祭りが伸ばす

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2017.11.07

 やましなす皆様。ご機嫌いかがでしょうか。

 

 少し時間が経ってしまいましたが10月の15日(日)に開催された、三之宮の氏子祭りでの神輿担ぎが今年も無事に終了しました。

 

 今年の御神輿巡行はかなりの大雨の中、執(と)り行われたのですが、大きな気付きがありました。

 

 御神輿を担がせて頂けるようになってから4年目になるのですが、本当についこの間まで、解った様な口で偉そうにこう言ってました。

 

 One for All.

 

 1t程の重さの御神輿を大体30人前後で担ぐのですが、勿論一人でも手を抜くと周りへの負担が大きくなります。

 

 声を掛け合い助け合い、一人一人の力が合わさって初めて御神輿を巡行できる。私の中でその事を「ワンフォオール」と言っていました。

 

 今回、土砂降りの雨の中を巡行しました。

 

 恥ずかしい話ですが体調管理をおろそかにしてしまい、発熱、腰痛、そして首を寝違えていた為、いつもなら同級生や他の氏子さんたちとお酒を飲んで話をして、笑いの絶えない楽しい道中も、寒さとの戦いで殆ど黙って歩いていました。

 

 御神輿を担いでいると肩や首は痛くなりますが、体も温まり担ぐことだけに集中する事が出来るので何とも思わなかったのですが、無理をする事が出来ない状況だったので、周りを見る時間があり今まで見えなかったものを色々と感じれる事が出来ました。

 

 私個人の感想ですが、今まで氏子の一人として担いでいるモノの主観としては担ぐことに対して「神様の役にたちたい」「頑張っている人と交代して助けてあげたい」そして「頑張って担いでいる自分に優越感を感じたい」「何より目立ちたい」という感情がありました。

 

 そのような感情が交差して祭りとは「私たち担ぎ手が主役」という気持ちが強くありました。

 

 御神輿の巡行は山科の東野から西野にかけて大きなコースを巡るのですが、その間にオーキニーのお客さまの営業されているお店、住んでいらっしゃる町内を抜けていきます。

 

 その中には奉納品や奉納金を用意してくださっているお客様方も多くいらっしゃいます。

 

 そしてお家やお店の玄関まで奉納品を用意して出て来てくださっている方々は、神様に対して失礼にあたるのか、雨の中傘をささずに御神輿が到着する前に準備して待っていてくださっているのです。

 

 御神輿が再び巡行していく際、振り返ると、雨の雫がついて滲(にじ)んだ両肩を小刻みに震わせ、寒さで手をこすり合わせながら神輿を見送る姿が見えました。

 

 町内会で神輿の到着に合わせてテントの中で待機しながら、私達氏子に接待をしてくださっている係の方、その中にもお客様の姿がありました。

 

 改めてお礼のご挨拶をしようとその方の姿を目で追ってみましたが、とても忙しそうに働いていらっしゃるので私に気が付かれていませんでした。

 

 その方は確か足が不自由で冷え性だった記憶がありました。

 

 雨の中、接待で私達にお茶菓子を運んでくださる奥様。その傍(かたわ)らにはその方のお子様であろう4歳前後の子供が合羽を着て前髪を雨で濡らしながら一生懸命飲み物を運んでくれていました。

 

 その方は確か、日曜祝日も仕事が入っていて休みがないと先日言われていた記憶がありました。

 

 渋谷街道でパフォーマンスを行った際、歩道でオーキニーのお客様を数人見かけました。

 

 傘を差すと周りに邪魔になるからなのか、雨で色が変わったパーカーの帽子の縁を両手で持ちながら「寒いのにご苦労様です」と笑顔で労ってくださいました。

 

 とんでもないです。皆様こそご苦労様です本当にありがとうございます。

 

 いつも通っている通勤途中の道のりで、祭りの前日、渋谷街道の一角や山科団地の下で小雨降る中、遅い時間まで準備をして下さっている姿を見かけました。

 

 氏子さんや役員さんの為に前日から準備をして早朝から大忙しでパンを焼いてくださっているであろう小川パンの皆様。

 

 無償で人数分のお弁当を用意してくださっているハッピーテラダの店長始め職員の皆様。

 

 その他にも饅頭を用意してくださっていたり、生ビールの手配をしてくださったり、米を炊いてくださったり、準備や変更確認等、実に大変な事だと思います。

 

 悪天候の中。オーキニーのお客様に限った話ではなく、その場にいる方それぞれに一所懸命祭りを盛り上げてくれています。

 

 自分(自分達)の事ばかり見ようとすると、周りが見えなくなる。

 

 周りを見るように努力をすると、自分(自分達)が見えてくる。

 

 御神輿の巡行を円滑にするため、御神輿を担ぐ氏子さんたちが疲れないようにするため。本当に多くの周りの方たちが支えてくれています。

 

 御神輿の声が聞こえている間、外に出る事が出来ず家の中でずっと神輿の巡行の無事をお祈りをされている身体の不自由な方や、仕事や用事で山科に滞在する事が出来ずに遠くから応援してくださっている方もいらっしゃると思います。

 

 喪中なのに奉納品だけ玄関に出しておいて下さっている方も多くみられました。

 

 One for all.

 

 本当の意味でのワンフォーオール。

 

 一人一人が主役です。

 

 担ぎ手も観客もスタッフの方も。山科にお住まいの方が皆それぞれに一生懸命1つの事に対して協力してくれているのだと思いました。

 

 私は今までブログの中で「山科の神様ありがとうございます。」そう言った言葉をよく使ってきました。

 

 そんな事を書きながらも、勿論山科の神様を実際に見た事は在りませんし、何となくでも感じれた事も正直在りません。

 

 担ぎ手としてはいけない事かも知れませんが、神様神様言いながら果たして自分がどれだけ信じているのかも、疑わしい所でした。

 

 神様の存在。それは見方を変えると人に感謝する心を持っているか、という事だと私は思いました。

 

 「神」は「示」に「申」と書きます。

 

 調べてみると「神」と言う漢字についてこう書かれていました。


 

 「示(しめすへん)」は神や祭りにかかわる事を表すが、「申」は「さる」と呼ぶのではなく「シン」と呼び、漢字の「申」は「雷」の原字で、元々「稲妻(いなずま)を表した象形文字である。

 

 「雷(シン)」は昔人々から恐れられ、神が鳴らすものとされ「神鳴り」とも書かれた。これがかみなりの語源である。


 つまり昔から形の無いものだったようです。

 

 

 この「示編(しめすへん)」を「人偏(にんべん)」変えると「伸」(伸びる)と言う文字になります。

 

 きっと形の無い「示」という存在を、形がある「人」に変換する事が出来るようになると、人として「伸びる」事が出来るのだと思いました。

 

 何だか難しい話になりましたが、こうやって氏子にならなければこのような考えにはならなかったと思いますし、大切さを学ぶ事も無かったかもしれません。

 

 担いでいない時でももっと大きな声で、町中に響くくらいに掛け声をかけないといけないと思いました。

 

 来年又参加していただく際には、そう言った支えて下さっている方達を中心に沢山写真に撮ったりしたいと思いました。

 

 まだまだ人として未熟で、伸び悩むところが本当に多くありますが、来年も氏子として恥ずかしくないような成長が出来ているように、又一年間頑張りたいと思います。

 

 皆様本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

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