やましなす皆様。もう終わったはずなのに何故か追いかけてしまう男レイニーブルー斉藤です。
私も今日はそっと雨です。
先日、過去に書いてほったらかしになっていたボツブログを整理していたら途中まで書いてアップしなかったとある記事が目に留まりました。
「大切なお客様へ」
文頭から丁寧な書き出しから始まったその内容は約4年前に日本でコロナ患者が出始めて経営者として大変苦しめられた時の心情をつづられた、今ではこっ恥ずかしくて人に見せられないブログと言うか遺書みたいなモノでした。
もし何かあったらどうかお許しください。これまでありがとうございました。ご恩は一生忘れません。
過去の自分に気持ち悪さを感じながらも消去する前にすべて読み直し、大切な事柄であったことに気が付き自分の心にもう一度落とし込むため違う形でブログにしてしまってから消そうという事で今回一寸重い内容になりますがアップさせていただきます。
当時はしばらくの間本気で店を閉めようと考え妻とも話し合いを重ねていました。
オーキニーでは現在でも80~90歳になられるご高齢の方が数人ご来店されていますが、その他にも年老いたご両親と一緒にお住まいの方や病院にお勤めの看護師さんや医師、保育士さんや介護士や学校教員と多数の人とかかわる環境の方にご来店頂いてます。
私も接客業として人との関わりを切れない職業であるため、私たち夫婦を媒体として様々な方にウィルスをうつす可能性が少なからずあった当時、日頃お世話になっている皆様に万が一でもウィルスをうつしてしまったら一生後悔の念が消えなくなると毎日思っていました。
アルコールを手に入れる為1時間かけて車を走らせ、手作りのマスクを作成し、空気清浄機を購入。本を電子書籍にしてフェイスシールドをしながら仕事をしたり休みの日は一切外に出歩かなくなり、学生で電車通学であった娘との会話すら避けたりしていました。
家のローンが始まり、子供たちの教育費が今まさに多くかかろうとするタイミングでこのまま人殺しになるもしくは家族を路頭に迷わす可能性のある接客と言うカテゴリーの仕事を続けていいのかどうかの葛藤で頭がパンクしそうになり、いっその事と手相占いの本や心理学の本を買いあさるという愚行にまで走っていました。
当時、皆様の中でも何かを失われた方や奪われた方、色々な大変な事件があった事だと思います。
少量のマスクの入荷に振り回され奪い合い、それを利益のために利用転売する人。外出や人との接触を制限し始め、ウィルスに罹患された人をつるし上げて地域で村八分状態にする。子供たちの大切な成長次期であるイベントが奪われ、一人で生きて行こうとする人たちが悪目立つようになりました。
誰も望んでいない暗い未来に向かって進む時間に不安と絶望を感じていました。
話は変わりますが私には高校から付き合いのある仲の良い同級生が4人いました。
職業は会社員、自営業と様々ですが私と同じ美容師で経営者がもう一人おり、その5人で1年に数回時間を合わせて稀にお互い刺激になるような飲み会を開いていました。
当時丁度コロナウィルスがニュースで取り上げられる数か月前に飲み会の予定を立てていたのですが、会まで残り1週間というタイミングで罹患者の情報がドンドン出て来て自分たちの住む町にも初めて患者が出たとの報道が飛び込んできました。
飲み会を開く会場は一番お世話になっている大好きな馴染みの鉄板焼屋さん。パチンコ屋さんやカラオケボックスに次いで煙たがられていた夜の飲食業という事もありコロナ禍で恐らくかなり大変な時期だったと思います。
開催日のギリギリまでは「大将達を助けるためにもマスク会席してでも絶対飲みに行こう」と話していたのですが、近隣で患者が出た事で「自分がウィルスを絶対持っていないとは断定できない為、万が一でも大将や女将さんお店の常連さんにうつしてしまったら風評被害で潰してしまうかも知れない」と考え、飲み会をキャンセルする事を提案しました。
友人達も快く聞き入れてくれるものと思っていたのですが、私と同じ美容の経営をしていた友人だけが理解を示してくれませんでした。
「日本経済を回さないとアカンから飲み会はすべきやろ」
「何より大切な人達に迷惑をかけてしまうと取り返しのつかないことになるやろ」
そう言って私と意見が食い違い結局その後鉄板焼屋さんに同級生での飲み会のキャンセルの連絡は入れたのですが、美容師の友人は同じ予約枠を利用して自分の家族を連れて代わりに食事に行きました。
当時は私も考えが足りずかなり口論となりましたが、彼には彼の正義があったでしょうしどちらの出した答えも正しかったのだと思います。
しかしその友達とは今までも考え方の不一致が目立っていた為、価値観の違いが露呈された事でそれを機に私たち4人とは疎遠になりました。
恐らくいつかはそうなる関係性だったのだと思います。
コロナウィルス以外にも人類の未知なる恐怖は多々あると思いますが「知らないもの」が「知ってる事」になると突然冷静に物事を判断できるようになります。
個々に色々思うところはあると思いますが、今となってはコロナ禍って何だったのでしょうか。
振り返ってみると私は「来るべき未来がとても早く近づく切っ掛けの出来事」そして「次世代の為の必要な経験」だったような気がしています。
以前うちから定期的に出している通信で「○○の所為で」ではなく「○○のお陰様で」と言う気持ちに変換しよう。様々な書物のお陰で「過ぎた過去なら悪く思うのではなく良いものとして考えたほうが楽しくなる」事が学べ、自分の言葉の様に偉そうにも書いた事がありました。
コロナ騒動のお陰で個々に「本当に大切にしないといけない事」が浮き彫りになったような気がします。
「リモート」という言葉が流行り、会議に診療、講義に面接そして飲み会やコンサートまでそれらが推薦され仕事のあり方すら変わりました。
オーキニーにご来店頂いている医師の方達は当時学会の出張が少なくなりこれからのスタンダードになりそうで助かる、と喜びの声を上げていましたが、現在ではリモートと直接会場に行く二つの選択肢から選べるようになったと話されています。
会社員の方も自宅で仕事が出来て通勤時間に余裕が出来たと快適さをアピールされていましたが、今は以前の様に出社するようになり出張が当たり前の時代に戻ったと話されています。
私は結局のところコロナ騒動のお陰で、本当に大切そして必要な事は「便利さ」「効率性」よりも「人とのふれあい」「時間を共有する事が大切」なのだという結果が出たと思っています。
政府が海外に支援を求めワクチンをはじめとした外交で判断を誤り、そのツケで日常生活で様々な税金等の出費が多くなり現在益々生活が大変になっています。
しかしそのお陰で、今まで政治に興味をそれ程持っていなかった事、民主主義をどこか他人事にとらえた生活をしていたのだと気づかされました。しかしそれは決して私だけではなかったのではないでしょうか。
テレビやマスコミを信じて疑わず一方的な情報に振り回されていた時代では無くなりました。
コロナ騒動のお陰で我々にも「理解するために自分で知識を得る事」という選択が今まで以上に出来るようになったと思います。
世の中に必要なもの。タピオカ屋や高級食パンを代表としたパッと出の食べ物屋さん。補助を受けてこれ見よがしに店を閉めただけの飲食業やいい加減な経営、立地条件がいいだけのお店。胡坐をかいて企業努力を怠っていた会社や娯楽施設等沢山なものが世界中から姿を消しました。
美容室も例外ではなく、京都だと河原町を始めとした繁華街で営業していたチェーン店はことごとく閉店してしまい、ここ10年で廃業率が上がる一方です。
中にはやむを得ない事情で無くなって行ったもものもあり全てがそうだとは言えませんが、私は最終的に人はモノより人を選ぶと思っているので「この仕事は(この人は)どういう想いで仕事をしているのか」という人々の見る目が肥えて来たのだと思います。
コロナ騒動のお陰でこの先自分が大切にしないといけない事、そして何を目標にすればいいかという事を改めて勉強できました。
私の好きな歌で着メロにも使用しているドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)という歌があります。
この歌の歌詞は母親が娘に「なるようになるさ」と言ってあげるという作品なのですが「なるようになる」は決して無関心無責任が言葉の意味ではありません。
「なるようになる」は未来に対して希望を持って生きている人が人生の先輩に不安を相談した、そこで初めて愛情がありその人を優しく背中を押してあげる為にかけてもらえる言葉なのです。
ケセラセラは自分では無く人のために使う言葉。
そしてマスクは自分のためではなく人のために付けるアイテム。
会社も観光地も学問や知識も化学も。命、気持ち、全て自分のためではなく社会や未来のために存在するモノ。
真実は最終地点まで常に一本道。ジタバタしても結果は変わらないかも知れませんが考える事や動く事を止めなければみんなが幸せになるケセラセラになるのだと思います。
コロナ騒動は未だ終わった訳ではありませんが、今の自分に出来る事。昔のブログを整理していてもう一度、常に感謝の気持ちを忘れない為に命名した美容室の名に恥じないように頑張らないといけないと心に誓えました。
これから時代は急激に変化していきます。ITやオートメーション化がさらに進み効率化が世界を包んで行く事と思います。
しかし小さな事かも知れませんが、私にしか出来ない事は未だ未だ残されていると思っています。
地域を盛り上げる事。家族を守る事。周りの人を笑顔にする事。正しい髪の知識を伝える事。くだらないブログを書く事。
休みの日にブログ整理している間にいつしか雨も止んでいました。
雨降りを眺めてばかりいると憂鬱になります。ですが何かに没頭していてふと顔を上げると状況が知らないうちに良くなっていた、そんな事が人生で多くあった気がします。
お客様を楽しませる為、自分に言い聞かす為、皆様に情報を提供する為、店の存在を承認してもらう為(飽きられない為とも言う)。
この4つのどれかの目的でブログを書いていますが今回はヤッターアンコウ、ではなく2つ目の目的で書かせていただきました。
ですので何か偉そうな硬い話でスミマセンが自分のために書いてますのでどうかお許しを。
これからも良いケセラセラを心掛けて行きたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
YOUTUBE ドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)和訳付き
やましなす皆様。もう終わったはずなのに何故か追いかけてしまう男レイニーブルー斉藤です。
私も今日はそっと雨です。
先日、過去に書いてほったらかしになっていたボツブログを整理していたら途中まで書いてアップしなかったとある記事が目に留まりました。
「大切なお客様へ」
文頭から丁寧な書き出しから始まったその内容は約4年前に日本でコロナ患者が出始めて経営者として大変苦しめられた時の心情をつづられた、今ではこっ恥ずかしくて人に見せられないブログと言うか遺書みたいなモノでした。
もし何かあったらどうかお許しください。これまでありがとうございました。ご恩は一生忘れません。
過去の自分に気持ち悪さを感じながらも消去する前にすべて読み直し、大切な事柄であったことに気が付き自分の心にもう一度落とし込むため違う形でブログにしてしまってから消そうという事で今回一寸重い内容になりますがアップさせていただきます。
当時はしばらくの間本気で店を閉めようと考え妻とも話し合いを重ねていました。
オーキニーでは現在でも80~90歳になられるご高齢の方が数人ご来店されていますが、その他にも年老いたご両親と一緒にお住まいの方や病院にお勤めの看護師さんや医師、保育士さんや介護士や学校教員と多数の人とかかわる環境の方にご来店頂いてます。
私も接客業として人との関わりを切れない職業であるため、私たち夫婦を媒体として様々な方にウィルスをうつす可能性が少なからずあった当時、日頃お世話になっている皆様に万が一でもウィルスをうつしてしまったら一生後悔の念が消えなくなると毎日思っていました。
アルコールを手に入れる為1時間かけて車を走らせ、手作りのマスクを作成し、空気清浄機を購入。本を電子書籍にしてフェイスシールドをしながら仕事をしたり休みの日は一切外に出歩かなくなり、学生で電車通学であった娘との会話すら避けたりしていました。
家のローンが始まり、子供たちの教育費が今まさに多くかかろうとするタイミングでこのまま人殺しになるもしくは家族を路頭に迷わす可能性のある接客と言うカテゴリーの仕事を続けていいのかどうかの葛藤で頭がパンクしそうになり、いっその事と手相占いの本や心理学の本を買いあさるという愚行にまで走っていました。
当時、皆様の中でも何かを失われた方や奪われた方、色々な大変な事件があった事だと思います。
少量のマスクの入荷に振り回され奪い合い、それを利益のために利用転売する人。外出や人との接触を制限し始め、ウィルスに罹患された人をつるし上げて地域で村八分状態にする。子供たちの大切な成長次期であるイベントが奪われ、一人で生きて行こうとする人たちが悪目立つようになりました。
誰も望んでいない暗い未来に向かって進む時間に不安と絶望を感じていました。
話は変わりますが私には高校から付き合いのある仲の良い同級生が4人いました。
職業は会社員、自営業と様々ですが私と同じ美容師で経営者がもう一人おり、その5人で1年に数回時間を合わせて稀にお互い刺激になるような飲み会を開いていました。
当時丁度コロナウィルスがニュースで取り上げられる数か月前に飲み会の予定を立てていたのですが、会まで残り1週間というタイミングで罹患者の情報がドンドン出て来て自分たちの住む町にも初めて患者が出たとの報道が飛び込んできました。
飲み会を開く会場は一番お世話になっている大好きな馴染みの鉄板焼屋さん。パチンコ屋さんやカラオケボックスに次いで煙たがられていた夜の飲食業という事もありコロナ禍で恐らくかなり大変な時期だったと思います。
開催日のギリギリまでは「大将達を助けるためにもマスク会席してでも絶対飲みに行こう」と話していたのですが、近隣で患者が出た事で「自分がウィルスを絶対持っていないとは断定できない為、万が一でも大将や女将さんお店の常連さんにうつしてしまったら風評被害で潰してしまうかも知れない」と考え、飲み会をキャンセルする事を提案しました。
友人達も快く聞き入れてくれるものと思っていたのですが、私と同じ美容の経営をしていた友人だけが理解を示してくれませんでした。
「日本経済を回さないとアカンから飲み会はすべきやろ」
「何より大切な人達に迷惑をかけてしまうと取り返しのつかないことになるやろ」
そう言って私と意見が食い違い結局その後鉄板焼屋さんに同級生での飲み会のキャンセルの連絡は入れたのですが、美容師の友人は同じ予約枠を利用して自分の家族を連れて代わりに食事に行きました。
当時は私も考えが足りずかなり口論となりましたが、彼には彼の正義があったでしょうしどちらの出した答えも正しかったのだと思います。
しかしその友達とは今までも考え方の不一致が目立っていた為、価値観の違いが露呈された事でそれを機に私たち4人とは疎遠になりました。
恐らくいつかはそうなる関係性だったのだと思います。
コロナウィルス以外にも人類の未知なる恐怖は多々あると思いますが「知らないもの」が「知ってる事」になると突然冷静に物事を判断できるようになります。
個々に色々思うところはあると思いますが、今となってはコロナ禍って何だったのでしょうか。
振り返ってみると私は「来るべき未来がとても早く近づく切っ掛けの出来事」そして「次世代の為の必要な経験」だったような気がしています。
以前うちから定期的に出している通信で「○○の所為で」ではなく「○○のお陰様で」と言う気持ちに変換しよう。様々な書物のお陰で「過ぎた過去なら悪く思うのではなく良いものとして考えたほうが楽しくなる」事が学べ、自分の言葉の様に偉そうにも書いた事がありました。
コロナ騒動のお陰で個々に「本当に大切にしないといけない事」が浮き彫りになったような気がします。
「リモート」という言葉が流行り、会議に診療、講義に面接そして飲み会やコンサートまでそれらが推薦され仕事のあり方すら変わりました。
オーキニーにご来店頂いている医師の方達は当時学会の出張が少なくなりこれからのスタンダードになりそうで助かる、と喜びの声を上げていましたが、現在ではリモートと直接会場に行く二つの選択肢から選べるようになったと話されています。
会社員の方も自宅で仕事が出来て通勤時間に余裕が出来たと快適さをアピールされていましたが、今は以前の様に出社するようになり出張が当たり前の時代に戻ったと話されています。
私は結局のところコロナ騒動のお陰で、本当に大切そして必要な事は「便利さ」「効率性」よりも「人とのふれあい」「時間を共有する事が大切」なのだという結果が出たと思っています。
政府が海外に支援を求めワクチンをはじめとした外交で判断を誤り、そのツケで日常生活で様々な税金等の出費が多くなり現在益々生活が大変になっています。
しかしそのお陰で、今まで政治に興味をそれ程持っていなかった事、民主主義をどこか他人事にとらえた生活をしていたのだと気づかされました。しかしそれは決して私だけではなかったのではないでしょうか。
テレビやマスコミを信じて疑わず一方的な情報に振り回されていた時代では無くなりました。
コロナ騒動のお陰で我々にも「理解するために自分で知識を得る事」という選択が今まで以上に出来るようになったと思います。
世の中に必要なもの。タピオカ屋や高級食パンを代表としたパッと出の食べ物屋さん。補助を受けてこれ見よがしに店を閉めただけの飲食業やいい加減な経営、立地条件がいいだけのお店。胡坐をかいて企業努力を怠っていた会社や娯楽施設等沢山なものが世界中から姿を消しました。
美容室も例外ではなく、京都だと河原町を始めとした繁華街で営業していたチェーン店はことごとく閉店してしまい、ここ10年で廃業率が上がる一方です。
中にはやむを得ない事情で無くなって行ったもものもあり全てがそうだとは言えませんが、私は最終的に人はモノより人を選ぶと思っているので「この仕事は(この人は)どういう想いで仕事をしているのか」という人々の見る目が肥えて来たのだと思います。
コロナ騒動のお陰でこの先自分が大切にしないといけない事、そして何を目標にすればいいかという事を改めて勉強できました。
私の好きな歌で着メロにも使用しているドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)という歌があります。
この歌の歌詞は母親が娘に「なるようになるさ」と言ってあげるという作品なのですが「なるようになる」は決して無関心無責任が言葉の意味ではありません。
「なるようになる」は未来に対して希望を持って生きている人が人生の先輩に不安を相談した、そこで初めて愛情がありその人を優しく背中を押してあげる為にかけてもらえる言葉なのです。
ケセラセラは自分では無く人のために使う言葉。
そしてマスクは自分のためではなく人のために付けるアイテム。
会社も観光地も学問や知識も化学も。命、気持ち、全て自分のためではなく社会や未来のために存在するモノ。
真実は最終地点まで常に一本道。ジタバタしても結果は変わらないかも知れませんが考える事や動く事を止めなければみんなが幸せになるケセラセラになるのだと思います。
コロナ騒動は未だ終わった訳ではありませんが、今の自分に出来る事。昔のブログを整理していてもう一度、常に感謝の気持ちを忘れない為に命名した美容室の名に恥じないように頑張らないといけないと心に誓えました。
これから時代は急激に変化していきます。ITやオートメーション化がさらに進み効率化が世界を包んで行く事と思います。
しかし小さな事かも知れませんが、私にしか出来ない事は未だ未だ残されていると思っています。
地域を盛り上げる事。家族を守る事。周りの人を笑顔にする事。正しい髪の知識を伝える事。くだらないブログを書く事。
休みの日にブログ整理している間にいつしか雨も止んでいました。
雨降りを眺めてばかりいると憂鬱になります。ですが何かに没頭していてふと顔を上げると状況が知らないうちに良くなっていた、そんな事が人生で多くあった気がします。
お客様を楽しませる為、自分に言い聞かす為、皆様に情報を提供する為、店の存在を承認してもらう為(飽きられない為とも言う)。
この4つのどれかの目的でブログを書いていますが今回はヤッターアンコウ、ではなく2つ目の目的で書かせていただきました。
ですので何か偉そうな硬い話でスミマセンが自分のために書いてますのでどうかお許しを。
これからも良いケセラセラを心掛けて行きたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
YOUTUBE ドリス・デイの「Que sera sera」(ケセラセラ)和訳付き