私達が出来る事

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2015.01.17

 おはようございます。

 

 早いモノで本日で阪神淡路の大震災から20年が経ちました。

 

 毎年この日になると20年前の本日、震災の日の事を思い出します。

 

 東京で働きだしたばかりの駆け出し美容師だった私は、この日仕事が休みで前の晩から店のスタッフで車で上信越までスキーをしに遊びに行ってました。

 

 早朝。皆で熟睡している時、阪神で丁度地震が起こった時間帯に急に金縛りにあい何か体の中に大勢の人が入って来た感覚になり、言い知れない嫌悪感に襲われて金縛りが解けた瞬間、皆の前で大泣きをしました。

 

 皆に心配されましたが自分でも訳が分からず、その後朝ご飯を食べに行った食堂で初めてテレビで阪神の大震災を目の当たりにしました。

 

 私を含めた関西地方出身の人皆は一斉に慌てて携帯で家族に安否を確認しましたが、通話は混雑の為不通。

 

 中には悪いように考えてしまい泣き崩れてしまう女子もいました。

 

 耳が熱くなるまで携帯電話をずっと当てがって、お昼ごろ要約家族との電話がつながるまで不安と恐怖のまま過ごしたのを忘れる事が出来ません。

 

 神戸や大阪に働きに出た知人たちが震災によって亡くなったのを知ったのは、それから何か月か

が経ってからの事でした。

 

 京都は震源地よりやや離れていたおかげもあってそれ程の被害が出なかったですが、これが内陸に近い場所の発信だったらどうなっていたでしょう。

 

 福井県の大井原発の関係で恐らく現在の福島の方々が苦しめられているような状況に陥っていたかも知れないのです。

 

 今私達が笑って暮らせていられるのも、物凄く奇跡に近い事だと思います。

 

 阪神の震災で復旧にかかった時間。

 

 電気・・・7日

 ガス・・・83日

 

 そして水道はなんと90日

 

 電気においては復旧した際、ブレーカーが通電した瞬間に火災が発生する家屋が多くありました。

 

 助かった私達ができる事。今日できる事。

 

 自宅にいた時、まず扉を開けて脱出経路を作る。そして地震が起こった後はまずブレーカーを落とす事。

 

 車に乗っていた際は、乗り続けずに車を側道に停めてキーを付けたまま非難する事。

 

 準備としては

 

 1 非常用の水や食料を用意しておく。

 2 家具、特に寝室には突っ張り棒などを使用して固定しておく。

 3 靴や手袋などを入れた非常用バッグを寝室に常備しておく。

 

 そして何より大切な事

 

 4 家族の避難場所や連絡手段を決めて置く事。

 

 沢山の犠牲者の方々の上に救われていると言う事を忘れず、自分たちにできる事をしっかりと再確認して参りたいと思います。

 

 これからも今日を大切に生きていきたいと思います。

 

 最後になりましたが、お亡くなりになられた皆様にご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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