こうして童話は作られる

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2017.07.22

 山科ス皆様。好きな童話は「わらしべ長者」の男斉藤です。

 

 皆さまは「靴屋と妖精」というグリム童話をご存知でしょうか。

 

 靴屋と妖精。

 

 ある所にとても貧しい靴屋の老夫婦が住んでいました。

 

 お金が無くなった老夫婦が靴を作れず嘆いていた所、寝ると翌朝靴が出来ているという怪奇現象に遭遇。高値で売れるので味を占めていたが申し訳なく思ってコッソリ夜に覗きを決行した所、裸体の小人二人が正体だと判明してお礼に服を作ってあげると、喜んで帰って来なくなってしまった。

 

 とっぴんぱらりのぷう。

 

 という誰しもが一度は考えた事があるであろう「いつの間にか症候群」の夢のような話です。

 

 私も昔、ビデオレンタルショップのバイトやドラクエのレベル上げをしている時「パーマンのコピーロボットがあったらな」という淡い希望を持っていたものです。

 

 先月とあるお客様から一本のロゼワインを紹介していただきました。

 

 そのロゼワインは味やクオリティに合わない値段設定で売られていて、瞬く間に私と妻はその日からワイン漬けの日々を送る事になりました。

 

 おとなしく淡麗と氷結ストロングを飲んでいた妻でしたが、この「スクリューキャップ」のワインが我が家にやって来てから

 

「タブを開けて一本飲み切る」<「飲みたい分だけ注いでキャップを閉める」

 

 と言う方程式に素直に従い、私の帰りを待つ事無く先に飲んでいる事が多くなりました。

 

  彼女はそれだけでは収まらず、私が帰って来ると「一緒に飲もう」と言って自らのグラスに二杯目を注ぎ始めるのでした。

 

 そしてやがて、私の食事が終わり子供たちと一緒にリビングで団らんしていると、彼女の身体はいつのまにか徐々に傾き始め、最後にはアイリスプラザで購入した「人をダメにするクッション」に沈んでいくのが日課となりました。

 

 いつも文句も言わず頑張って家事をしてくれている妻に、私が出来る事と言えばさりげなく食器の後片付けや掃除や米とぎ、炊飯器の予約等を終わらしてあげる事くらい。

 

 と言う事で妻がワインに酔って寝てしまうと自動的に私が彼女の代わりに動くようになりました。

 

 そんな心優しい父親を身近に見ているのにもかかわらず、リビングに残っている我が子供達は残念なことに「手伝う」と言う選択肢を選ぶ事なくテレビを見ていました。

 

 私は子供らに「手伝う事の大切さ」を教えました。

 

 妻が当たり前のように家事をしている時は、全くその事を教えようともしなかったのに、ここぞとばかりに一生懸命手伝う事の大切さを教えました。

 

 子供たちはそれに従い面倒臭そうにではありますが手伝ってくれるようになりました。

 

 妻が目を覚ますと、身体の上にタオルケットがかけられており、散らかっているはずのテーブルの上がそこそこ綺麗に片付けられ、食器は水切りの上に適当にではありますが洗って並べられてました。

 

 喧嘩をしながら歯を磨いてやった弟を連れて、「ほんま蒼ちゃんは私の言う事は一個も聞かへんな」と腹を立てていた娘もその弟と、仲良く一足早く既に寝室で眠りにつきました。

 

 「どうもありがとうございます」

 

 リビングでワインを飲んでいる私に感謝の言葉をかけて、妻は嬉しそうに歯を磨きに行きました。

 

 それからと言うもの、妻は益々味を占めワインを気兼ねなしに飲むようになっていきました。

 

 やがて彼女は私たちが家事を済ませ終わるのを、まるで全て見ているかのような絶妙なタイミングで酔いから覚めて起きれるようになりました。

 

 私は思いました。

 

 文頭で紹介したグリム童話の「靴屋と妖精」と言う話。

 

 この話はきっと妻のような環境の主婦が考え付いた話であろうと。

 

 妖精とは子供達であり、「いつも黙って頑張っている主婦」が貧しい靴屋であり。

 

 目を覚ますと自分がやるべき仕事が既に仕上げられているという感動を多くの人に知って欲しかった。

 

 それである日、「コッソリ起きて仕業の正体を見て服を作ってあげたら次の日から妖精たちがいなくなった」というのは

 

 きっと「ありがとちゃぁん、今日もよろしくねぇ」などというセリフをついウッカリ出してしまった。という後悔の念を物語風に書いたのでしょう。

 

 悔しい事に、妻は未だその「天空の城ラピュタ(ジブリ映画)」で言う所の「バルス」という禁断の呪文を口にしていません。

 

 今では我が家の子供達も、妻が「人をダメにするクッション」に沈んでいく姿を見ると条件反射的に片づけをしてくれるようになりました。

 

 靴屋は、決して靴を作っておいてもらえるために眠っていたのではなく、眠らないと体力が持たないから眠るのです。

 

 妖精も、決して洋服を作って欲しかったから靴を作っていたわけではなく、作りたいから作っているだけなのです。

 

 見返りを求めないと誰かが勝手に幸せに感じ、見返りを求めると何かが無くなるのです。

 

 童話って本当に奥が深いんだなぁと改めて実感しました。

 

 と言う事で、今日も暑い一日が過ぎていき、疲れた体にアルコールが染み渡る夜が来ます。

 

 今夜も斉藤家では妖精達がきっとせっせと靴を作ってくれる事でしょう。

 

 さてさて。服は一体いつ作って置いてもらえる事になるのやら。

 

 とっぴんぱらりのぷう。

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