ちょっと偉そうに語ります

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2025.11.30

 やましなす皆様。すっかり秋らしくなりましたね。

 

 最近国会中継が面白くて仕方が無い男斉藤です。

 

 先日お客様との会話の中で「斉藤さんは今自分のしたいことが出来ていますか」と尋ねられ、そこから流れで自分の美容人生の話をする事になりました。

 

 誰もそんな話は聞きたくはないと思いますが、今年で20周年も無事に迎える事が出来たし、美容歴も気が付けば30年以上にもなっているので自分の気持ちを整理するためにも経歴等自己紹介をさせて頂いてもいいのでは無いか、と思い立ちました。

 

 突然ですが職歴について偉そうにも書かせていただきます。

 

 あまり面白くない話ですので興味のない方は、大切な紅葉の季節の貴重な時間がもったいないのでスマホの電源を落として紅葉狩りにお出掛けされる事をお勧めします。

 

 18歳の頃、東京の山崎伊久江美容室と言うそこそこ知名度のある会社に入社しました。

 

 その当時はその会社もイケイケで、海外だとハワイのシェラトンモアナサーフライダーホテルという高級ホテルにもテナントで入っていたくらい事業を拡大しており、都内地方合わせて13店舗も支店があり業界でもそこそこ有名な美容室でした。

 

 その美容室の池袋店で4年間働いて素行の悪目立ちにより指導が超絶厳しい事で有名だった店長が在職していた品川の御殿山ヒルズ(森ビル)内の支店に異動させられました。

 

 その当時は「日本一高級な美容室」という触れ込みで一度テレビで紹介された事がある位のコンセプト(当時でシャンプーカット染めパーマを施術すれば6万円は超える高級志向)の店舗でした。

 

 働いて4年も経つのにその店で一からシャンプーやパーマの技術の再試験を受けさせられ全て落とされて一からやり直させられました。

 

 その店で2年半間働き、技術はそこそこだったのですが能力は買われていたらしく、人事部長から人柄と積極性を買われて他の店の雰囲気とスタッフの人間関係が悪く困っているので立て直しの起爆剤になって欲しいと新宿店に異動を命じられました。

 

 たまたま運が良く私が合流してから新宿店も軌道に乗り始め、各店対抗で行われていたコンテストや演芸大会(バラエティ)の部門で優勝を繰り返すようになり、何やら棚ぼた的な評価を更に頂く事になりました。

 

 そこで3年弱程働いていたのですが、今度は千葉の新浦安オリエンタルホテルにテナントとして入っていた支店で店長が不祥事を起こしてしまいこのままではホテル側からの信頼も失われるとの話で、急遽そちらの店を任される事になったのですが、それまでの肩書が平社員だったので、いきなり「店長」となるのは他の店のスタッフ幹部の手前反感を買う恐れがあるとの事で「チーフ」という役職で異動する事になりました。

 

 新浦安店では少しの期間しか働いていなかったのですがその間に当時のスタッフ全員がびっくりする位、店の売り上げもV字回復を果たしお客様からのアンケートハガキで店の雰囲気が良い、とのお褒めの言葉が本部に沢山届いた事で社内での私の評価が一気に上がったようでした。

 

 半年程働いていると、又同じような話になるのですが元働いていた品川の御殿山ヒルズ店で上層部と会社の間で問題が起こったらしく、人気のあった技術者を含め店長等が一気に退社するという結構な事件があり、本部もやむを得ずその店を畳む予定で事を進めていたそうですがその前に「斉藤にやらせてみたらどうだ」と言う話になり私が店長として出戻る事になりました。

 

 3年間店長として働いていたのですが、その時のスタッフが超優秀でその間に御殿山ヒルズ店の売り上げが全店でトップになってしまいました。

 

 又、新宿店の時代から社内での講師試験に合格した私は、技術と理論の講師として全国に講習に出かけるようになっていたのですが「技術は普通だけど話が面白くてわかり易い」という事が全国のディーラーさんの間で評判となり人気講師の仲間入りする事が出来るようになりました。

 

 週末の休みの日はほぼ全国に講習に出かけるようになり個人的な休みの日はありませんでした。

 

 正直に言うとその時代は自分でも少し俺スゲえオーラが出てるくらい調子に乗っていたと思います。いや乗ってました。

 

 講習先で空港までわざわざ出迎えがあり、地方の目上の先生たちから「先生」と言われ接待を受け、社内では切れ者扱いされ給料も跳ね上がり、人間的に未熟な私が舞い上がらない訳がどこにもありません。

 

 稀に帰省した際にも母親や親友から「なんか雰囲気が変わったな」と言われるようになりましたが決して良い評価の変化としてでは無かったと思います。

 

 今までは先輩たちから嫌がらせも受けていたのですがその頃になるとそういう事も無くなっていました。

 

 である時に調子に乗ってアカン事をしでかします。

 

 お客様アンケートを会社で浸透させた実績があるのですが、それの社内版(社員に向けて)をやろうと提案し、それで地雷を踏んでしまいました。

 

 多分私に良い印象を持っていなかった上層部達で結託していたらしく、幹部会議で皆の前で社長を含め取締役達に「お前は会社を乗っ取るつもりか」とボロクソに叩かれました。

 

 勿論そんなつもりはなかったのですがよくよく考えればそう思われても仕方が無いくらい調子に乗っていたのは事実です。

 

 当時ワンマンだった社長が前に進めなくなった時に何かの切っ掛けになればいいと思って社員の想いを見られるようにしてみようと思っただけだったのですが「今の給料は妥当だと思いますか」「それは何故ですか」というアンケート項目が決定打となる地雷原だった様です。

 

 落私の評価とテンションが落ちるところまで落ちたのは言うまでもありません。

 

 この頃すでに京都に帰る事は会社に伝えてあったのですがタイミング的にその事件がトリガーになって辞めて出るような形で退職しました。

 

 人間関係そして組織って難しいな面倒くさいなって心から思いました。

 

 自分の事を自慢なんてできませんだって何もやって来てないのだから。ただ単に運が良かっただけなのです。

 

 舞い上がる前までに、私がやって来た実績はたった一つ「目の前の人を喜ばせる」という事だけでした。

 

 それを自分の周りのスタッフに伝えて一緒にやってもらってるといつの間にか昇進していた認められていたのです。

 

 人の話をよく聞いてその事をどうしたら解決できるか考えて形にする事。今でも美容師には必要なスキルだと思っています。

 

 京都に帰って来て最初の頃はスタッフを雇って店を大きくしようと考えた事もありましたが、人を育てる事は自分と家族の時間を削る事になりますし、気にしぃで意気地なしぃな私の性格では身が持たなくなる事は東京の頃に嫌と言う程経験済みだったので、自分の能力そして妻の魅力を最大限に生かす為には今のオーキニーの営業形態が一番適してると思い現在に至っています。

 

 因みに以前の会社からは退職後も親しかった先輩後輩を含め全ての社員に「斉藤とは関わるな」と言う強い緘口令を出され実質上追放になった形を取られたのですが、それでも連絡を取ってくれた優しい仲間達も同じような扱いを受ける結果となっていきました。

 

 先日、久しぶりに以前の会社のホームページを見てみると、悲しいくらい事業規模が縮小されており、私の知っているお世話になった会社の面影や私が働いて来た池袋店、新浦安店、御殿山ヒルズ店はそこに存在していませんでした。

 

 前に働かさせて頂いていた会社をディスってる訳ではありません。

 

 今の私を形成する上でとても大切で有難い経験を積ませて頂いた素晴らしい会社であり、大きな失敗をさせて頂けた貴重な修練の場でありました。

 

 当時、氷河期時代真っただ中で同期として一緒に入社した34名の中で私と同じようにサロンを運営している人間はたった3人だけだそうです。

 

 色んなことを学べたお陰で、今私は幸せですしやりたいこともやれていると思っています。

 

 母親がたった一人で私と兄を育ててくれて、母の愛を直接的に感じる事は少なかったですがそのお陰で自分は子供達との時間を多くとれるようにしたいと思えるようになりました。

 

 会社でお金を稼ぐために事業を大きくすればするほど責任が多くのしかかり自分一人の気持ちだけでは動けなくなることを知れました。

 

 お客様を一日に20人も担当すれば嫌でもカットだけしか出来なくなり、仕事中にくだらない話をしたりその人の気持ちに寄り添った時間なんて全く作れない事も知れました。

 

 付き合いで付き合ってると後で一方的な勘違いだったとショックを受けるのは当たり前だと知り、付き合いだけの付き合いは始めないようになれました。(文章ややこしいな)

 

 ことわざ「出る杭は打たれる」これ重要。懲りてないけど。

 

 いつも聞き手に回る事が多いのですが私もたまには自分の事言いたいんだなって今回のブログで知らされてます。

 

 まだまだ今後の人生の中で学びは多くあると思いますが失敗を恐れず家族が路頭に迷うようなことがない程度に変化を受け入れて行きたいと思います。

 

 又このブログは以前の会社の関係者に万が一発見された場合削除要請を受ける可能性が1ナノミリデシグラム位の確率であると思います。そんな単位は勿論存在しませんが。

 

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなた今度一緒に飲みに行きましょう。

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