祭りマメ知識その1「おいなー よーさー」
「おいなーよーさー」とは
山科の祭りで神輿を担ぐ際に掛けられる掛け声で主に曲がり角を回るときや進行方向が変わる際に用いられる。
「おいなー」=「気を付けろ」、そして「よーさー」が合いの手「了解」と言う意味である。
お久しぶりですお元気でいらっしゃいますでしょうか。ここ2週間程腰痛が酷くなって営業に支障が出る位でブログを書く気になれなかった老いを感じ始めた男斉藤です。
かなり時間が経ってしまったのですが、要約少し時間が出来たので10月の3週に行われた「山科祭り」の神輿の事を書きたいと思います。
今回はお祭りの一部分をピックアップ。
ですのでお祭りについての詳しい内容は、1&2年前のブログにて報告させて頂きましたので省略させて頂きますが、詳しく知りたい方はコチラをクリックして見て下さい。
朝4時起床。その後神輿会会長の奥様の計らいでお酒と豚汁を用意して頂けていたので同級生たちが集まっている別宅に集合しました。
暫くゆっくりしてから神社の境内で受付を済ませに移動するともう出発間際の賑わいになっていました。
今年は昨年とは違い、かなりの人数が参加されている様子でその中でも若い担ぎ手さん、肌のみずみずしさからにして恐らく高校生位の若い方達の姿が多く見られました。
例によって身長の順番で前から順に神輿を担ぐので、今年は神輿の右側3~4番目の位置につかせて頂きました。
、その後「宮出の儀式」が始まって、早速神輿を担いで神社を後にします。
神輿が出発してから3分程で自宅の側を通るので、取り敢えず息子の姿が遠くに見えなくなるまでは先発隊で担がせて頂きました。
例年ならこの辺りで神輿会のメンバーから「はい皆ドンドン(担ぐの)代わってあげてや」と声が掛かり交代が入るのですが何故か私の所にだけ誰も交代に来てくれません。
早々に肩が辛くなってきたので「なにやっとんのや」と暫く他の人達の動向を見ていると、どうやら神輿会のメンバーの主要人物達(同級生)は殆どが私のいる右側ではなく左側に固まっている事が判明。
と言う事でそれ以外の身長の低い連中が私の周りにいる事も判明しました。
しかも「私だけ代わりが来ない」と思っていたのですが、私から見て前列にいる人たち、良く見ると冒頭でお伝えした初参加っぽい学生さん達が集まっていて、友達同士しきりに代わり合いをしています。
つまり声を掛けやすい知り合い同士で助け合っていて、あまりよく知らない人はほっとこなって感じになっていました。
と言う事でなかなか交代されずに開始10分で早くも肩と首がもげそうになりました。
それからというもの、最初の休憩を挟んでからはやや孤立する事への寂しさが芽生えてしまい例年のような積極性を失ってしまった私。
そんな私に救世主が現れます。
皆様はこの「御神輿(おみこし)」というイベントですが、実は地域の住民達(氏子)だけで担がれている訳では無いのをご存知でしょうか。
私も詳しくは知らないのですが京都の各地で色々な御神輿があるそうなのですが、そう言うときに必ず神輿の手助けをしてくれる祭りのプロたちが存在するのです。
つまり神輿を担ぎ慣れたアメリカ大統領も一目置くオブザ神輿バイザ神輿フォーザ神輿なエキスパート集団。
神輿の棒を担ぎたいのに「又代わられへんかったら明日からの仕事が辛くなる」という思いでトボトボと歩いていた私にとある「すくいの神の声」が聞こえてきました。
「おーい。胴元(どうもと)誰もおらんから入ってやぁ。」
声の方を調べてみると左右の担ぎ棒の真ん中の神輿の胴体の真下の辺りから声の主である人物を確認。
なんとなく中に入って胴元と呼ばれるその場所を手伝いに行きました。
胴元付近には他の担ぎ手達とは明らかに身体から発するオーラが違う人物が二人いました。
一人は丸坊主に近い短髪。正月に伏見稲荷神社の屋台で焼きそばを売っていて「イカ多目にいれといたるわ」とか言いだしそうな、ぽっちゃりはしているけど何故かかっこよく見える色黒の神輿プロ。彼の事は以下「ダン吉さん」と呼ぶことにします。
そしてもう一人は、対照的なくらい肌が白く細見体型。頭髪は細毛でポマードをキレイに塗って矢沢永吉のようなリーゼント風にばっちり固めたチョビ髭と鷲鼻で瞳の色が青かったりしたらフランスかスペイン人に見える位のこれまたカッコいい神輿プロ「ホセさん」(勝手に名付け)。
二人は神輿の真下で二人だけでその重い本体を身体を「大」の字にして支えながら光る汗を流していました。
ダン吉さんは胴元に入ってきた居場所の無い私に対して「おっやっと来たか胴前足りてへんから頑張ってや」と快く笑顔で言ってくれました。
取り敢えず何をすればいいのか分から無かったのですが、見ているとホセさんが肩を神輿から離して余裕そうに動いているのを発見。
聞くと「胴元はそれ程踏ん張らなくても大丈夫」との事。試しに力を抜いてみた所、なるほどこりゃ楽チン本当に踏ん張らなくても全く大丈夫やん。
それから担ぎながらぺちゃくちゃとしゃべる(話す)余裕まで出てきた私にホセさんが、この場所「胴元」の面白さを熱心に教えてくれました。
ホセメンドーサさん(以下ホ)「あんな。神輿では胴元が一番おもろいんやで。」
私「そうなんですか。ここなんか力抜いても全然大丈夫ですやん。」
ホ「胴元はな。神輿をコントロールできる場所。つまりこの祭りを思い通りに動かせる花形みたいな場所なんやで。」
私「どうやってコントロールするんですか。」
ホ「ええか見ててみ。こうやってな、神輿の進むスピードが速いなぁって思ったら両足を広げてこう、踏ん張る。すると・・・・ほら。」
私「あっ動き止まりましたやん。」
ホ「せやろ。そんでな、もっと進ませたれって思ったら後ろに突っ張る・・・ふんっ。」
私「おぉ凄いですね。スピードが上がりましたやん。」
ホ「やろ。どないや。これが胴元の魅力、祭りマイスターの魅力やわ・・・ふんっ。」
何この人めっちゃかっこええ。
私「いっつも各地の神輿でこうやって胴元とか担当されるんですか。」
ホ「せやな。ここが一番楽しいねん。三之宮の連中も頑張りよるけど縁の下の力持ちなココが重要なんわ変わらへん。自分(私)もやってたら分かるで。」
ホセさんはそう言ってとても気さくに色々話をしてくれました。
それからダン吉さんとホセさんに各地の神輿の違いや、自分たちの情熱、そして家族のこと等を聞いて神輿の真髄に少し触れる事が出来た気になりました。
胴元は今回の私にとってとても居心地の良い所となり、御神輿が台車から担ぎ出されるたびに私の定位置。代わってくれない学生たちとは無縁の安住の地となって行きました。
そしてしばらくして午前での最初の見せ場である中央公園の山科団地に到着します。
毎年、ここ2棟と3棟の間でパフォーマンスを見せるのですが、こういった見せる場所が胴元(祭りマイスター)の真価が一番問われる場所となるのです。
ダン吉さん(以下ダ)「よっしゃ気合入れてコントロールするで。」
しかし確実に4人の団結は固いモノになって行きました。
・
これも神輿の楽しみ方の一つやな、と心から思いました。
私「なんかココええですね。おもろい。」
ダ「せやろ。まだまだこれからやし頑張ってや。」
そしてその後、ホセダンコンビとの親睦を深めあう会話が続き、いよいよ渋谷海道の一番の見せどころ「六所神社の神輿とのかち合い場所」に到着します。
この場所では三之宮神社と六所神社の神輿が「いかに派手に担げるか」を争う様な形になり、毎年一番の見どころとなるのですが、その分神輿の動きもかなり活発になり狭い場所で右に左に前後ろ、と観客の方に寄って行ったり倒れそうになったりして、コントロールがとても重要になります。
祭りマメ知識その1「おいなー よーさー」
「おいなーよーさー」とは
山科の祭りで神輿を担ぐ際に掛けられる掛け声で主に曲がり角を回るときや進行方向が変わる際に用いられる。
「おいなー」=「気を付けろ」、そして「よーさー」が合いの手「了解」と言う意味である。
お久しぶりですお元気でいらっしゃいますでしょうか。ここ2週間程腰痛が酷くなって営業に支障が出る位でブログを書く気になれなかった老いを感じ始めた男斉藤です。
かなり時間が経ってしまったのですが、要約少し時間が出来たので10月の3週に行われた「山科祭り」の神輿の事を書きたいと思います。
今回はお祭りの一部分をピックアップ。
ですのでお祭りについての詳しい内容は、1&2年前のブログにて報告させて頂きましたので省略させて頂きますが、詳しく知りたい方はコチラをクリックして見て下さい。
朝4時起床。その後神輿会会長の奥様の計らいでお酒と豚汁を用意して頂けていたので同級生たちが集まっている別宅に集合しました。
暫くゆっくりしてから神社の境内で受付を済ませに移動するともう出発間際の賑わいになっていました。
今年は昨年とは違い、かなりの人数が参加されている様子でその中でも若い担ぎ手さん、肌のみずみずしさからにして恐らく高校生位の若い方達の姿が多く見られました。
例によって身長の順番で前から順に神輿を担ぐので、今年は神輿の右側3~4番目の位置につかせて頂きました。
、その後「宮出の儀式」が始まって、早速神輿を担いで神社を後にします。
神輿が出発してから3分程で自宅の側を通るので、取り敢えず息子の姿が遠くに見えなくなるまでは先発隊で担がせて頂きました。
例年ならこの辺りで神輿会のメンバーから「はい皆ドンドン(担ぐの)代わってあげてや」と声が掛かり交代が入るのですが何故か私の所にだけ誰も交代に来てくれません。
早々に肩が辛くなってきたので「なにやっとんのや」と暫く他の人達の動向を見ていると、どうやら神輿会のメンバーの主要人物達(同級生)は殆どが私のいる右側ではなく左側に固まっている事が判明。
と言う事でそれ以外の身長の低い連中が私の周りにいる事も判明しました。
しかも「私だけ代わりが来ない」と思っていたのですが、私から見て前列にいる人たち、良く見ると冒頭でお伝えした初参加っぽい学生さん達が集まっていて、友達同士しきりに代わり合いをしています。
つまり声を掛けやすい知り合い同士で助け合っていて、あまりよく知らない人はほっとこなって感じになっていました。
と言う事でなかなか交代されずに開始10分で早くも肩と首がもげそうになりました。
それからというもの、最初の休憩を挟んでからはやや孤立する事への寂しさが芽生えてしまい例年のような積極性を失ってしまった私。
そんな私に救世主が現れます。
皆様はこの「御神輿(おみこし)」というイベントですが、実は地域の住民達(氏子)だけで担がれている訳では無いのをご存知でしょうか。
私も詳しくは知らないのですが京都の各地で色々な御神輿があるそうなのですが、そう言うときに必ず神輿の手助けをしてくれる祭りのプロたちが存在するのです。
つまり神輿を担ぎ慣れたアメリカ大統領も一目置くオブザ神輿バイザ神輿フォーザ神輿なエキスパート集団。
神輿の棒を担ぎたいのに「又代わられへんかったら明日からの仕事が辛くなる」という思いでトボトボと歩いていた私にとある「すくいの神の声」が聞こえてきました。
「おーい。胴元(どうもと)誰もおらんから入ってやぁ。」
声の方を調べてみると左右の担ぎ棒の真ん中の神輿の胴体の真下の辺りから声の主である人物を確認。
なんとなく中に入って胴元と呼ばれるその場所を手伝いに行きました。
胴元付近には他の担ぎ手達とは明らかに身体から発するオーラが違う人物が二人いました。
一人は丸坊主に近い短髪。正月に伏見稲荷神社の屋台で焼きそばを売っていて「イカ多目にいれといたるわ」とか言いだしそうな、ぽっちゃりはしているけど何故かかっこよく見える色黒の神輿プロ。彼の事は以下「ダン吉さん」と呼ぶことにします。
そしてもう一人は、対照的なくらい肌が白く細見体型。頭髪は細毛でポマードをキレイに塗って矢沢永吉のようなリーゼント風にばっちり固めたチョビ髭と鷲鼻で瞳の色が青かったりしたらフランスかスペイン人に見える位のこれまたカッコいい神輿プロ「ホセさん」(勝手に名付け)。
二人は神輿の真下で二人だけでその重い本体を身体を「大」の字にして支えながら光る汗を流していました。
ダン吉さんは胴元に入ってきた居場所の無い私に対して「おっやっと来たか胴前足りてへんから頑張ってや」と快く笑顔で言ってくれました。
取り敢えず何をすればいいのか分から無かったのですが、見ているとホセさんが肩を神輿から離して余裕そうに動いているのを発見。
聞くと「胴元はそれ程踏ん張らなくても大丈夫」との事。試しに力を抜いてみた所、なるほどこりゃ楽チン本当に踏ん張らなくても全く大丈夫やん。
それから担ぎながらぺちゃくちゃとしゃべる(話す)余裕まで出てきた私にホセさんが、この場所「胴元」の面白さを熱心に教えてくれました。
ホセメンドーサさん(以下ホ)「あんな。神輿では胴元が一番おもろいんやで。」
私「そうなんですか。ここなんか力抜いても全然大丈夫ですやん。」
ホ「胴元はな。神輿をコントロールできる場所。つまりこの祭りを思い通りに動かせる花形みたいな場所なんやで。」
私「どうやってコントロールするんですか。」
ホ「ええか見ててみ。こうやってな、神輿の進むスピードが速いなぁって思ったら両足を広げてこう、踏ん張る。すると・・・・ほら。」
私「あっ動き止まりましたやん。」
ホ「せやろ。そんでな、もっと進ませたれって思ったら後ろに突っ張る・・・ふんっ。」
私「おぉ凄いですね。スピードが上がりましたやん。」
ホ「やろ。どないや。これが胴元の魅力、祭りマイスターの魅力やわ・・・ふんっ。」
何この人めっちゃかっこええ。
私「いっつも各地の神輿でこうやって胴元とか担当されるんですか。」
ホ「せやな。ここが一番楽しいねん。三之宮の連中も頑張りよるけど縁の下の力持ちなココが重要なんわ変わらへん。自分(私)もやってたら分かるで。」
ホセさんはそう言ってとても気さくに色々話をしてくれました。
それからダン吉さんとホセさんに各地の神輿の違いや、自分たちの情熱、そして家族のこと等を聞いて神輿の真髄に少し触れる事が出来た気になりました。
胴元は今回の私にとってとても居心地の良い所となり、御神輿が台車から担ぎ出されるたびに私の定位置。代わってくれない学生たちとは無縁の安住の地となって行きました。
そしてしばらくして午前での最初の見せ場である中央公園の山科団地に到着します。
毎年、ここ2棟と3棟の間でパフォーマンスを見せるのですが、こういった見せる場所が胴元(祭りマイスター)の真価が一番問われる場所となるのです。
ダン吉さん(以下ダ)「よっしゃ気合入れてコントロールするで。」
しかし確実に4人の団結は固いモノになって行きました。
・
これも神輿の楽しみ方の一つやな、と心から思いました。
・
私「なんかココええですね。おもろい。」
・
ダ「せやろ。まだまだこれからやし頑張ってや。」
・
そしてその後、ホセダンコンビとの親睦を深めあう会話が続き、いよいよ渋谷海道の一番の見せどころ「六所神社の神輿とのかち合い場所」に到着します。
この場所では三之宮神社と六所神社の神輿が「いかに派手に担げるか」を争う様な形になり、毎年一番の見どころとなるのですが、その分神輿の動きもかなり活発になり狭い場所で右に左に前後ろ、と観客の方に寄って行ったり倒れそうになったりして、コントロールがとても重要になります。
両脇の「りん木」の先端は「はなぼう」ではないが、二番目人気のポジション。
掛け声をかけるにも、前へ進むにも一番目立つ位置。
とりあえず、どの神輿でも一度は担いでみたい場所。
競争率も激しいが、ここを担げば征服感が味わえる