けへんねん
父親としては失格だったと思うのですが、半べそになった息子の顔を見て何故か突然笑いがこみあげて来てしまい、スマンスマンと謝りながら「押したら止まるやんけ」と「止」ボタンではなく、使った事がない「ムーブ」というボタンを押しました。
ぎゃぁ
うぃんうぃんと聞きなれない音の合間に一定のリズムで息子の口から出る悲鳴が数秒後、私の正気を取り戻してくれ、流石にちょっと可哀想かと止まるボタンを押させてくれました。
ノズルが奥に引っ込む音がして息子が脱力した為、放水が終了したのを確認できたので何か話そうと思い私の口から出た問う言葉
気持ちよかったか
に対してうなだれたまま彼は何も答えず、首を少しもちあげ下から覗き込むように私にキツイ口調と恨めしい目つきで一言だけ声を発しました。
出ていけ
息子の私に対しての初めての感情がこもったその声を聞き、これは笑ってはいけない事態になってるな、と私は言われるがままトイレを退室しました。
「お父さん、蒼くん何かあったんか」
リビングから心配そうにお姉ちゃんが聞きに来ましたが私は彼女に「大丈夫。蒼くんはただ大人の階段一歩登り寄っただけや。」と簡単に伝えると、そのまま階段を下へ降り直しました。
あの事件が起こってから早いもので半年程過ぎようとしています。
昨晩久しぶりに、言われても鍵をかけない学習不足の息子とトイレで鉢合わせた際「おぉスマン」と言いながら扉を閉めようとして思い出し、閉まりきる前に彼に興味本位で聞いてみました。
あれからウォシュレット使ってるんけ。
そういう私の問いに対して、少しの間考え込んでから笑顔で彼はこう答えました。
刺激が欲しい時にたまぁにかな。
私は「そうかお大事に」とだけ彼に伝えて扉を閉めました。
その後、罪悪感のような黒いモヤモヤしたものが私の頭の中からしばらくの間出て行かなくなりました。
出ていけと言われた半年前の時は、全く感じなかった罪悪感を覚えながらしみじみと考えさせられました。
教育って時には失敗するものなんですね。
因みにお姉ちゃんには何か怖くて未だにウォシュレットの事を聞けずにいます。