嵐の後に訪れた眩しい程の晴天と、何事もなかったかのように動き始めた人々の住む街山科。
グゥッドモーニングヤマシナース。(ロビンウィリアムス風口調)
先日の大嵐の日は大変でしたね。皆様は大丈夫だったでしょうか。
あの日、斉藤一家は奈良県に旅行に行っていました。
向かった先は、30年ほど前に衝撃的なCMを関西地域限定で流していた奈良健康ランド。
思っていたよりずっと楽しくて大満足でした。お子様いらっしゃるご家庭にはお勧めです。
ホテルでの中身は来年のヴァーレスヘルツに載せるかもしれないので省略しますが、夜中に何だか風が強いなぁと思いつつ、翌朝起きてから関西&京都の大参事を知りました。
京都への帰路に着く前に奈良県にある「橿原市昆虫館」に寄って行きました。
この昆虫館もかなりのお勧めです。又気が向いたら別件でブログにアップするかも知れません。
しかし今回のブログは昆虫館の事ではなくその後に起こった出来事について。ここからです。
昆虫館を堪能した後、昼ごろに出発したのですが、帰り道に第2京阪(高速道路)に乗ったところえげつない大渋滞に巻き込まれました。
行きしな、自宅のある山科から奈良までは「京都線」という新十条通りの大石神社近くに出来た新しい高速を使うと通常なら1時間もかからずに到着します。
なので12時半に奈良を出たら山科には遅くても2時には着くだろう、と考えていました。
四宮祭りか、と突っ込みたくなるくらいの牛歩戦術な進みの中、高速道路のあちこちの電気表示板に「交野南~伏見まで災害の為通行禁止」という文字が表示されているのが見えます。
途中のインターの出口には恐ろしい位の更なる渋滞が出来ているので降りる事すら出来ない状態。
やむを得ず「行けるところまで行こう」と言う事で片側3車線の高速を進んでいきました。
皆様の中でも高速道路の渋滞を経験された方がいると思いますが、この「渋滞中」の車線判断。結構重要だったりします。
3車線の場合、走行車線、追越車線1、追越車線2、の3つに分かれるのですが、渋滞中の車線変更が中々難しく、無理にでも行おうものなら2~3分は周りの反感を買うこと請け合いです。
そんな中、迷った挙句気持ちスムーズに流れてる感じの追越車線2をチョイスした私。
このチョイスが功を奏(そう)し、10分くらいで20台位隣の車線の車たちを追い越せました。
そんな事をしても渋滞解除されたら1~2分しか変わらないと思いますが、そういう事に喜びを感じるアラフォーオヤジ。
ちなみに余談ですが、車を運転中にトンネルなんかに入るときは入り口からトンネル出口まで息を止めて己の限界を試したりするアラフォーオヤジでもあります。
そしてそのまま悠々と渋滞をゆっくり進んでいると、不意に左側の「追越車線1」から京都ナンバーの黒いBOXY(中型ワゴン車)が無理やりウィンカーもあげず割り込んできました。
その入り方が強引だったので、ややイラッときたのですがその途端に今度は真ん中レーンの「追越車線1」がスムーズに流れ始めたので何となく優しい気持ちになれました。
で、判断をやや誤った感のあるBOXYさん。今度は少し左に車体を寄せながら、明らかに真ん中レーンに戻ろうという姿勢を取り始めました。
これまた強引に入っていったので追越車線1の軽自動車からクラクション鳴らされまくってまいました。
それから数分は追越車線1の勝利でしたが、その後完全に2が有利になって来て、黒いBOXYさんを余裕で追い越しました。
そのままその流れは止まることなくずっと100m程彼方に見えていた走行車線の大きなタンクローリー車をも追い越せて行きました。
ここまではベストチョイスだったわけです。ここまでは。
その後、通行禁止区間に当たる「交野南インター」付近まで車を進めたのですが、流石にインター手前は車両が1列になる為恐ろしい渋滞になっていました。
で、要約インターに下る入り口が見えてきたと思った矢先「通行禁止」の為に高速に並んでいる赤のカラーコーン(道路工事などに使う三角のオブジェ)を片付け始めている交通局のおじさんの姿が見えました。
つまりは、もしかするともう少しで通行可能になるかも、という雰囲気だったわけです。
当然時間的には「降りて一般道で帰る<高速で帰る」なので「早く取ってくれぇ早くぅ」的なテレパシーをオジサンに送っていたのですが、念力むなしく車の流れに逆らえずそのままインターを降りて行きました。
国道に出ても渋滞は続き、どうしても諦められなかった私は、そのまま高速の真下の道路に沿ってトロトロ走っていると、しばらくすると道路のアップダウンがあり、目線が高速道路と同じくらいに高くなるところに来ました。
その坂道を登りきる前に見えてきたのは、まさしく私が思い描いていた悲しい光景でした。
もうどの車も羽が生えたようにマッハGOGOビュンビュン。
そしてそんな羨ましな光景の中、私の目に飛び込んできたのは紛れもなく快調に走る京都ナンバー黒のBOXYの姿。
ヤラレチャッタネ。
追越車線で勝ち誇っていたはずなのに。BOXYざまあみろって思ってたのにスムーズに走っていたのがアダとなってしまいました。
悔し涙を拭いながら高速を諦めきれず、交野北インター入り口はまだ閉鎖したままでしたがその次の枚方インターのほうで車の流れが出来ていました。
喜び勇み、復旧したての高速へ戻った私。流れよく走っていると電気標識板に新しい情報が見えてきました。
「京都線 鳥羽~山科 災害の為走行禁止」
ゴール直前にして・・・ここに来てまた高速を降りないといけないと言う事です。やはりついていない。
又「仕方が無いから行ける所まで行こう」と思い、そのまま京都線を走っていたのですが、車前方
4台目あたりにNEXCO(道路公団)の車がゆっくり走っているのが見えました。
ほとんどの車がその車を追い越してインターに向かって降りて行っていたのですが、何台かだけはNEXCOの車の後を一緒になってゆっくり走っています。
何となくその車に付いて行ってるとなんとNEXCOの車のリアガラスについている電光掲示板の文字が「追越禁止スピード制限」と表示され始め、通行止めだった鳥羽~山科間が、その車を先頭に通行できるようになったのです。
そして恐らくですが、私の車が奈良方面から山科に向かう車の中では最速で目的地に着いた車になりました。
「選択に間違いと言う事はない。失敗や過ちと思うかどうかは自分で決める事である」
人生でも同じことが言えると思いますが、人は誰でも間違いを犯したり遠回りをしてしまったりするものです。
「あの時こうしていればよかった」
「もっとこういう風に出来ていたはずなのに」
その時は「失敗した」と思えた出来事でも、実は案外一番の近道を選択していたり、とてもいい勉強を出来る良い機会を与えられていた場合が多い。
そういう事って「気付けるか気付けないか」で雲泥の差が出てきますよね。
物事に失敗なんて無いんです。成功に向かって最短の近道しかないんです。
今回の台風でも、京都では所々で甚大な被害が出ていますが、今まではみんな案外「京都は災害に強い」なんて安全にあぐらをかいていた状況でした。
被害に遭われた方にはお悔やみを申し上げますが、それでも多数の死者が出た訳でもなく復旧にこそ時間はかかりますが皆が無事でいられる、そういう事にもう一度目を向けるべきだと思います。
今まで天災に会わなかった事に感謝して、実は今後起こりうるであろう大きな災害に対してとても良い勉強が出来る機会を頂いたような気がします。
何が言いたいか良く分からないブログになりましたが、たまにはこういう感傷に浸るような事も載せたりします。
おあとがよろしくないですが終わります。
嵐の後に訪れた眩しい程の晴天と、何事もなかったかのように動き始めた人々の住む街山科。
グゥッドモーニングヤマシナース。(ロビンウィリアムス風口調)
先日の大嵐の日は大変でしたね。皆様は大丈夫だったでしょうか。
あの日、斉藤一家は奈良県に旅行に行っていました。
向かった先は、30年ほど前に衝撃的なCMを関西地域限定で流していた奈良健康ランド。
思っていたよりずっと楽しくて大満足でした。お子様いらっしゃるご家庭にはお勧めです。
ホテルでの中身は来年のヴァーレスヘルツに載せるかもしれないので省略しますが、夜中に何だか風が強いなぁと思いつつ、翌朝起きてから関西&京都の大参事を知りました。
京都への帰路に着く前に奈良県にある「橿原市昆虫館」に寄って行きました。
この昆虫館もかなりのお勧めです。又気が向いたら別件でブログにアップするかも知れません。
しかし今回のブログは昆虫館の事ではなくその後に起こった出来事について。ここからです。
昆虫館を堪能した後、昼ごろに出発したのですが、帰り道に第2京阪(高速道路)に乗ったところえげつない大渋滞に巻き込まれました。
行きしな、自宅のある山科から奈良までは「京都線」という新十条通りの大石神社近くに出来た新しい高速を使うと通常なら1時間もかからずに到着します。
なので12時半に奈良を出たら山科には遅くても2時には着くだろう、と考えていました。
四宮祭りか、と突っ込みたくなるくらいの牛歩戦術な進みの中、高速道路のあちこちの電気表示板に「交野南~伏見まで災害の為通行禁止」という文字が表示されているのが見えます。
途中のインターの出口には恐ろしい位の更なる渋滞が出来ているので降りる事すら出来ない状態。
やむを得ず「行けるところまで行こう」と言う事で片側3車線の高速を進んでいきました。
皆様の中でも高速道路の渋滞を経験された方がいると思いますが、この「渋滞中」の車線判断。結構重要だったりします。
3車線の場合、走行車線、追越車線1、追越車線2、の3つに分かれるのですが、渋滞中の車線変更が中々難しく、無理にでも行おうものなら2~3分は周りの反感を買うこと請け合いです。
そんな中、迷った挙句気持ちスムーズに流れてる感じの追越車線2をチョイスした私。
このチョイスが功を奏(そう)し、10分くらいで20台位隣の車線の車たちを追い越せました。
そんな事をしても渋滞解除されたら1~2分しか変わらないと思いますが、そういう事に喜びを感じるアラフォーオヤジ。
ちなみに余談ですが、車を運転中にトンネルなんかに入るときは入り口からトンネル出口まで息を止めて己の限界を試したりするアラフォーオヤジでもあります。
そしてそのまま悠々と渋滞をゆっくり進んでいると、不意に左側の「追越車線1」から京都ナンバーの黒いBOXY(中型ワゴン車)が無理やりウィンカーもあげず割り込んできました。
その入り方が強引だったので、ややイラッときたのですがその途端に今度は真ん中レーンの「追越車線1」がスムーズに流れ始めたので何となく優しい気持ちになれました。
で、判断をやや誤った感のあるBOXYさん。今度は少し左に車体を寄せながら、明らかに真ん中レーンに戻ろうという姿勢を取り始めました。
これまた強引に入っていったので追越車線1の軽自動車からクラクション鳴らされまくってまいました。
それから数分は追越車線1の勝利でしたが、その後完全に2が有利になって来て、黒いBOXYさんを余裕で追い越しました。
そのままその流れは止まることなくずっと100m程彼方に見えていた走行車線の大きなタンクローリー車をも追い越せて行きました。
ここまではベストチョイスだったわけです。ここまでは。
その後、通行禁止区間に当たる「交野南インター」付近まで車を進めたのですが、流石にインター手前は車両が1列になる為恐ろしい渋滞になっていました。
で、要約インターに下る入り口が見えてきたと思った矢先「通行禁止」の為に高速に並んでいる赤のカラーコーン(道路工事などに使う三角のオブジェ)を片付け始めている交通局のおじさんの姿が見えました。
つまりは、もしかするともう少しで通行可能になるかも、という雰囲気だったわけです。
当然時間的には「降りて一般道で帰る<高速で帰る」なので「早く取ってくれぇ早くぅ」的なテレパシーをオジサンに送っていたのですが、念力むなしく車の流れに逆らえずそのままインターを降りて行きました。
国道に出ても渋滞は続き、どうしても諦められなかった私は、そのまま高速の真下の道路に沿ってトロトロ走っていると、しばらくすると道路のアップダウンがあり、目線が高速道路と同じくらいに高くなるところに来ました。
その坂道を登りきる前に見えてきたのは、まさしく私が思い描いていた悲しい光景でした。
もうどの車も羽が生えたようにマッハGOGOビュンビュン。
そしてそんな羨ましな光景の中、私の目に飛び込んできたのは紛れもなく快調に走る京都ナンバー黒のBOXYの姿。
ヤラレチャッタネ。
追越車線で勝ち誇っていたはずなのに。BOXYざまあみろって思ってたのにスムーズに走っていたのがアダとなってしまいました。
悔し涙を拭いながら高速を諦めきれず、交野北インター入り口はまだ閉鎖したままでしたがその次の枚方インターのほうで車の流れが出来ていました。
喜び勇み、復旧したての高速へ戻った私。流れよく走っていると電気標識板に新しい情報が見えてきました。
「京都線 鳥羽~山科 災害の為走行禁止」
ゴール直前にして・・・ここに来てまた高速を降りないといけないと言う事です。やはりついていない。
又「仕方が無いから行ける所まで行こう」と思い、そのまま京都線を走っていたのですが、車前方
4台目あたりにNEXCO(道路公団)の車がゆっくり走っているのが見えました。
ほとんどの車がその車を追い越してインターに向かって降りて行っていたのですが、何台かだけはNEXCOの車の後を一緒になってゆっくり走っています。
何となくその車に付いて行ってるとなんとNEXCOの車のリアガラスについている電光掲示板の文字が「追越禁止スピード制限」と表示され始め、通行止めだった鳥羽~山科間が、その車を先頭に通行できるようになったのです。
そして恐らくですが、私の車が奈良方面から山科に向かう車の中では最速で目的地に着いた車になりました。
「選択に間違いと言う事はない。失敗や過ちと思うかどうかは自分で決める事である」
人生でも同じことが言えると思いますが、人は誰でも間違いを犯したり遠回りをしてしまったりするものです。
「あの時こうしていればよかった」
「もっとこういう風に出来ていたはずなのに」
その時は「失敗した」と思えた出来事でも、実は案外一番の近道を選択していたり、とてもいい勉強を出来る良い機会を与えられていた場合が多い。
そういう事って「気付けるか気付けないか」で雲泥の差が出てきますよね。
物事に失敗なんて無いんです。成功に向かって最短の近道しかないんです。
今回の台風でも、京都では所々で甚大な被害が出ていますが、今まではみんな案外「京都は災害に強い」なんて安全にあぐらをかいていた状況でした。
被害に遭われた方にはお悔やみを申し上げますが、それでも多数の死者が出た訳でもなく復旧にこそ時間はかかりますが皆が無事でいられる、そういう事にもう一度目を向けるべきだと思います。
今まで天災に会わなかった事に感謝して、実は今後起こりうるであろう大きな災害に対してとても良い勉強が出来る機会を頂いたような気がします。
何が言いたいか良く分からないブログになりましたが、たまにはこういう感傷に浸るような事も載せたりします。
おあとがよろしくないですが終わります。