やましなす皆様。もう終わったはずなのに何故か追いかけてしまう男レイニーブルー斉藤です。
私も今日はそっと雨です。
先日、過去に書いてほったらかしになっていたボツブログを整理していたら途中まで書いてアップしなかったとある記事が目に留まりました。
「大切なお客様へ」
文頭から丁寧な書き出しから始まったその内容は約4年前に日本でコロナ患者が出始めて経営者として大変苦しめられた時の心情をつづられた、今ではこっ恥ずかしくて人に見せられないブログと言うか遺書みたいなモノでした。
もし何かあったらどうかお許しください。これまでありがとうございました。ご恩は一生忘れません。
過去の自分に気持ち悪さを感じながらも消去する前にすべて読み直し、大切な事柄であったことに気が付き自分の心にもう一度落とし込むため違う形でブログにしてしまってから消そうという事で今回一寸重い内容になりますがアップさせていただきます。
当時はしばらくの間本気で店を閉めようと考え妻とも話し合いを重ねていました。
オーキニーでは現在でも80~90歳になられるご高齢の方が数人ご来店されていますが、その他にも年老いたご両親と一緒にお住まいの方や病院にお勤めの看護師さんや医師、保育士さんや介護士や学校教員と多数の人とかかわる環境の方にご来店頂いてます。
私も接客業として人との関わりを切れない職業であるため、私たち夫婦を媒体として様々な方にウィルスをうつす可能性が少なからずあった当時、日頃お世話になっている皆様に万が一でもウィルスをうつしてしまったら一生後悔の念が消えなくなると毎日思っていました。
アルコールを手に入れる為1時間かけて車を走らせ、手作りのマスクを作成し、空気清浄機を購入。本を電子書籍にしてフェイスシールドをしながら仕事をしたり休みの日は一切外に出歩かなくなり、学生で電車通学であった娘との会話すら避けたりしていました。
家のローンが始まり、子供たちの教育費が今まさに多くかかろうとするタイミングでこのまま人殺しになるもしくは家族を路頭に迷わす可能性のある接客と言うカテゴリーの仕事を続けていいのかどうかの葛藤で頭がパンクしそうになり、いっその事と手相占いの本や心理学の本を買いあさるという愚行にまで走っていました。
当時、皆様の中でも何かを失われた方や奪われた方、色々な大変な事件があった事だと思います。
少量のマスクの入荷に振り回され奪い合い、それを利益のために利用転売する人。外出や人との接触を制限し始め、ウィルスに罹患された人をつるし上げて地域で村八分状態にする。子供たちの大切な成長次期であるイベントが奪われ、一人で生きて行こうとする人たちが悪目立つようになりました。
誰も望んでいない暗い未来に向かって進む時間に不安と絶望を感じていました。
話は変わりますが私には高校から付き合いのある仲の良い同級生が4人いました。
職業は会社員、自営業と様々ですが私と同じ美容師で経営者がもう一人おり、その5人で1年に数回時間を合わせて稀にお互い刺激になるような飲み会を開いていました。
当時丁度コロナウィルスがニュースで取り上げられる数か月前に飲み会の予定を立てていたのですが、会まで残り1週間というタイミングで罹患者の情報がドンドン出て来て自分たちの住む町にも初めて患者が出たとの報道が飛び込んできました。
飲み会を開く会場は一番お世話になっている大好きな馴染みの鉄板焼屋さん。パチンコ屋さんやカラオケボックスに次いで煙たがられていた夜の飲食業という事もありコロナ禍で恐らくかなり大変な時期だったと思います。
開催日のギリギリまでは「大将達を助けるためにもマスク会席してでも絶対飲みに行こう」と話していたのですが、近隣で患者が出た事で「自分がウィルスを絶対持っていないとは断定できない為、万が一でも大将や女将さんお店の常連さんにうつしてしまったら風評被害で潰してしまうかも知れない」と考え、飲み会をキャンセルする事を提案しました。
友人達も快く聞き入れてくれるものと思っていたのですが、私と同じ美容の経営をしていた友人だけが理解を示してくれませんでした。
「日本経済を回さないとアカンから飲み会はすべきやろ」
「何より大切な人達に迷惑をかけてしまうと取り返しのつかないことになるやろ」
そう言って私と意見が食い違い結局その後鉄板焼屋さんに同級生での飲み会のキャンセルの連絡は入れたのですが、美容師の友人は同じ予約枠を利用して自分の家族を連れて代わりに食事に行きました。
当時は私も考えが足りずかなり口論となりましたが、彼には彼の正義があったでしょうしどちらの出した答えも正しかったのだと思います。
しかしその友達とは今までも考え方の不一致が目立っていた為、価値観の違いが露呈された事でそれを機に私たち4人とは疎遠になりました。
恐らくいつかはそうなる関係性だったのだと思います。
コロナウィルス以外にも人類の未知なる恐怖は多々あると思いますが「知らないもの」が「知ってる事」になると突然冷静に物事を判断できるようになります。
個々に色々思うところはあると思いますが、今となってはコロナ禍って何だったのでしょうか。
振り返ってみると私は「来るべき未来がとても早く近づく切っ掛けの出来事」そして「次世代の為の必要な経験」だったような気がしています。
以前うちから定期的に出している通信で「○○の所為で」ではなく「○○のお陰様で」と言う気持ちに変換しよう。様々な書物のお陰で「過ぎた過去なら悪く思うのではなく良いものとして考えたほうが楽しくなる」事が学べ、自分の言葉の様に偉そうにも書いた事がありました。
コロナ騒動のお陰で個々に「本当に大切にしないといけない事」が浮き彫りになったような気がします。
「リモート」という言葉が流行り、会議に診療、講義に面接そして飲み会やコンサートまでそれらが推薦され仕事のあり方すら変わりました。
オーキニーにご来店頂いている医師の方達は当時学会の出張が少なくなりこれからのスタンダードになりそうで助かる、と喜びの声を上げていましたが、現在ではリモートと直接会場に行く二つの選択肢から選べるようになったと話されています。
会社員の方も自宅で仕事が出来て通勤時間に余裕が出来たと快適さをアピールされていましたが、今は以前の様に出社するようになり出張が当たり前の時代に戻ったと話されています。
私は結局のところコロナ騒動のお陰で、本当に大切そして必要な事は「便利さ」「効率性」よりも「人とのふれあい」「時間を共有する事が大切」なのだという結果が出たと思っています。
政府が海外に支援を求めワクチンをはじめとした外交で判断を誤り、そのツケで日常生活で様々な税金等の出費が多くなり現在益々生活が大変になっています。
しかしそのお陰で、今まで政治に興味をそれ程持っていなかった事、民主主義をどこか他人事にとらえた生活をしていたのだと気づかされました。しかしそれは決して私だけではなかったのではないでしょうか。
テレビやマスコミを信じて疑わず一方的な情報に振り回されていた時代では無くなりました。
コロナ騒動のお陰で我々にも「理解するために自分で知識を得る事」という選択が今まで以上に出来るようになったと思います。
世の中に必要なもの。タピオカ屋や高級食パンを代表としたパッと出の食べ物屋さん。補助を受けてこれ見よがしに店を閉めただけの飲食業やいい加減な経営、立地条件がいいだけのお店。胡坐をかいて企業努力を怠っていた会社や娯楽施設等沢山なものが世界中から姿を消しました。
美容室も例外ではなく、京都だと河原町を始めとした繁華街で営業していたチェーン店はことごとく閉店してしまい、ここ10年で廃業率が上がる一方です。
中にはやむを得ない事情で無くなって行ったもものもあり全てがそうだとは言えませんが、私は最終的に人はモノより人を選ぶと思っているので「この仕事は(この人は)どういう想いで仕事をしているのか」という人々の見る目が肥えて来たのだと思います。
コロナ騒動のお陰でこの先自分が大切にしないといけない事、そして何を目標にすればいいかという事を改めて勉強できました。
私の好きな歌で着メロにも使用しているドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)という歌があります。
この歌の始まりの歌詞が母親が娘に「なるようになるさ」と言ってあげるという作品なのですが「なるようになる」は決して無関心無責任が言葉の意味ではありません。
「なるようになる」は未来に対して希望を持って生きている人が人生の先輩に不安を相談した、そこで初めて愛情がありその人を優しく背中を押してあげる為にかけてもらえる言葉なのです。
ケセラセラは自分では無く人のために使う言葉。
そしてマスクは自分のためではなく人のために付けるアイテム。
会社も観光地も学問や知識も化学も。命、気持ち、全て自分のためではなく社会や未来のために存在するモノ。
真実は最終地点まで常に一本道。ジタバタしても結果は変わらないかも知れませんが考える事や動く事を止めなければみんなが幸せになるケセラセラになるのだと思います。
コロナ騒動は未だ終わった訳ではありませんが、今の自分に出来る事。昔のブログを整理していてもう一度、常に感謝の気持ちを忘れない為に命名した美容室の名に恥じないように頑張らないといけないと心に誓えました。
これから時代は急激に変化していきます。ITやオートメーション化がさらに進み効率化が世界を包んで行く事と思います。
しかし小さな事かも知れませんが、私にしか出来ない事は未だ未だ残されていると思っています。
地域を盛り上げる事。家族を守る事。周りの人を笑顔にする事。正しい髪の知識を伝える事。くだらないブログを書く事。
休みの日にブログ整理している間にいつしか雨も止んでいました。
雨降りを眺めてばかりいると憂鬱になります。ですが何かに没頭していてふと顔を上げると状況が知らないうちに良くなっていた、そんな事が人生で多くあった気がします。
お客様を楽しませる為、自分に言い聞かす為、皆様に情報を提供する為、店の存在を承認してもらう為(飽きられない為とも言う)。
この4つのどれかの目的でブログを書いていますが今回はヤッターアンコウ、ではなく2つ目の目的で書かせていただきました。
ですので何か偉そうな硬い話でスミマセンが自分のために書いてますのでどうかお許しを。
これからも良いケセラセラを心掛けて行きたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
YOUTUBE ドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)和訳付き
やましなす。度重ねるシェービングにより左足のスネに細々したカサブタが張り付いている状態がディフォルトになってしまった男斉藤です。
このままでは今年の夏に予定している「着用ハーフパンツ、処理は男の義務の巻」の放映(ブログ)は中止せざるを得ない流れになってきました。
閑話休題。
オーキニースタッフである私たち夫婦は其々に個性があり又得手不得手があります。
カット等技術の面を除いてみても例えば接客。
長年仕事をさせて頂いていて自分たちでも感じているのですが、妻は(私以外の)人の話を聞き相槌を打つ事、私は話に助言を足す事が割と得意だとお客様から言われる事が多いです。
口癖で言うと妻は「へぇ」「そうなんですか」「そうなんですよ」私は「例えば○○」「それは○○じゃないですか」と言う言葉をよく使います。
漫才で見てみると間違いなくボケと突っ込みですが、とにかくこの世に生を受けてから妻は聞く(受ける)担当で私は答える(返す)のが運命なのでしょう。
そんな訳で私に対してお客様の中には「オーキニさん何でも答えてくれる」と思ってる方もいるのかも知れません。勿論私も分かる範囲でお力になりたいと常日頃から思っていますし得意分野なら喜んで協力させていただきます。
ただこの場を利用してどうしても言わせていただきたいことがあります。
多分節分が終わった頃からなので期間にすれば約3週間。お客様たちを席にご案内した際同じ言葉、数を数えたわけではないですが4~50人のお客様方に同じ質問をされていました。
もう答え疲れました。
申し訳ないですが勝手に置かれたもので私は関与していませんし明確は答えを持ち合わせていません。
ただのトマトの置物です。
ただの桃の置物です。
何の深い意味もなく100均にて気まぐれで購入したとの事ですが、誰に対しての言葉とは言いません。お願いですから誰が見ても明白なくらい季節に関係のあるモノを置いてください。
よろしくお願いします。
※又梅雨時に皆様に楽しんでいただけるようなキャンペーンを企画していますのでAさん今回は短いブログで許してください。
やましなす。皆様ご存じないかもしれませんが私は美容師です。
東京で働いていた頃それなりに勉強し、それなりに活動していたので多少一般の方よりは「毛」に対しての知識を持ち合わせているつもりです。
大昔、ホモサピエンス(人)は体が毛でおおわれているのが当たり前体操でした。
人は長い歴史の中でその時代の地球の環境に合わせて進化していき、体の部位で必要なものは残り、又不必要なものは役割を終えて退化して行きました。
現在、何故頭を覆う部分に頭髪(毛髪)が多く残り、又体毛も毳毛(うぶげ)や短毛(陰毛やひげ等)が残っているのか、それはまだ環境に必要だからだと教えて回らさせて頂いていました。
あ。なんか冒頭の挨拶が長く固くなってしまいスミマセン。中学の頃ヤンキーにビックリマンのレアシール(ヤマト爆神)をカツアゲされた経験がある男斉藤です。
先月の末に出来る男友達家族と旅行に出かけました。
その際その友達と一緒に温泉に入ったのですが彼はほぼ全身をキレイに処理していました。
身体のムダ毛処理。
別にジロジロ見ていた訳ではないのですが、若干気になったので山科に帰って来てから打ち上げの酒の席で何故毛を処理しているのかを聞いてみました。
彼曰く理由は「邪魔になるし健康の面で見ても良い事がない。強制ではないが今はエチケットとして至極普通で残しておいても幸福な要素が学的に一切ない」との事。
その時は「私の勉強してきた理論とは少し違うな」と聞き流していました。
暫くして私の3歳年上の兄がカットをしに美容室に来店する日がありました。
最近ウォーキングにこっている兄はまだ春先だというのに半袖とハーフパンツ&スパッツという軽装でした。
カットの準備をする為、首元にタオルを巻こうとしながらふと兄の腕に目をやると奇妙な違和感を覚えました。
腕毛がありませんでした。
「そんな体毛薄かったっけ」
尋ねる私に兄は椅子に腰かけつつモノマガジンを片手に「別に普通にそろえてるだけや」と答えてくれました。
揃えているの意味が解らないと聞き返すと「スキばさみで短くしてる」と面倒くさそうに言葉を付け足し「それは大人としてのマナーやろ」と説明してから、さらにこう言いました。
「前に気になってたんやけど、この間一緒にキャンプ行った時お前ずっとハーフパンツやったやろ。あの時見てて恥ずかしかったんやけどエエ歳なんやからハーフパンツ履くならスネ毛位処理しとけよ」
ブルータスお前もか。
「俺らちょっと毛深い血筋やししょうがないとは思うけど、今時スネ毛ボーボーに見せまくって歩いてるオッサンなんて結構痛いぞお前」
出来る友人の言葉が思い出され焦りを感じ始めた私は、参考のために兄が何時からそんな思考回路になったのかを尋ねてみると、彼は30歳を過ぎたあたりから腕やスネのムダ毛を処理するようになったとの事でした。
念のためにズボンをまくってもらうと短くカットされたスネ毛を確認することが出来ました。
スキばさみで処理していた理由は「剃る」となるとなんとなく恥ずかしいし全体に自然に短く見えるようにするためという事でした。
※因みに兄は幼い頃から意識が高い系の人種で細かい作業が大好きな男で、音楽のカセットテープのラベルのレタリングなど0.1mmのズレも許さない位文字をきっちり揃える性格でした。
そんな事があった次の日の夕方、私の高校の部活の友人(Fちゃん)がカットに来店しました。
Fちゃんは外装工事の一人親方をしていて年中肌が黒く好きなものは食事とサウナと筋トレという典型的なガテン系な男です。
「ちょっと腕見せてくれへんか」
コイツは大丈夫であろう。そう思ってそちらを優先して受付でまず腕をとりチェックしてみるとFも腕毛が余りありませんでした。
「もしかしてFちゃんも処理してるん毛」
事の経緯を説明するとFはどうやら処理している訳ではなく、外工をしていると汗かきで肌がおかしくなって自然に生えてこなくなるという事(そんな理論は無い)でしたが、さて置き続いて気になる事実を教えてくれました。
「そう言えば俺が通っているジムのサウナの中でオッサンらぎょうさん(沢山)おるけどあんまスネ毛とか腕毛ボーボーの奴おらんなぁ」
マジすか。
「斉藤、美容師さんにこんなこと言うのなんやけどお兄ちゃんの言う通りで今時はマナーちゃうかな。俺は処理してへんけど。」
ニヤニヤしながら上から目線で得意げに話すF。
※因みにFはサブスクの動画サイト(ネトフリやアマプラ)を「金がもったいない」と使用せず、毎週ゲオに入りびたり毎回懲りずに新作DVDの延滞金を2000円位払い続けたり、 セブンイレブンの事を未だに「セブイレ」王将の事を「キング」と呼んでいます。
※昔「スマホ便利やから早く買った方がええぞ」と教えてあげたにもかかわらず「スマホとかいらんわあんなん金掛かるだけやろ」と突っぱねて、数年後私に「斉藤まだアンドロイド使ってんのけ。やっぱ時代はアイフォンでしょ」と言ってくるような男です。
出来る友人や兄からの「ムダ毛処理はマナー」という話はそれなりに染みました。理由は二人とも私が尊敬できる人格や知識を持った人物だからです。
Fのこの言葉は「(自分もスネ毛処理してへんくせに偉そうに上から今時はマナーてどの口が言ってるのか)お前にだけは言われたくない」と私を奮い立たせるには十分すぎるパワーを持っていたのは言うまでもありません。
という事で敗北感(途中から屈辱感)を感じた私は次の休みの日にコストコで早速除毛クリームを購入しました。
説明書にザックリ目を通して「VIO部(デリケート部分)は使用をお控えください」「最大10分を超えない範囲で洗い流す事」等要点だけは忘れないように風呂場にて準備のうえ除毛スタート。
VIOに含まれるか否かで若干苦戦しましたが、とりあえず乳首周りとおへそから下のトライアングル部だけ万一に備えて範囲からは除外。お腹や太もも、おいどの部分にクリームをスポンジで付けて伸ばし、鏡にうつる乳首だけ強調したがっている変態オヤジが現在の自分の姿だと決して認めないように意識を保ちながらスピーディーに塗布終了。
放置時間中、脱衣所に洗濯物を取りに来た妻の影、そして一緒に風呂に入ろうとして服を脱ぎ始めた息子の影に対し、ウケ狙いで今の変態な姿を見て欲しい自分を抑え込みながら退散させたりなんちゃらしているうちに太もも辺りがチクチクしてきたので、時計を見るとすでに10分が経過している事に気が付きました。
知ってるつもりではいましたが改めて除毛クリームが肌に悪い事を知ります。
さぞ排水溝に毛が貯まるであろうと心配していたのですが溝の上にある蓋をとってみるとそこに毛(脱毛)が殆ど見当たりません。つまりは抜けたのではなく溶けたという事。
排水溝を詰まらせたり残骸を発見されて怒らせてはいけないとくまなく掃除を終え、その後体を洗い、仕上げで再び床のタイル部を中性洗剤で磨いてから浴槽に毛が浮いていたりしないよう念のため風呂には入浴せず風呂場を出ました。
着替え終わり、リビングで三角座りをしながらピンク色になって少しヒリヒリする太ももに違和感を感じ、思い切れなかった為にクリームを付けなかった境目、太ももから膝までのツルツルスベスベした肌とそこから下のスネにいつも通り残るスネ毛の感触を手で摩りながら上下に行ったり来たりしていると娘がやってきました。
「何してんの」
別にとは返したものの、もう少しだけ声をかけて欲しかった私は娘と目を合わせず摩る行為を続行。すると変化に気が付いた娘がブッと口の中で音を出してから大きな声で「剃ったん」と驚きの声を上げたので「剃ったわ」とだけ返しました。
「スネ毛残ってるやん剃ってへんやん」
おかしいか。おかしいやろ。なんか恥ずかしいねん。っていうか逆にそっちが恥ずかしいやろ。気持ち悪ないか。意味わからんそっちのが絶対気持ち悪い。
こんなやり取りをしてから、最終的に娘が私のスネ毛に対して長年嫌悪感を抱いていた事を教えてくれました。
後ろから「ようやっと処理したのか」と何事も全て分かっているような口調で追い打ちを被せてくる妻の言葉を皮切りに、女性二人の口から飛んでくる執拗な言葉の暴力に耐えきれなくなった私は寝室に閉じこもりました。
次の日の夜。寂しさを感じながらチューブ内に残ったクリームを両脚のスネの部分に塗りつつ別れの挨拶を簡単に済ませました。
これがマナー。
安西先生、いつもより仕事着のズボンの内側が肌にあたる感触が気持ち悪く何より汗を吸ってくれていない気がします。
船首に立ったレオナルドディカプリオとケイトウィンスレットと同じくらいスネが風を感じてしまっています。
これがマナーか。
それから2日後。スベスベだった表面の感触も通常運転に戻り、毛母細胞の活性分裂により今までより若干太くて黒い(←これは気のせい)新たな体毛が生成され始めました。
6分位で終えなければいけなかった除毛作業をリミット10分きっかり使用してしまった為、未だ赤みが残る私の表皮に育み始めるケラチンタンパク質に対し、私は二度目の除毛クリームを使用する案ではなく替刃が高額な3枚刃のジレットシェービングPROを採用する事にしました。
シェービング(除毛)後、今までの人生で味わった事の無い痒みを両脚に感じ、部位を搔きむしりながら妻に「保湿クリームはどこか」と尋ね案内してもらった先の引き出しからローションを取り出し慌てて擦り込む哀れな中年亭主。
パンパンと太ももを叩いていると妻が同情とも哀れみともとれない微妙な顔つきで「ようやく女の人の大変さが分かったようだね」と何処か得意げな声をかけてくれました。
思い返してみるとその時の妻の表情は、昔私が二日酔いで死んでる時に「漸くつわりの大変さが分かったようね」と声を掛けられた時と同じ顔をしていたような気がします。
これこそマナー。
次の日の夜、入浴時にお風呂場に捨てないで残してあった除毛クリームの説明書の「使用後72時間以内は本商品の使用、及びシェービング等の行為を行わないでください」と言う注意書きを目にして又やってしまったと後悔しながらも湯船につかり、マナーとルールを守る事の大変さを肌と心で痛感しました。
人生に無駄な事はありません。
やがてはこの経験も誰かの役に立ってくれるであろうと思いますし、最悪息子にだけでも何か伝える事が出来る日が来ると思っています。来るのかな来るといいな。
けれども私は言いたい、と言うか思いたい。「除毛マナー」は一過性のものであろうと。
ルーズソックスや腰パンと一緒でその内そんな時代あったねと言われる日が来るであろうし来て欲しい。
だけどとりあえず今年の夏だけはハーフパンツを履きながらボーボー丸出しさん達に「マナー悪い奴らはかなん(かなわない)な」と偉そうに言ってやる。
それがマナーや。
けどこれがルールや。
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やましなす皆さま春うららいかがお過ごしでしょうか。
瀬戸ワンタン日暮れ天丼ゆうなみこな味噌ラーメン。あなたの島エビフライお嫁にゆぅくぅ、んのりたま。
サッポロ一番は味噌ラーメンより塩ラーメン。マルミヤふりかけならのりたまより味道楽が好きな男斉藤です。
人生で数々の失敗を繰り返してきました。
長年、美容師をしていると「得してる」と感じる瞬間があるのですが、その中で客観的に物事を見れるようなアドバイスをお客様方からいただける事があります。
特に奥様方から見た「良い夫(もしくは父親)としての立ち居振る舞い」に対しての助言が多くあります。
「あの時ああ言ってしまった」「次回はこう気をつけよう」
行った事は取り返し付きませんし、頭でこうしようと誓っていても簡単に出来るものでもありません。
しかし人生の先輩である異性のお客様方からのありがたい言葉は、かなりの確率で最悪のケースを回避すべき救いの手として私を助けてくれているという事実が今日までありますし、その後も心に深く残ってくれています。
昨年末、長年担当させていただいている女性のお客様が冬休みを利用して社会人になっている息子さんとお嬢様の四人で旅行に行くのでその前に髪をキレイにしたいと来店されました。
そう言えば今までその方の口からご主人の話を聞いた事が無かったなと思いつつ「家族5人でそろってお出かけでいいですね」と相槌を打ってみました。
主人は留守番。
いつも笑顔なそのお客様は、突然千と千尋に出てくるカオナシのような表情になり簡潔な返事を私に返してくれました。
「ご主人具合でも悪いんですか」
あまり話を広げてはいけない空気でしたが、ボールがこちら側に投げられている感じだったのでこの返しポッキリで他の話題に変えようと放った私の言葉に対して、その方は表情のカオナシ状態を維持しつつ過去の出来事を話し始めてくれました。
話によるとご主人が、長男のご子息さまの高校の卒業式の際、散々注意したにもかかわらず式前日まで友人たちとスキーに旅行に行ってしまってそこで骨折して卒業式に出席できなくなった過去があったそうです。
それ以前にも家族単位での行動の際の積み重なった経験から、母子の間に沢田研二よろしく「勝手にしやがれ」状態がデフォルトになり、以来完全別行動を貫き通しているとの事でした。
ありがたい体験談はお客様の笑顔と共に即座に私の深層に刻まれました。
話は変わりますが先日、オープン以来ご来店頂いているメンズのお客様がカットでご来店の際、三女様の卒園式が無事に終わったという報告を聞かせてもらいました。
社会人になりたての頃からの長いお付き合いの中で転職、結婚、出産等その方の人生の節目の話を都度相談して下さり、恐らくオーキニーの来店目的の重きをそっち中心に利用していただいてる感じのイケメンの方です。
その彼(お客様)から続けざまに「実はヤバかった」という話を伺いました。
卒園式の前日に高校の頃の友人達からボード(雪山スポーツ)に誘われたそうでした。
奥様から「次の日分かってるよね」と釘を刺されながらも、自分の休みの日に予定を合わせてくれた友人たちの誘いを断れず、愚かにも「日帰り弾丸雪山旅行」に参加表明してしまったとの事。
何処かで聞いた話や。
前の日の深夜に車で出発して一日遊んだ後、ナイターまで滑って帰って来たのは卒園式当日の朝4時だったそうです。
その後睡魔に襲われながら支度をしている彼に対し、お子様の支度を急ぐ奥様と一切関わる時間なく式場に向かい、旅行後に初めて奥様から掛けられた言葉
「式中に寝たらぶっ殺す」
は第三者の私にとって事の重大さを理解するのには十分すぎる破壊力を持っていました。
「あれ寝てたらヤバかったと思います」
笑いながら話す彼に対して、私は覚悟を決めて「それよりもその後の行動をどうしたかが気になり詳しく話を聞かせてください」と一歩踏み込んだ話をする事にしました。
スノボ中も奥様が余り良く思っていない事が気がかりだった、と言う彼は「これで間違っていたら恐ろしい事になる」と思いながら「野沢菜漬け」と「信玄餅」のどちらを土産として妻に買って帰るか(どちらが好物だったか)をリフトに乗る度、記憶の引き出しと格闘していそうです。
「野沢菜やったんすよ」
結局その後スノボの話も出来ず何事も無かったかのように皆で晩御飯を食べた、と報告してくれた彼に私は冷静に誰のためになるのかを真剣に考えてから伝えました。
「そもそも根本が間違ってる可能性が高いっすよソレ」
時として私の事を「何かの先輩」として敬ってくれている彼はどういう意味すか、と不思議そうな表情を浮かべました。
私は昨年お客様から聞いた冒頭の「生涯家庭内村八分境遇」の話を彼に伝えました。
リトマス試験紙がアルカリ性から酸性に変わるが如く変化していく顔色の彼に対して私は話を続けました。
優しさや思いやり、人と人との信頼関係には「貯金」と「借金」があると私は思います。
勿論それは家族とて例外ではないです。
例えば何か周りを顧(かえり)みず自分勝手な行動をした際、いつも周りの事を気遣い他者中心な行動をとっていた方の場合、その自分勝手な行動は「やむを得ない事情がある」と認識される事が多いと思います。
こういうのは貯金を十分にしている方がたまにする引き落とし。借金にはなりません。
そして周りの誰かに迷惑となるであろう自己中心的な行動を行う事。又周りの頑張りの度合いに対して自分は何もしない、という無気力や無関心な姿は全て借金。
美容室で言うといつも来店時間より10分程早く到着される方であれば、まれに遅刻をして来店された場合「何かあったのですが」と心配になったり「きっと何か事情があったに違いない」と思ってしまいそれが寝坊であれ「そんな日もありますよ」と笑って話すと思います。
そんな方が「どうしても」と無理な時間で予約を入れようとされれば、私は自分に無理をしてでも予約を入れてあげようと行動すると思います。
逆もまたしかり。いつも時間にルーズな方であれば予約時間内に来るとは思っていないので、その方に対しては他の方に迷惑が掛かるため無理な予約は絶対に受けませんし、枠に余裕がない時は予約を受けないようにします。
批判覚悟で、これらは差別ではなくむしろ平等であり私が人生の中でそうすべきであると理解できた世の理(ことわり)だと思っています。
ガラの悪い一見の外国観光客に合わせて仕事をすれば、大変な時期に自分たちを守ってくれる大切な地元の方々が離れて行き、不本意ながらもそういう方相手の仕事をしなければいけなくなるのは必然です。
話を戻しますがそんな彼に対して、私は偉そうにも村八分の話の後に「今まで家族、特に奥様に対してお金ではない貯金(善行)はしてきましたか」と尋ねてみました。
「あったかな・・・あ。斉藤さんありましたわ」
「スノボ行く1週間前に嫁が子供の行事忘れてて予定ブッキングしてしまって、俺に代わりで行ってくれと頼まれた際に行ってあげました。」
これはどうだと記憶の旅から帰って来た彼に対して、「それは貯金では無いっすね。」と伝えてから私は経験を交えた持論を展開しました。
「言われた事、お願いされた事をこなすという事は相手(この場合奥様)にとっては対等であり、助け合うという観点から言うとやって当たり前。むしろそれをやってやったと言う言葉や気持ちを持つ事が逆に借金になってしまうと思います。」
貯金は相手が求めていなくても相手の事を思って、そして予想外&打算無しに行った行動により初めて出来るもの。
「貯金どころか借金まみれになっていませんか」
一抹の不安を感じ問いただしてみると、自己防衛の為かお客様は心当たりのある今まで行った「多分貯金できた」行動をリストアップされ始めました。
「仕事帰るの遅くなった嫁さんの為に先に洗濯物回しておいたことがありました」
その単位で思い出せるという事は貯金出来てない案件。
「休みの日に子供たちを連れて公園遊びに行ってあげてました」
普通な案件。
「アウトドアの時テントの設営やバーベキューの火おこし」
自分がやりたいだけ案件で論外。
「たまに子供にチャーハン作ってあげてます(三女しか喜んで食べてくれないですが)」
その後三女さんがお母さんに伝えていれば30円くらいは貯金出来てるかも的案件。
「えぇ。斉藤さんちょっと厳しすぎませんか」
イヤごめんなさい。それ95%位の確率で借金まみれになってます。
完済する事は恐らくここ数年は不可能な状態であると認識した私は「まずは返済。共に頑張りましょう」と今日からできる身に覚えある小さな行動を色々提案してみました。
居酒屋さんで日本酒を注文した時、グラスに8分目から並並と注いでもらうだけでは足りず、そこから受け皿の升に溢れ出た分。それが貯金として初めて認識されるものであり、例えば「風呂洗っておいて」の声に対して「風呂の換気扇、浴室の窓の網戸までキレイにした」でプラマイゼロ。そこに脱衣所の足ふきマットを除菌して陰干し、更に休日の日におまけで隣の洗濯機の洗濯槽にオキシクリーンまでしたら貯金出来たと言えます。
厳しいかもしれませんが、何かをしたときに「へぇありがとう」と言われているうちは駄目。自分が当たり前にやれるようになって相手から当たり前に思われるようになってそこで初めて「その案件(借金)のみは返済された事になる」事を伝えました。
何年で返せるであろうか。
車で言えばアストンマーチン(スポーツカー)すら買えているかもしれない高額なローンをいつの間にか組んでいたという位の厳しい現実。事の重大さを理解したそのお客様は「今日嫁が「夜はカレーにする」って言ってたので、美容室から帰ったらとりあえず嫁が帰ってくる前に、大きさや形で怒られるかも知れないけどジャガイモと人参切っときますわ。」と目に薄っすら涙を浮かべ、私に「色々ありがとうございました」とうつ向いたままお帰りになられました。
過去の自分に面しているようなデジャヴな感覚を感じながら、私は彼の曲がった背中を目で追いながらいつも以上に心を込めて「お気を付けて」と送り出しました。
頑張れ。いや頑張りましょう。
誰かの知識や経験は、必ずどこかで誰かを救ってくれます。
車も家も高い買い物は信用があるから借金が出来る(と判断される)し許可が降ります。
返す当ても目途も無いのに又他から借金をしているとその内借金など一切できなくなり、又誰からも信用されなくなります。
いつの時代も借りたほうは覚えておらず貸した方は生涯忘れる事はありません。
偉そうな事を書いている私はシャッキング。窓の外アマン。実際私は何もしていませんが。
因みにご存じないかもしれませんがこのオーキニーブログは、毎回必ず私の妻のもとにも配信されている事を最後に明記しておきます。。
なんか怖い話になっちゃった。
皆様もご利用は計画的に。