美容室の窓から見える公園の遊歩道で木々達が秋の色味を映し出しながら年の背が近づいている事をそっと教えてくれます。
柔らかな日差しに少し肌寒い風が時折そよぎ過ぎ上着や肌着の選択に迷ってしまう今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
知的に見えそうで実際間違った語句の使い方が織り交ざっていて訳の分からない文章なのだと何人の人が気付いてくれるでしょうか。ドタキャンにより急に時間が出来た男斉藤です。
妻が京都に来てくれてから早いもので17年が経過しました。
ご存じの方も多いと思いますが、妻の実家は長野県の信州中野という地域で日本列島だと「中部地方」関東に属しています。
彼女は18歳で上京して東京の美容専門学校に二年間通っていたので方言(口調)はずっと標準語です。
家庭でも仕事中でもそれは変わることなく飛び火して息子と娘も何故か家庭内で標準語をよく使っています。
私は18歳の頃に上京して働きながら美容の通信教育を受けたのですが二十歳になる前にはすっかり話し方が京都弁ではなく関東の標準語になっていました。
しばらくして全国に講習に出張するようになったので、その影響により今でも講習や結婚式のスピーチ、司会進行等大勢の人前で話すときは自然と標準語が口から出てきます。
それに比べて妻は今でも一切関西弁を口にしません。
ごくごく稀に「そんなことしたらあかんよ」=「↓↓↓→→↓↓↓↓↑↓↓」のように「こと」でやや上げ「か」で最上イントネーションを添える独特な関西弁を使いますが残念ながら優しく見ても認められるものではありません。
嗚呼多分此の人は生涯属色に染まる事無く天然色の儘老いて行くのであろう。
疑うことなく長年連れ添ってきました。
先日とあるお客様からある朝のニュース番組の話を聞きました。
そのニュースによると何でも最近では関東の若者たちの間で「知らんけど~~」という言葉を変に使用することが流行っているという話でした。
通常我々京都人いや関西人は話の流れでこの「知らんけど」というフレーズをよく使用しています。
その殆どは、自分が体験した事ではなく人から見たり聞いたりした話をまるで自分の話のように会話に出すときに使う会話のキャッチボールが好きな人種によるテクニカルな手法として日常的に用いられます。例えば
「セブンイレブンの炭焼き地鶏なんやけど値段のわりに結構香りがしっかり入ってて鳥の生産者の人が餌に何かこだわって飼育されてるみたいで某人気焼き鳥やのクオリティでめちゃお買い得らしいで。知らんけど。」
と、このように。文章をご覧の皆様は恐らくすぅっと頭に入ってくる極々普通の会話です。
お客様の話だとテレビでやっていたのはこれを
「山手線の渋谷駅混んでるみたい。知らんけどぉ。」
等と使うとの事。
うん間違ってる。会話を楽しむ出だしの発言というものではなくコレじゃただの適当な発言にしか聞こえない。
話に食いつきたくなる「チラリズム」も無いし、そこに知識を被せたくなるような「くすぶりズム」も一切なく「ふーん」「へぇ」という感想しか出てきません。
「渋谷駅は今混んでる」なら確かな情報として有用ですし、百歩譲って「渋谷駅なんだかウォーリーの仮装した人でごった返して混んでるらしいよ知らんけど。」なら十分チラリズムもくすぶりズムも刺激されます。
関東の若者よ。それは間違った文化である。
その話題を持ち出されたお客様は「関西人として美しく思えない」と強く訴えられ、私も激しく共感しました。
しかしその話で盛り上がったのち私とお客様、常に向上心ある二人は「我々は関西そして京都に健やかに産まれて豊かに育てて頂き感謝しかない」という結論に達するという大団円を迎えることが出来ました。
その後まったりとした空気が二人の間に流れたのですが、ふと妻の事を思い返しある事実に気付いた私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
妻は家庭や仕事中に会話が盛り上がっている際、話の主導権を自分(妻)が持っている時にある口癖を使う事がここ数年多くなっていて気になっていたフレーズがありました。
「この間なにかうちの主人がうちのトワ(猫)にモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。」
今までは横で聞きながら「よく知らんのに言うんかいっ」と顔で無関心を装い心で突っ込んでいたのですが、これは私という不完全な人間の浅はかさ以外の何物でもなかったのです。
そう不動と思われた純真無垢な彼女の心は、私が思い違いをしていただけですでに芯の部分を関西に売って、いや置いてくれていたのです。
よくわかんないんですけどを関西弁にすると、そう答えは一つ知らんけど。
妻よすまない拙(つたな)い私をどうか許しておくれ。
長い間貴女に対して私は取り返しのつかない勘違いをしていたようです。長く待たせてしまったようだけど今漸く真実を見る目を取り戻せました。
知り合いもいなく頼るところもない京都に身体一つで嫁に来てくれ最初の頃はさぞ大変だった事でしょう。誰にも相談できず独り悩み苦しみながら自分を保ち、その中で郷に入って従う心を扉を努力という字で乗り越えて来てくれていたのですね。
改めて素晴らしき京都へようこそありがとうステキな奥様。
そしてお帰りなさい私。何よりY様いつもホンマおおきにです。
皆様、中でも妻が担当させていただいているお客様。すでに私以上に妻の事を理解してくださっている方ばかりだと思いますが
なにかうちの主人がこの間うちのトワにモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。
=
なんかうちの相方がこの間うちの子が野良にモーションかけられてなんやきっしょい鳴き声だしよったって言ってましたわ。よう知らんけど。
のように脳内変換して聞いてあげてください。そして私が至らない時はそっと「違うで奥様こう言ってはるんやで」と傷付かないようにご教授ください。
これからもお店共々どうかご贔屓によろしくお願いいたします。
知らんけど。
美容室の窓から見える公園の遊歩道で木々達が秋の色味を映し出しながら年の背が近づいている事をそっと教えてくれます。
柔らかな日差しに少し肌寒い風が時折そよぎ過ぎ上着や肌着の選択に迷ってしまう今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
知的に見えそうで実際間違った語句の使い方が織り交ざっていて訳の分からない文章なのだと何人の人が気付いてくれるでしょうか。ドタキャンにより急に時間が出来た男斉藤です。
妻が京都に来てくれてから早いもので17年が経過しました。
ご存じの方も多いと思いますが、妻の実家は長野県の信州中野という地域で日本列島だと「中部地方」関東に属しています。
彼女は18歳で上京して東京の美容専門学校に二年間通っていたので方言(口調)はずっと標準語です。
家庭でも仕事中でもそれは変わることなく飛び火して息子と娘も何故か家庭内で標準語をよく使っています。
私は18歳の頃に上京して働きながら美容の通信教育を受けたのですが二十歳になる前にはすっかり話し方が京都弁ではなく関東の標準語になっていました。
しばらくして全国に講習に出張するようになったので、その影響により今でも講習や結婚式のスピーチ、司会進行等大勢の人前で話すときは自然と標準語が口から出てきます。
それに比べて妻は今でも一切関西弁を口にしません。
ごくごく稀に「そんなことしたらあかんよ」=「↓↓↓→→↓↓↓↓↑↓↓」のように「こと」でやや上げ「か」で最上イントネーションを添える独特な関西弁を使いますが残念ながら優しく見ても認められるものではありません。
嗚呼多分此の人は生涯属色に染まる事無く天然色の儘老いて行くのであろう。
疑うことなく長年連れ添ってきました。
先日とあるお客様からある朝のニュース番組の話を聞きました。
そのニュースによると何でも最近では関東の若者たちの間で「知らんけど~~」という言葉を変に使用することが流行っているという話でした。
通常我々京都人いや関西人は話の流れでこの「知らんけど」というフレーズをよく使用しています。
その殆どは、自分が体験した事ではなく人から見たり聞いたりした話をまるで自分の話のように会話に出すときに使う会話のキャッチボールが好きな人種によるテクニカルな手法として日常的に用いられます。例えば
「セブンイレブンの炭焼き地鶏なんやけど値段のわりに結構香りがしっかり入ってて鳥の生産者の人が餌に何かこだわって飼育されてるみたいで某人気焼き鳥やのクオリティでめちゃお買い得らしいで。知らんけど。」
と、このように。文章をご覧の皆様は恐らくすぅっと頭に入ってくる極々普通の会話です。
お客様の話だとテレビでやっていたのはこれを
「山手線の渋谷駅混んでるみたい。知らんけどぉ。」
等と使うとの事。
うん間違ってる。会話を楽しむ出だしの発言というものではなくコレじゃただの適当な発言にしか聞こえない。
話に食いつきたくなる「チラリズム」も無いし、そこに知識を被せたくなるような「くすぶりズム」も一切なく「ふーん」「へぇ」という感想しか出てきません。
「渋谷駅は今混んでる」なら確かな情報として有用ですし、百歩譲って「渋谷駅なんだかウォーリーの仮装した人でごった返して混んでるらしいよ知らんけど。」なら十分チラリズムもくすぶりズムも刺激されます。
関東の若者よ。それは間違った文化である。
その話題を持ち出されたお客様は「関西人として美しく思えない」と強く訴えられ、私も激しく共感しました。
しかしその話で盛り上がったのち私とお客様、常に向上心ある二人は「我々は関西そして京都に健やかに産まれて豊かに育てて頂き感謝しかない」という結論に達するという大団円を迎えることが出来ました。
その後まったりとした空気が二人の間に流れたのですが、ふと妻の事を思い返しある事実に気付いた私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
妻は家庭や仕事中に会話が盛り上がっている際、話の主導権を自分(妻)が持っている時にある口癖を使う事がここ数年多くなっていて気になっていたフレーズがありました。
「この間なにかうちの主人がうちのトワ(猫)にモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。」
今までは横で聞きながら「よく知らんのに言うんかいっ」と顔で無関心を装い心で突っ込んでいたのですが、これは私という不完全な人間の浅はかさ以外の何物でもなかったのです。
そう不動と思われた純真無垢な彼女の心は、私が思い違いをしていただけですでに芯の部分を関西に売って、いや置いてくれていたのです。
よくわかんないんですけどを関西弁にすると、そう答えは一つ知らんけど。
妻よすまない拙(つたな)い私をどうか許しておくれ。
長い間貴女に対して私は取り返しのつかない勘違いをしていたようです。長く待たせてしまったようだけど今漸く真実を見る目を取り戻せました。
知り合いもいなく頼るところもない京都に身体一つで嫁に来てくれ最初の頃はさぞ大変だった事でしょう。誰にも相談できず独り悩み苦しみながら自分を保ち、その中で郷に入って従う心を扉を努力という字で乗り越えて来てくれていたのですね。
改めて素晴らしき京都へようこそありがとうステキな奥様。
そしてお帰りなさい私。何よりY様いつもホンマおおきにです。
皆様、中でも妻が担当させていただいているお客様。すでに私以上に妻の事を理解してくださっている方ばかりだと思いますが
なにかうちの主人がこの間うちのトワにモーションをかけてくる野良猫がいて、その声を聴いたトワが聞いたことがない鳴き声を出してたそうですよ。いや私もよくわかんないんですけどね。
=
なんかうちの相方がこの間うちの子が野良にモーションかけられてなんやきっしょい鳴き声だしよったって言ってましたわ。よう知らんけど。
のように脳内変換して聞いてあげてください。そして私が至らない時はそっと「違うで奥様こう言ってはるんやで」と傷付かないようにご教授ください。
これからもお店共々どうかご贔屓によろしくお願いいたします。
知らんけど。